1.そんなお年頃  
2.お気に入り  
3.はじめての  
4.捕われる  
5.平行線  







 
そんなお年頃


「たくさん食べなきゃ大きくなれないぞ」
何のことを言われているのか分からなかったが、彼の視線の先を辿って思いあたった。
視線の先には私の目の前にあるシチューのはいった皿。
ね、と言いながら、スプーンの上で小さな山を作っているにんじんをごろごろと私の皿にいれてきた。
父が書斎にこもっているため二人きりで食卓を囲むとき、たまにこの人はこうやって子供じみたことをする。
「せっかくマスタングさんのために小さく切ったのに」
「それは悪かったね。でも、どんなに小さくても俺は食べないよ」
威張って言うことかと眉を顰める。
軍人になろうとしている人が、ただ小さくて赤いだけのものを食べれないなんて変な話。
「君は成長期なんだからたくさん食べなきゃ」
白よりも赤の目立つ私の皿を見て、彼は満足そうににっこり笑う。
「こんなに食べてたら、いつかマスタングさんの身長を追い越しちゃうかもしれませんね」
「それはないよ」
嫌味のつもりで言ったのだけれど、それに気づかなかったのかきっぱりと否定された。
「どうしてですか?」
「俺だってこれからまだ伸びるから」
もう止まってるんじゃ、そう思ったけれど口には出さない。
この人は同年代に比べて身長が低いのを気にしているみたいだったから。
「でも追い越す可能性もありますよ。父はご存知の通り長身ですし、母もけっこう身長があったので」
「…そうか」
彼はじゃがいもを頬張ったまま、むうっと眉を寄せた。
これは何か考えごとをしているときの顔だ。
「…身長の低い男はきらい?」
突然の質問に今度は私が眉を寄せる。
「きらいじゃないですけど…どうしてですか?」
「いや、それならいいんだ」
何がなんだか分からない。
でもいつか趣味が変わるかも、恋人より身長が低い男なんて格好悪い、などと彼はぶつぶつ呟き考えこんでいる。
「リザ、君にはあんまり成長しないでほしいな」
「さっきは食べて大きくなれって言ってたじゃないですか」
「さっきはさっき、今は今!」
「なんですかそれ」
私よりも子供らしく無邪気に笑うから、これ以上つっこむ気になれない。
「私はなるべく大きくなれるよう努力するから」
「ならにんじんどうぞ」
「それはいや」
なんだかよく分からないけれど、次はもっとにんじんを細かくして料理に忍ばせようと決めた。




 


お気に入り


「私はにんじんが嫌いなんだ」
「知ってますよ」
「じゃあどうして入っているんだ」
「今日はシチューですから。にんじんの入っていないシチューなんておかしいでしょう?」
彼は眉を寄せ、むむーっと唸った。
スプーンに乗ったにんじんと睨めっこを始めてもうどのくらいたつのだろう。
それを口に入れて噛んで飲み込めば終りなのに、どうして嫌がるのか理解に苦しむ。
「少尉、私が来るときはにんじん入れるのやめてくれないか」
「あら、いきなり押し掛けて来た人が何を言うんですか」
突然やって来た上司を出迎えてまず初めにしたことが、作りかけだったシチューに急いでにんじんをもう1本刻んで入れたことだなんて、口が裂けても言えやしない。
「さ、私はもう食べ終わりましたよ。片付かないのでさっさと食べてください」
「…君の皿より私の皿の方がにんじんが多かった」
ばれていたか。
「なに子供みたいなこと言ってるんですか」
「本当だぞ、三倍くらいの差はあった!」
「中佐、知ってました?にんじんを食べれない人は大総統になれないらしいですよ」
一瞬ぴくっと眉を持ち上げたのを私は見逃さなかった。この人は本当に面白い。
「…君、私で遊んでいるだろう」
何を今更。
「郷に入ったら郷に従えですよ。ホークアイ家ではにんじんを残すのは許しません」
これじゃいつまでたっても終わらないとずっと握っていたせいで温かくなったスプーンを奪い取り、あーんしてと促す。
「はい、あーん」
「…あーん」
結局、彼はどんなに嫌がっていても最後の最後にはしぶしぶ口を開くのだ。
赤いかたまりを口の中に入れてやると、眉を寄せながらむぐむぐと噛み、目をつぶってごくんと飲み込む。
そしてものすごい勢いで水を飲み、ほっと一息。
「…おいしくなかった」
「お粗末さまです」
よくできましたね、いいこいいこと褒めたらさすがに怒るだろうからやめておく。
ようやく空になった皿を忌々しげに見つめているのが子供っぽくって可愛くて、これだから私は料理ににんじんを忍ばせるのをやめられない。




 


はじめての


「しょーいー、朝だよー」
「…………」
「おーい、リザちゃーん」
可愛い寝顔をじっくり堪能したいところだけど、そんな時間はないので彼女の肩を掴んでぐらぐら体を揺さぶる。
それからこれでもかというくらい耳元で少尉―、だとか、リザちゃんだとかとにかく名前を呼び続ける。
最終手段にくすぐり作戦を実行したところで、やっと彼女はシーツからしぶしぶ身を起こした。
起こし続けて早15分、ようやくほっと肩をなでおろす。
あと少しで家を出ないと遅刻だよ、と一応言ってみるが彼女の耳には届いていないだろう。
彼女は目を擦りながら、心地よい眠りを妨げた私のことを恨めしげに睨んでくる。
なんとも理不尽な。
けれど、仕事中に見せるいつもの厳しい目つきではなく、まだ眠たそうなとろんとした目つきなのが可愛いから許してしまう。
「リザちゃん、そろそろ支度しないと」
「…………」
「ホークアイ少尉、聞いてる?」
紅茶色の瞳の前でひらひらと手を振ってみるが、見事に無反応。
彼女はただぼーっと私の顔を見つめながらシーツの上に正座している。
たぶん私の顔を認識しているわけではないのだろうけれど。
あ、猫背の彼女ってなんだか新鮮でいいな。
「君が遅刻なんてしたらあいつら大騒ぎだな。さ、早く着替えよう」
「…………」
これまた無反応。
どうやって目覚めさせよう、いや、それよりとにかく司令部に連れて行った方がいいかもしれない。
放っておくとまた寝てしまいそうな彼女を前に、顎に手をやってうーんと唸る。
いつもと立場が逆でなんだかすごくやりにくい。彼女の大変さが今さら身に染みた。
けれど、いつもと違う世話が焼ける彼女がとっても可愛いのも事実。
「じゃあ私が着替えさせてあげようか」
脱がせるのがもったいないなあと、私のシャツを着たせいで指先が少ししか見えていない彼女を下心丸出しの笑顔で眺める。
うきうきと胸元のボタンに手を掛ける、が、何を思ったのか彼女はいきなりすくっと立ち上がった。
「え?リザ?」
「…………」
そのままベッドから降り、こちらに振り向きもせず、床に転がった本や服などにたまにつまずきながらもすたすたと部屋を出て行ってしまった。
ドアの向こうから水の音がする。
どうやら洗面所に向かったらしい。
一連の動きをぽかんと眺めていたが、時計が目に入りそれどころではなくなった。
このままじゃ本当に遅刻してしまう。
「……朝に弱いんだなあ」
慌ただしくシャツに腕を通しボタンをとめながら、ぽつりと呟く。
彼女とは長い付き合いだが、これを知ったのは今日がはじめて、というかついさっき。
ずいぶん前に彼女になんとなく起床時間を聞いて、その早さに驚いたことがあるが、こういうことだったのかと納得する。
寝ぼけた彼女のあんなに可愛い様子を今まで知らなかったなんてちょっと悔しい。
同じベッドで迎えるはじめての朝だから甘い会話を、なんて期待していたけれど、これは嬉しい裏切りだ。
「いいこと知ったな」
これから朝が楽しくなりそうな愛おしい発見に、頬をでれりと緩めた。
寝ぼけた彼女を司令部に連れて行くのが大変で、今度からは早起きしようと固く誓ったのはまた別の話。




 


捕われる


「今年流行の風邪は厄介らしいからね、あったかくしてないと」
昔もそのまんま同じセリフを言って、この人は私の首にマフラーをぐるぐると巻きつけた。
まるで親みたいなことをたびたび言ってくるのは昔から変わらない。
マフラーの巻き方がちょっといびつなのも、昔から変わらない。
不器用な手でへたくそな結び目を作って、とっても満足そうに笑う。
その顔につい見惚れてしまう私も、昔から何ひとつ変わらない。
「うん、似合うね」
軍服に紺色のマフラーを巻いて、それに似合うも似合わないもあるかと思うが、にっこり笑うその顔を壊したくなくて黙っておく。
それよりも、ハイネックのセーターを着た私がマフラーを巻く必要性があるかどうか聞く方が大事だ。
「あの、大佐」
「なに?」
振り向いた彼のシャツから覗く首元が寒々しい。
「私が巻くよりも大佐が巻いた方がいいと思うのですが」
もとはあなたのですからとマフラーを外そうとすると、急に手を掴まれる。
「だめだよ、君に風邪をひかれたら困る」
「私だって大佐に風邪をひかれたら困ります」
「君、仕事をさぼってばかりの上司と仕事を真面目にこなす部下、どっちに休まれたら困る?」
「…自分で言っていて悲しくないんですか」
「いや、君に私たち大佐がいなきゃ仕事ができませんって言ってほしかったんだけど」
「ではそう言われるようにさぼらないでください」
とりあえずマフラーは外してはいけないらしい。
私の手首を掴む手は氷みたいに冷たいくせに、わがままな人。
「手、冷たいですよ」
両手で彼の手を温めるように包み込むと、驚いたのか目を見開かれた。
「君の手のほうが冷たいよ」
「無能な上官でも風邪をひかれると困るんです」
「無能は余計だよ、無能は」
彼はむうっと眉を寄せて、それから手を繋いだまますたすたと歩き出す。
「私は平気だよ。君の家で暖まって、それから君に栄養のあるものをたっぷり食べさせてもらうからね」
「え、大佐?」
角を曲がり進んでいくこの道は彼の家とは逆、そして私の家の方向だ。
「まさか私の家に来るつもりですか?」
「マフラーのお礼にね」
くるりと振り向いて彼はいたずらが成功した子供のように笑う。
まったく人の予定も聞かないで勝手に。
こんな深夜に予定も何もないけれど。
「マフラーを借りたいなんて一言も言ってません」
「私が貸したいんだよ」
「お礼にならないじゃないですか」
「そうだね」
こんな時間まで仕事だったというのに彼の足取りはスキップでもしそうなくらい軽い。
こんな様子じゃ、野菜はどれくらい残っていたかしらと考えざるをえない。
「大佐」
「ん?」
「大佐もマフラーつけてくださいね」
「それってお揃いにしようってこと?いいね」
「違いますから」
街灯の少ない道路に響くのはかたい軍靴の音と、柔らかい笑い声。
暗い夜空に真っ白い息が浮かんで消える。
紺色のマフラーからは彼のにおいがした。
ずっと昔、まだ少女だった私にもこの人は同じようにマフラーを巻いてくれた。
あの時のマフラーは確か黒だったかしら。
あったかくて、照れくさくて、そしてくすぐったい、こんな感情を一気に教えてくれたのはこの人だった。
ああきっと、あの時から私はマフラーでぎゅうっとされるみたいにこの人に心を掴まれていたんだわ。
ちょっと悔しいけれど、そうなんだわ、いい加減認めようかしら。
「中尉、手が痛いよ」
「いい気味です」
だから愛おしい人、これからもずっと離さないで捕まえていて。




 


平行線


「…何も、こんなところでしなくても…」
もう力尽きたと言わんばかりに、彼女はフローリングの上にぱたりと身を横たえた。
ほてった体に冷たい床が心地いいのか、眉の間の皺が少しだけ薄くなる。
大きく上下する剥き出しの白い肩とかすれた声がなんとも艶かしい。
「…廊下でなんて、最悪です」
「そう?」
鼻唄でも歌いだしそうなくらい満足げな私の声。
力の抜けたふにゃふにゃの顔で不満を訴えられても可愛いだけだよ。
機嫌よく笑いながら、くったりと横たわる彼女の白い体を爪先から上へ上へと指でなぞる。
柔らかくてしっとりした肌はもうやみつきと言っていいくらい。
顔まで指を巡らせ目尻にたまっている涙を親指で拭ってやると、彼女は気持ちよさそうに手の平に擦り寄り、それから眠るように目を閉じた。
いや、実際眠いのかもしれない。
「少尉?」
「んー…」
「シャワーは?ここで寝ると風邪ひくぞ?」
「はい…」
眠たさ全開の声とは会話にならない。
勢い余っていくつかボタンを引きちぎってしまったブラウスを拾い上げ彼女の肩にかけてやり、そのまま抱き上げる。
そこでふと、あ、と気が付く。
彼女は素っ裸(もちろんすべて私が脱がした)なのに、自分の軍服は乱れもしていない。
ゆっくり服を脱ぐ暇も余裕もなかった切羽詰まった先程の自分を振り返り、思わず苦笑する。
そもそも彼女が玄関のドアを開けた瞬間に飛び掛かったのはちょっと、いやかなり乱暴だったかもしれない。
中央での出張により彼女に会えない日々が続き、思っていた以上に自分は彼女に飢えていたらしい。
思春期真っ盛りの男子学生じゃあるまいし、というかもういい年なのに、がっつきすぎだ。
だから。
「…たまってたんですか?」
と言いたくなる気持ちも分からなくはないのだけれど。
「…リザちゃん、そういうことは言っちゃだめだよ」
胸に金色の頭を預けている今にも寝てしまいそうな彼女の顔を、なんともいえない気持ちで見つめる。
昔はこんなこという子じゃなかったのに。
もどかしすぎるくらい純情で純粋で真っ白な子だったのに。
いやでも、いつも怖いほど冷静かつ真面目な彼女が私の腕の中では下品なことを言ってしまうのは妙にそそるな。
「…中央のお嬢さん方が誰も相手してくれないなんて珍しいですね」
「うん?」
ベッドに体をおろしてやり、そそられたところでもう1回と首筋に舌を這わしたところで、彼女からまた問われる。
「彼女方、誰も相手してくれなかったんでしょう?」
「彼女方…?」
言っている意味が分からず、彼女の言葉をそのまま繰り返す。
「だったら私のところじゃなくて、こっちのお付き合いしている方のところへ行けばいいでしょう。みなさんきっと待ち焦がれてますよ」
私は明日も朝早いんですから、と彼女は私にくるりと背を向け枕に顔を埋めてしまった。
やがて白い肩が規則正しく上下しはじめ、今度こそ本当に彼女は眠ってしまったらしい。
「…中央とこっちの彼女?」
彼女の言葉が頭にがつんと突き刺さる。複数形だったし。
確かに中央にもこちらにも、世間的には恋人と呼んでいい女性はハボックあたりに分けてやりたいくらい、そりゃあもうたくさんいる。
それは認める。
だけれどそれは情報収集や上を目指すための付き合いで……そうじゃないこともたまーにあるけれど。
「…でも私は君だけだよ」
だから中央に行ってもご婦人方の誘いを片端から断り、そのせいで彼女の言う通りたまっていたわけで。
「私には君だけなのに、リザ」
じゃあなんだ、彼女は性に目覚め少年のようにお盛んな上官に夜も振り回されている部下のつもりでいるわけか。
断るとあとが面倒だからとかそういう理由で、ロイ・マスタングではなく上官としての私に抱かれていたというのか。
やばい、そう考えると本気で涙が出そうだ。
「…振り回されているのはどちらかといえば私の方なんだけどね」
今も昔もどうも彼女とは通じ合うことができず、なにかと苦い思いをしてばかりだ。
だけれどこの天然娘に愛おしさは募る一方できっともう止まらない。
私の気持ちも知らず、子供のように枕にしがみついてすーすーと寝息をたてている彼女が妙に腹立たしく頬を軽くつねる。
明日にはこのとんでもない誤解がとけますように。
それからこれからは自分の非でもある女性関係に気をつけようと心に決めた。








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