幸せにしてあげるよ、と耳元で囁くと、彼女は弾かれたようにぱちりと目を開き、そしてまじまじと私を見つめた。 「眠る寸前にそんなこと言われると、思わず『はい』って返事しちゃいそうになりますね。効果抜群ですよ」 さっきまでの眠たそうな様子から一転して、今の彼女は好奇心いっぱいの子供みたいだと思った。 私の何よりも固い決心を好奇心なんかでひと蹴りされるなんてたまったもんじゃないけれど。 おまけに、本番では誰に言うんですか?なんて可愛くないことも言ってきて、本当にたまったもんじゃない。 しかし哀しいかな彼女に冷たくされるのには慣れているので、こんなことでいちいち傷つく私ではないし、傷ついてもいられない。 「で、君には効果抜群だった?」 「聞くまでもないでしょう」 先程のどこかきらきらとした幼い表情が嘘のように、素っ気なくそう言うと彼女はまた瞳を閉じる。 お嬢さん方が黄色い声をあげる極上の笑顔を彼女のためだけに作ったのに、それを見ようともしなかった。 盛大に溜息をつきたくなるのを、シーツに広がる金髪を指先にくるくると絡めることでなんとかごまかす。 部屋に電気はついておらず、カーテンから差し込む月明かりが頼りの薄暗い状態だというのに、彼女の金の髪が美しいということだけははっきりと分かる。 しかしこんな状況ではまったく愛でる気にはなれなかった。 ここで諦めてしまえばいつものように失敗に終わり、また後悔と溜息のみの日々が続くのだ。 残された道はただひとつ、効果抜群と言うのだから、彼女にも効果抜群になるまで延々と口説き続けるのみ。 「君に背中を託されたときに望んだのは、皆の幸せと君の幸せだったんだ」 彼女の耳に口付けてしまいそうな近さで、世間では「いい」と言われている低い声を落とす。 与えてくれるばかりで何も求めない君を今度は私が幸せにしたいんだ。 論文のように長ったらしい、それでも半分も伝えきれないように思う愛の告白をつらつらと囁く。 彼女は返事も頷きも返さず、身動きひとつしないで、まるで眠っているかのように静かにそれを聞いていた。 途中、彼女が本当に眠っているのではないかと心配になりそろそろと頬に触れてみると、彼女の肩がぴくりと動き安心する。 おまけに指先に感じる体温がいつもより高い気がして、今日こそ口説き落とせるかもしれないと思わず笑みを深めた。 「大佐」 続けようと口を開きかけたところで、彼女が再び気だるそうに目を開く。 金の睫毛に縁取られた瞳はいつもより潤んでいるように思えて、心臓がどくんと大きく跳ねた。 「……大佐は、私に関わらないでください」 てっきり甘い言葉を囁くと思っていた愛らしい唇から、甘いどころか反対に私を突き放す言葉が出てきた。 あまりのことに何も言えずあんぐりとだらし無く口を開けていると、彼女はさらに続ける。 「部下って割り切ってしまうとか、あなたを追って軍に入った馬鹿な女って思っていただいても結構です」 彼女は何を馬鹿なことを言っているのだろう。 しかし私を見つめる二つの紅茶色は至って真剣だ。 「…そんなこと、できるわけがないだろう」 「そうでしょうね。あなたはとっても優しい方ですから」 彼女が体を少しだけ起こすと、ベッドがぎしりと音をたてた。 まるで駄々をこねる子供を宥める母親のように、彼女は優しく髪を撫でてくる。 「だからといって、私のことまで背負い込まないでください。大佐はただ前だけを見ていればいいんです」 咄嗟に言い返そうとすれば、口を開くのよりも先に彼女の白い指が私の唇をそっと押さえた。 「私はあなたと幸せになるためではなくて、幸せな未来を作るためにここにいるんです」 彼女の瞳は、背中を任せると命じた時と同じく、何にも揺るがないような、そして見る者を射抜くような力強い色をしていた。 その瞳に捕らわれてしまったかのように体ひとつ動かせずただ見つめ返していると、ふっと雰囲気を柔らかくして彼女が笑う。 「……それと、あなたの重荷になってしまうのが、私は怖いんです」 先ほどの彼女からは想像もできない、今にも泣きそうな顔だと思った。 彼女の言っていることはよく分かる。 私のことを大事に思ってくれていることも、私が望むものを実現させるためにこう言ってくれていることも。 重荷になりたくない、邪魔をしたくないと恐れ、彼女が必要以上に気を張っていることも、私はよく知っている。 そもそも、多くの人たちの未来を奪ってしまった私たちが幸せになれるはずなど有り得ないのだ。 「…私は、君を幸せにしたいと思うよ」 指先と唇の隙間から漏れた懇願にも似た声に、欲張りですね、と彼女は小さく笑う。 その笑みひとつで頭の中を真っ白にしてしまうほど私の中に住み着いている彼女に関わることも、夢を見ることも、私は許されないのだろうか。 「……リザ、何と言うか」 「大佐、私はもう疲れたので寝ます。おやすみなさい」 次に何と続ければいいのか迷っていると、言うが早いか彼女は枕に顔を埋めてしまった。 まさか自分の言いたいことだけ言って、そしてさっさと寝てしまうつもりなのか。 「ええ、君、このまま寝るの?本当に?」 剥き出しの肩を揺すると、彼女は嫌そうに眉を寄せて、やめてください、と言いながらそっぽと向いてしまった。 私の手を振り払うかのようにシーツを引っ張りあげ、それにくるまる彼女は本当に眠ってしまう気らしい。 「大佐の声って、なんて言うかとっても心地いいので聞いてて眠くなるんです」 そっぽを向いたまま、珍しく甘ったるい声でそう言われて、明らかに媚びていると分かるのにこれではどうにも起こせなくなってしまう。 結局、彼女を揺さぶっていた手を渋々と引っ込めて、彼女が寝息を立て始めるのを大人しく聞いているしかなかった。 ――私はまた彼女を口説くのに失敗してしまったという訳だ。 「こうしているだけで、私は幸せですよ」 眠りにつく少し前、うとうととしながらこう彼女は呟いた。 確かに私だって、こうして肌と肌を合わせて体温を分け合って、直に鼓動を感じて、ただそれだけで、まるで夢を見ているみたいに幸せだ。 多くの未来を奪ってしまった私の側に彼女がいるということは、手にしてはいけない幸せではなかったのかと時々考えてしまうほどに。 今のままで充分だと、そう分かっている。 それでも。 「…君を幸せにしたいんだけどなあ…」 さらなる幸せを望む私は、やはり彼女の言う通りとんでもなく欲張りなのだろうか。 |