1.君は親愛なる共犯者 2.頬 3.首 4.足 5.指 「今回もひどかったみたいですね」 いささか乱暴に椅子に腰をおろすと、机のそばに立つ彼女が気の毒そうにこちらを見る。 「地方からはるばる出て来て嫌味のオンパレードだからな。あの方は相当お暇らしい」 能無しのくせに口だけは達者な将軍殿の相手を勤めた私は今たいへん機嫌が悪い。 不機嫌を隠しもせずに顔を歪め、盛大にため息をつく。 「少尉、ちょっとこっちに来てくれないか」 「はい……え、ちょっと中佐!」 部屋に二人きりなのをいいことに、労ってくれと私は椅子に座ったまま彼女の腰に手を回す。 腕に力を込めて抱き寄せながら、怒りが鎮火してくれるのをただひたすら待つ。 今回ばかりはさすがの私も平常を装ってはいられない。 「テロ組織はまだ捕まらないのか、書類の処理が遅いんじゃないのかのって、まったくうるさいオヤジだよ」 「…何かあったんですか?」 私の髪を撫でながら、彼女は顔を覗き込んでくる。 「いつものあなたらしくないです。普段は嫌味も軽く流しているでしょう」 心配そうな彼女の顔に、私はしばし目を丸くする。 参ったな、どうやら私は彼女に隠し事が出来ないらしい。 言うか言わないかしばし迷ったが、どうせばれているのだからと口を開く。 「あのエロ親父に、ところで君の副官はどうかねと実にいやらしい目付きで聞かれてね。殴ってやろうかと思ったよ」 彼女には言わないが、自分を抑えるのに苦労したせいで手には爪の痕がある。 「そんなことですか」 「そんなことってね、君…」 淡白なのはときに利点になるかもしれないが、もう少し自分のことを気にしてほしい。 「気にすることないでしょう。言わせておけばいいんです」 「君をあんな目で見るのを私が許しておけるわけないだろう」 またふつふつと怒りが湧いてきて、腰に回す手に力を込める。 「もう少しの辛抱です。いずれそのような馬鹿げたことを聞くこともなくなるでしょうから」 「うん?」 「あら、中佐があの方の椅子を奪ってくださるのでしょう?」 顔を見上げると、当然でしょうというように鷹の目は笑っている。 「…まったく、ときどき私は君が恐ろしいよ」 「思ったことを述べたまでです。それよりも中佐」 「なんだね」 「先ほどハボック准尉から新たに報告をうけました。やはり将軍はあの事件の裏で手を引いていると見て間違いないです」 「よし、ようやく尻尾を出したか」 彼女から手を離して立ち上がり、ばしんと机に手をつく。 「今すぐみんなを呼んでくれ。将軍がこちらにいる間に始末してしまおう」 「了解です」 ぴしっと姿勢を正して敬礼する姿はまったく頼もしい。 するどい鷹の目をもつ彼女は有能な副官、そして最高の共犯者。 「君がいればそれだけで心強いな」 部屋を出て行った彼女を見送りながら、ひとり呟いた。 せっせと洗濯物を干していく彼女を手伝いもせず、草の上に腰を下ろしてただぼーっと眺める。 フェミニストと自負しているくらいだ、決して不親切なわけではない。 ただ、手を出すと彼女が「お弟子さんに手伝いをさせるわけにはいきません」と怒るのだ。 「見てるの、楽しいですか?」 シーツとシーツの合間から顔を覗かせ、彼女が聞いてくる。 「うん、楽しいよ」 「ふうん、変わってますね」 シャツを叩きながら、家の中で本でも読んだ方がいいのに、と彼女が笑う。 茶色の瞳が見えないくらい細められた目の形がとてもきれい。 これだから飽きないのだ。 愛らしい顔、細いくせに柔らかそうな体、そんな彼女を見ていて飽きるわけがない。 まるで小動物を見るような感覚で彼女をじっと眺めるのはもう習慣のようなものだ。 ちなみに最近のお気に入りはまだ幼さの残る、丸みのある頬だったりする。 真っ白な頬はすべすべしていて柔らかそう、そしておいしそう。 「噛んでみたいな」 「はい?」 洗濯挟みを手に彼女がくるりと振り向く。 「噛んだら甘い味がしそうだな。うん、絶対そうだ」 「……今日のマスタングさん、変ですよ」 ああ本当に、私は変だな。 そう自覚しながら、くすくす笑う彼女の頬をいつか噛んでやろうと思ってしまうのだから困ったものだ。 「……リザちゃん、痛かったんだけど」 「それはよかったです。思いきり痛くしましたから」 そう言って彼女は何もなかったかのように私から離れ、再び必要な資料を探し始める。 鈍い痛みの残る首をさすると、噛み痕がしっかりついたのが確認できた。 抵抗をやめて大人しく肩に顔を埋めたと思ったらこれか。 「上官に噛み付くとはどういうことかね、中尉。キスしたかっただけなのに」 「大佐、次は首に銃弾のあとがつきますよ」 「恥ずかしがらなくていいんだよ。資料室には私と君の二人だけだ」 「たい…っ」 声をあげようとする口を自分のそれで塞いで、資料の並ぶ棚に彼女の体を押し付ける。 「というか君ね、間違ってるよ。噛まれたら余計にそそるに決まってるだろう」 覚えておきたまえ、と忠告して私は反撃を開始した。 遊んで遊んでと黒い頭をした大きいのと小さいのにせがまれて、私は困り果てていた。 久しぶりに家でゆっくりできるのに、のんびり本を読む暇もない。 とりあえずソファに腰をおろし、黒い小さな方を膝に乗せて首の下を撫でてやる。 久しぶりに構ってもらえるせいか、膝の上で尻尾をぱたぱた振って喜び、私もその様子に目を細めた。 「中尉、私も膝に乗りたい」 一方、黒い頭をした大きい方はソファの足元であぐらをかいて、むっと不機嫌な顔をしてこちらを見上げている。 「最近この子に構ってやる暇がなかったんです。大佐は本でも読んでてください」 「私だって最近君に構ってもらってないぞ」 「大佐とは仕事で毎日会ってたでしょう」 「それだけで足りるわけがないだろう」 唇を尖らせて不満をもらしているのが子供っぽい。 それでももういい年なんだから、やっぱり構うのは小さい方が先だ。 「中尉、私だって寂しいんだよ」 「そうですか」 「………構ってくれないなら」 次の瞬間、足先に痛みを感じて顔を歪めた。 視線を落とすと、足首を掴んだ黒い頭が親指を口に咥えているのが見える。 「もう!犬ですかあなたは!」 「犬よりもたちが悪いだろうね」 今度は噛み痕を丹念に舐め始める黒い頭に盛大にため息をはく。 「しつけしなきゃいけませんね」 「ぜひそうしてくれ」 うとうととし始めた小さな方をそっとソファに移し、私は大きな方の黒い頭を撫でてやった。 「…香水の匂いがします」 「え?」 彼女の形のよい唇をなぞっていた指を止めて、頭の中で質問を反復する。 香水……ああ、さっきのあれか。 「いや、さっき視察に出掛けたとき、偶然知り合いの女性に会ってね」 「…それで?」 「会いたかったといきなり抱き着かれてしまったんだよ。いやあ、あれにはまいったね。そのときに香りが移ったんだろう」 「ずいぶん嬉しそうですね」 「そりゃあ、女性に抱き着かれて嬉しくない男は……痛っ」 急に指先に痛みが走り、思わず声を上げてしまう。 彼女の唇にあてていた指を噛まれたのだと理解するまでしばし時間を要した。 「え、しょ、少尉?」 「そんなことがあったのでしたら、人肌寂しいと言って私に抱き着いてくる必要はないでしょう」 「あ、いや、それは…」 「仕事に戻ります。誰かさんのおかげで書類が山のように溜まっていますので」 失礼しますと頭を下げて、彼女は執務室を出て行ってしまった。 心なしか廊下から聞こえる足音が、いつもの冷静な彼女と違って乱暴な気がする。 「今のって……やきもち?」 指に残った噛み痕を眺めながら、今すぐ確認しなくてはと彼女を追いかけた。 |