いつものごとくデスクワークに飽き、副官の目を盗んで屋上に来てみたはいいものの少々風が強すぎる。 天気も日差しも最高なのに、軍服や髪をばさばさと盛大にはためかせる風がうるさいことこの上ない。 予定変更、今日の息抜き兼昼寝の場所は資料室にしよう。 ではさっそく、とうきうきしながら振り返ったところでまた予定変更。 「こんなところでお仕事とは精が出ますね、大佐」 くるりと振り返った先、ドアの向こうには自慢の美しい、そして今一番会いたくない我が副官がいた。 「大佐」 「は、はい…」 彼女が一歩前へ踏み出すたびに、私もきっちりとその分一歩うしろへ下がる。 めったに見せてくれないそれはそれは可愛らしい笑顔が今は底無しに怖い。誰か私を助けてくれ。 「執務室でのお仕事も真面目にやっていただけますよね?」 にっこりと微笑んだ彼女にそう言われただけなのに、こめかみに銃を押し付けられている気分になるのはどうしてだろう。 あのひんやりと冷たい、嫌としか言いえない感触を思い出して背中がぶるりと震えた。 「とっと執務室に戻ってください」 「……はい」 まるで彼女の愛犬に命令をするような口調で言われ、おまけにご丁寧にもドアを指差してくれた。 これじゃあ、まるでではなくて、まるっきり犬扱いじゃないか。 そんな彼女の態度にむっとしながらも大人しく従ってしまう自分に、上官の権威とやらは一体どこに…と思わず悩んでしまう。 すべては自業自得か。 まったくもう、とぶつぶつ文句を言っている彼女のバレッタでまとめきれずに落ちた金髪が風になびく。 高く青い空の下、ひらひらと舞う金の美しさに思わず目を細めた。 おかしなひとだと思う。 せっかくのきれいな金髪をきつく結び上げ、ドレスではなく軍服を、指輪ではなく銃を彼女は選ぶ。 女の幸せを捨て、命の保証のない世界にわざわざ自分から飛び込んできた彼女は馬鹿だ。 そして、彼女にそうさせるすべての原因はなんと私にあるのだ。 私の命令ならば人を撃つことも厭わず、私の背中を守ることは彼女にとって幸せなことであるらしい。 彼女に背中を託されたとき、もうこの白い体を決して傷つけさせない私は密かに誓った。 しかし、その誓いはほかでもない彼女によって見事に破られてしまったのだ。 いっそう強く吹いた風に驚いて目をきゅっと細めた彼女の仕種がとても幼く、その様子に胸の奥に仕舞い込んでいたはずのものがどっと溢れ出す。 部下としても個人としても彼女のすべてが私に向いている心地よさ、それでもやっぱり守ってやりたかったと思う罪悪感。 彼女はなんて女なのだろう。 誓いを守らせてくれなかった後悔だけでも手一杯なのに、さらに愛しいやら幸せにしてやりたいやらと思わせる彼女は一体何者なんだ。 「……中尉」 「はい?」 「全部が終わったら」 髪の毛が耳をくすぐるうっとうしさも、引っ切り無しに吹く風の音も、この時ばかりはすべて忘れた。 「結婚しようか」 思わず零れ落ちた、ずっと秘めていた言葉をさらってしまうかのように、また私たちの間を風が吹き抜ける。 ふと右も左も拳を作りきつく握っていたことに気付いて苦笑した。 きょとんとした表情で私を見つめる彼女が口を開くまでの数秒の間が永遠にも感じられた。 「あの、大佐」 途端に彼女の眉が申し訳なさそうに下げられる。 「風がうるさくて聞き取れませんでした。もう一度お願いします」 思わず絶句した。 いつもは私の言葉を取りこぼさず聞き取るくせに、おまけに言葉を発しなくても何を言わんとしているか読み取るくせに、どうしてこんなときだけ。 本当に彼女はひどい。ひどすぎる。 「大佐、あの」 「もう二度と言わない」 彼女の言葉を遮ったのは、自分でも驚くほど不機嫌で子供じみた声だった。 大佐、と困ったように呼ぶ声を無視し、彼女をすり抜けて階段を降りる。 階段を蹴るようにして降りていく乱暴な音が天井にうるさく響いた。 風のうるささは誰のせいにもできない、しかしそれなりに勇気を出して言ったものを聞き逃されると勝手だが腹が立つ。 例え彼女に聞こえていたとしてもこの関係を壊せるはずがなく、結局欲しいものは何も手に入らないのだが。 そう、今はどうあがいたって上司と部下というこの関係は崩せるはずがないのだ。 今は、まだ。 たちまち沸き上がる焦燥感や後悔はまた無理やり飲み込んで、なかったことにしてしまう。 いつかまたあの言葉を彼女に言える日が来るまで。 その時は絶対に外ではなく屋内で打ち明けようと心に決め、追い掛けてくる足音に少しだけ歩調を緩めてやった。 |