「いえ、大佐の方が私よりもずっと可愛いですよ」 君って本当に可愛いな。 肩に顔を埋めてきたかと思えば彼がそう言うものだから、私は慌てて反論した。 すると彼はぱっと顔をあげて、それまで上機嫌だったのが嘘のように不満げに唇を尖んがらせる。 そんな顔をするせいで童顔がますます幼くみえて、思わず黒髪をくしゃくしゃと撫でてみたくなったけれどやめておく。 すっかり忘れていたけれど、可愛いと言うとこの人は機嫌を直すのに手間がかかるくらい拗ねるのだ。 いつものごとくぶつぶつと文句を言い始めた彼を適当にあやしながら、本当のことなのに、と心の中で呟く。 昔から、というかこの人に出会ったときから、ひそかに彼のことを可愛らしい人だと思っていたのだ。 そして、最高に可愛い人だと私の中で決定付けられたのは、忘れもしない、彼と初めてキスをしたときだ。 食事のあとに私を部屋に連れ込むのも、ソファーに二人で並んで座り、そこからじりじりと距離を詰めていくのも、まるで映画を見ているみたいに上手だった。 とっても紳士で行動も言葉も何もかもが優しくて、本当は下心なんてないんじゃないかと思うくらい。 今思えば完全に彼のペースに乗せられていただけなのだけれど、彼が覆いかぶさってくるのも、左手を優しく握ってくるのも、その時は自然なことに思えた。 たぶん私たちはこうするべきなのだと、何故か急にそんな気になって流されるままに目をつむった。 けれど次の瞬間に降ってきたのは口付けではなく、うわっという彼の短い叫び声と、それからなんと頭突きだった。 甘い雰囲気には相応しくないごつんという音のあと、不意打ちすぎる痛みに涙目になりながら目を開ければ、彼もまた両手で額を押さえ苦悶の表情を浮かべていた。 ごめんなさい、本に躓きました。 前髪を掻き分け、おそらく彼と同じく赤くなっているだろう私の額を慎重に撫でてながら、彼は眉を思い切り下げて謝る。 視線を下に向ければ、彼の足元には錬金術書らしき古びた本が数冊転がっていた。 昔から片付けができず、床や机に次々と物を放ってしまう人だということをふと思い出す。 エスコートをするのも甘い雰囲気を作るのも溜息が出そうなくらい上手なのに、どうして肝心なところで失敗してしまうのだろう。 きっと彼と関係のある女性達は、完璧に見える彼のちょっと抜けたところが堪らない、と思っているに違いない。 私も例に漏れずそういう人間のようで、会ったこともない女性達に心の中で力強く同意した。 結局そのあと甘い雰囲気を取り戻すことはできず、キスは彼の失敗に耐え切れず笑い出した私を黙らせるため、という形になった。 あのとき本に八つ当たりをした彼の言葉だとか、笑うなよとしかめた顔だとかを、私は意地悪にもまだはっきりと覚えている。 というように、彼はそれはもうとっても可愛い人なのだ。 ハヤテ号と遊んでやっているつもりが遊ばれているところも、私が言うことを聞かないとすぐ「私は君のことを師匠に頼まれているんだ」と言い出すところも。 何か良からぬことを企んでいるときや後ろめたいことがあるとき、私の機嫌をとるようにリザちゃんと呼んでくるのも、彼の愛すべきところ。 あ、それからつい昨日、行為が終わったあと、疲れきったくたくたの体をなんとか動かして彼に背中を向けたときも。 いつまでも元気なあなたの相手をする気にはとてもなれません、ということを体で示したつもりだったのだけれど、彼はそれがお気に召さなかったらしい。 うとうととし始めた私が眠るのを邪魔するように彼はしきりに話し掛け、寂しいからこっち向いてとねだってきたのだ。 遊びたいならハヤテ号とどうぞ、私は疲れたのでもう寝ます、などと適当に返しているうちに彼の機嫌はますます急降下していった。 しばらくそんなやり取りを続けたあと、彼は最後の手段とばかりに、頭が痛いかも、と明らかに頭痛なんてしていないと分かる楽しげな声で言ってきた。 顔を見なくたって、彼が勝ち誇った笑顔を浮かべていることが易々と分かる。 体の不調を訴えれば私が振り向かざるを得ないことを、この人はよく知っているのだ。 まるでわがままな子供みたい。 そんな悪態をつきながらも彼の方に振り向く私は、ヒューズ中佐のように子煩悩な親の気分だ。 大佐のこと甘やかしすぎですよ、とよくハボック少尉に笑いながら言われる。 本当にその通りで返す言葉もない。 私はこの人のことをきっと駄目なくらい甘やかしすぎていて、そして彼もそのことを知った上で甘えてくるに違いない。 熱なんてないと分かりきっているけれど一応彼の額に手を当て、手の平に伝わるいつもの低い温度にほっとする。 そしてベッドの下に放り投げられていたシャツを着せようと体を起こした途端、急に肩を強く押され、そのまま彼に覆い被さられた。 少しは厳しくしないと、といつも思うのだけれど、ことごとく失敗してしまう。 結局私はこの人を甘やかすのが大好きなのだ。 だってとてつもなく可愛いから。 そのあと彼が満足するまで付き合ってあげたため、今日は少し寝不足気味だ。 私は可愛いんじゃなくてかっこいいんだ、と膨れっ面で文句を言い続けている彼を欠伸を噛み殺しつつ見上げる。 可愛いと言われるのがそんなに嫌なのだろうか。 そもそも、執務室で抱き着かれている今の状況にも「彼の可愛いところ」が少し関係しているのに。 書類の山を半分片付けたら中尉に触る、という彼が勝手に決めたルールに私は今付き合わされているのだ。 彼にとってこのルールは愛の確認とかなんとか、とっても重要な意味があるらしいのだけれど、私にしてみれば「なんだか可愛い」の一言で終わる。 そんなことより、残り半分の書類もさっさと片付けてもらわなくてはいけないのに、彼が機嫌を損ねたままじゃまずい。 ものすごく不本意だけれど、私は彼に可愛いと言ってしまったことを謝ることにした。 「大佐、ごめんなさい」 「なにが」 案の定拗ねた声が返ってくる。 「これからは可愛いと思っても心の中に留めておくことにします。今後は決して口に出さないので、さっきのことは許してください」 「…それじゃ何も変わりないじゃないか!」 我ながら良い打開策だと思ったのに、彼の眉の間の皺は深まるばかりだ。 「上官としても男としても君に可愛いと思われるのは絶対にいやだ」 「可愛い大佐は私の自慢ですよ」 「全然嬉しくない」 機嫌をとろうと言ってみた言葉も逆効果のようで、今度は私が困ったなと眉を寄せる。 「大佐の可愛いところが大好きなのに」 隙を見せるのも甘えてくるのもきっと私だからだと自惚れられるし、と口には出さずこっそり付け足す。 ふと、しかめ面を作っていた彼の表情が和らいで、代わりにあんぐりと大きく口が開かれた。 それに構わず話を続ける。 「そもそも私が大佐を好きだから大佐のことを可愛いと思うんですし、これは仕方な…」 全部を言い終わる前に頭のうしろを掴まれ、そのまま軍服に顔をぎゅうっと押し付けられた。 「大佐?」 結構な力で押さえ付けられて目の前は何も見えず、彼を呼んだ声はくぐもっている。 「君はたまにとんでもない爆弾を落とすよな」 「爆弾?というか、あの、すごく苦しいです」 「今の顔を見たらまた君はからかうだろうから少し我慢して」 本当にわがままな人だと呆れつつ、彼の言う通り大人しくしていることにした。 息が少し苦しいけれど、いつもより速い彼の鼓動の心地よさに免じて我慢する。 「私は君のこういうところが可愛いと思うよ」 だからそれはあなたです、と言いそうになったけれど、約束通り心の中だけに留めておくことにした。 |