君が笑うと世界も笑う



士官学校でちょっとしたトラブルがあり、私はそのイライラを引きずったままホークアイ家にやってきた。
「あの、お父さんずっと書斎にこもって書き物してるんです。少しだけ待っててくれますか?」
居間に通しながらリザが申し訳なさそうに頭を下げる。
師匠の指定した時間通りに来ても待たされることはもはや日常茶飯事だった。
「気にしなくていいよ。ちょっと勉強しておきたいところもあったし」
だからテーブルを借りるねと言うと、リザは安心したようにそうですかと笑う。
「じゃあお茶いれますね」
居間のテーブルの上に鞄から出した本やペンなどを広げていると、彼女はそう言い残して台所へ消えて行った。
いつもながら気の遣えるよくできた娘だと感心してしまう。
さて勉強しようと栞の挟んであるページを開いて、ペンを持つ。
が、やはり士官学校での出来事が頭の片隅に残っていて、いつものようになかなか集中できない。
文字を目で追っても頭に入ってこない、紙は白紙のまま、イライラしながら前髪をぐしゃりとかきあげる。
「マスタングさん、お茶どうぞ」
ふと声を掛けられて顔をあげると、はいとリザがカップをテーブルの上に置いてくれた。
彼女の入れる紅茶はいつもいい香りがする。
「ああ、ありがとう」
いつもなら礼を言い終わると、邪魔をしちゃいけないからとリザはどこかへ行ってしまうのだが、今日は立ち去る気配がなく彼女はじっと私の顔を覗きこんでいる。
言葉にはしないものの茶色い瞳は何かあったんですかと聞いているようだった。
彼女は気遣いができて、そしてとても勘のいい少女だ。
私がイライラしているのに気付いたに違いない。
いや、もしかしたら私が分かりやすいのか、それともやっぱり彼女が小さな変化も見逃さないのか、どっちにしろまいったなと頭をかく。
「リザ、ちょっと聞いてほしい話があるんだ。いいかな」
「え?あ、はい」
ここに座ってとぽんぽんとソファを叩いて促し、私の隣に腰を下ろさせる。
自分より年下の、しかも女の子に愚痴を聞いてもらうのは少々躊躇いがあったが、なんとなく彼女に聞いてほしくなった。
彼女に聞いてもらえば気分も晴れる気がしたし、正直なところ彼女になぐさめて欲しかったのかもしれない。
「…というわけなんだよ。ひどいだろう?」
士官学校での一連の出来事を話すと、彼女はそうですねと難しい顔で頷く。
「それは大変でしたね」
親身になって解決の糸口を考えてくれる様子が嬉しい。
「…あの、マスタングさん」
「うん?」
彼女は私の顔をじーっと見つめて、それから口をきゅっと一文字に結ぶ。
そういえばさっき私の話を聞いているときも、頷きはするもののたまに心ここにあらずといった感じで私の顔を見つめてきた。
「マスタングさん、さっきから言おうと思ってたんですけど…」
気付けば彼女の肩はふるふると震えている。
何事かと思いどうしたのと顔を近づけると、リザはもう駄目と言って弾かれたように急に笑い始めた。
「え、なに?リザ?」
戸惑う自分をよそに、リザは目に涙まで浮かべて大笑いしている。
こんな彼女を見るのは初めてかもしれない、貴重だ…じゃなくて、何がそんなにおかしいのだろう。
さっきの話に笑える箇所なんてひとつもないのに。
「何がおかしいんだよ」
自分だけ取り残されたような気分になって、ちょっと不機嫌な声が出てしまった。
リザはすみませんと言いながら目尻にたまった涙を拭っている。
「マスタングさんの鼻の下、インクがついてるんです」
「え!?」
咄嗟に鼻の下を手で覆う。
手の平にインクがついているのが見えて、こすってついてしまったのだろうかと思い当たる。
「それで言おうと思ったんですけど、マスタングさんが真剣に話し始めるから、言うタイミングを逃して」
……私の顔をじっと眺めていた理由はそれか。
というか、それなら私がイライラしているのに気付いたというのも勘違いじゃないか。
「じゃあ君は真剣に話を聞くふりをしてずっと面白がってたんだな」
またいじけている子供のような声が出てしまう。
「話はちゃんと聞いてましたよ。でも、あの、面白かったのは本当です」
「…顔洗ってくる」
「あ、髭みたいで似合ってますよ。マスタングさん、かっこいいです」
立ち上がった私の顔を見上げて、彼女はまた無邪気に笑う。
「褒めてくれてどうも。でもやっぱり洗ってくる。…今度からは早く言ってくれよ」
男は格好悪いところを見せたくないものなんだから。
「わかりました」
まだ笑いがおさまりきれないのか、いつになくにこにこしている彼女に思わずこちらもふっと笑みをこぼしてしまう。
……君って人は。
士官学校でのことなんて、なんだかどうでもよくなってしまったな。
次に何かあったときも彼女に聞いてもらおうと思いながら、洗面所へと向かった。








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