ファンダンゴ



リザ・ホークアイ少尉がロイ・マスタング中佐を猛烈に愛しているということは、東方司令部においては誰もが知っていること、いわば常識だったりする。
しかし当の本人である彼女は、そんなに寄せなくてもいいのではと思うほど眉を寄せ、それを否定する。
少尉が言うには「中佐の頭のおめでたさにはとてもついて行けません」。
まあ彼女は照れ屋さんなのでそんな素っ気ない態度をとるけれど、少尉に愛されまくりの日々は今日も幕を開けるのだ。


「…女の子がそんなにがつがつと歩くものじゃないよ、少尉」
軍靴で廊下を破壊できるのではないかと思うほどの力強さで歩く彼女を、うしろを振り返りつつ注意してみるが、ひと睨みされるだけで終わった。
細められた鷹の目は、目が合っただけで身を切られそうなくらい鋭くて、思わず背筋に嫌な汗が伝う。
私の副官殿はただいまご立腹中なのだ。
普段は喜怒哀楽を態度に出さないはずの彼女が、誰が見ても怒っているとはっきり分かるほどに。
執務室についても彼女の怒りは全くおさまらず、少々乱暴な手つきで机の上の書類を整理し始めた。
そんな彼女の様子を眺めつつ椅子に腰掛けた私は、組んだ手の上に顎を乗せ、とうとう我慢できず頬を緩めた。
廊下を歩いているときは何とか堪えていたものの、一度にやけてしまうとどうにも抑えられない。
「それにしてもさっきの君、ずいぶんかっこよかったなあ」
にやにやしながらそう言えば、彼女は書類を整理する手を一瞬だけ止め、黙ってろとでも言いたげに私を睨んできた。
しかし彼女と違って上機嫌な今の私は、そんなことではひるまない。
「あの将軍に向かって、『天候に関わらず無能な方よりはましです』なんて言うんだもんなあ」
私が止めるのも聞かずにずばずばとねえ、と笑う私に対し、彼女はますます顔をしかめる。
つい先程、地方から来ていた将軍に廊下でばったり会ってしまい、いつものごとくつらつらと嫌味やら文句やらを聞かされていたときの話だ。
そうですね、なんて適当に返事をしつつやり過ごしていたのだが、「無能」と将軍が発した瞬間、後ろに控えていた彼女が耐え兼ねたように反撃を開始したのだ。
「『お言葉ですが』なんて君が言い出したときは冷や冷やしたよ」
にやけながら彼女の顔を覗き込んでみれば、彼女は私から逃げるように、書類の端を机でとんとんと揃えながら顔をぷいと逸らす。
「なんかこう…愛を感じた」
両手を左胸に当て、うっとりとしながら先ほどの勇敢な彼女の行動を再び回想してみる。
しかしそれはバンッという、上司に書類を差し出すには相応しくない音で遮られた。
恐る恐る目を開ければ、そこには相変わらずご機嫌ななめな彼女が立っている。
「大体ですね」
「…はい」
ドスの利いた普段よりずっと低い声に、思わず敬語が出てしまう。
「役立たずとか仕事が遅いとか、何を言われても言い返さない中佐が悪いんですよ」
「…いや、何を言われても言い返しちゃいけないって、いつも君が言っているだろう」
「あんなのに無能なんて言われて黙っている訳にはいきません」
「あんなのって、君、外に聞こえちゃうから」
ね、と彼女の後ろにある薄い扉を指差すと、彼女はそれに気付いたのか途端に口をつぐむ。
彼女は小さく息をはいて、それからきゅっと唇を引き結んだ。
「……余計な真似をして、申し訳ありませんでした」
そう言いながら深く頭を下げる彼女は、いつもの冷静な副官に戻っている。
「うん。君の遠回しな嫌味にあの馬鹿は気付いてなかったけど、一歩間違えばかなり危なかったな」
「すみませんでした」
「次からは気をつけるように」
「はい」
緩んでいた表情を引き締めて厳しい声でそう言えば、彼女の顔がみるみるうちに強張り、紅茶色の瞳が伏せられる。
彼女のことだから真面目に受け止めて、私には想像もできないくらい反省しているんだろうなあ…。
なんて思いながら、叱った本人は暢気にも、顔に影を落とす金の睫毛の長さを頬杖をつきつつ眺める。
そして、真面目で冷静でいつも落ち着いている彼女が私のために怒ってくれたという事実を、しつこくも再び噛み締める。
「……うん、私って愛されてるなあ」
「いえ、それは絶対にありませんから」
「少尉、愛する私のために危険を冒してまでどうもありがとう。嬉しかったよ」
「ですからそれは中佐の勘違いです」
しみじみと呟けば、言い終わらないうちにものすごい素早さで否定が入る。
そして、無能に無能と言われるのが許せなかっただけです、なんていつもの照れ隠し。


ひとつ間違えれば軍法会議もののことから、深爪を心配するという小さなことまで、彼女の愛に溢れた行動は、数えてみれば手と足の指が全然足りないくらいなのだ。
そういえばこの前は、風邪をひいた私の看病を泊まりがけでしてくれたっけ。
あの時も、咳込んだ私の背中を優しく撫でる手だとか、私の大嫌いなにんじん抜きのスープだとかに、それはもうひどく感動したものだ。
思い出せば思い出すほど、不器用で意地っ張りな彼女の愛情がひしひしと感じられる。
うん、やっぱり私って彼女にものすごく愛されているじゃないか。


だから、よく食堂で彼女と親しげに話している男と一緒に、彼女が夜の街を歩いているのを見かけたとき、一番始めに感じたのは「裏切られた」に近いものだったと思う。
そして次に、私には滅多に見せない笑みを浮かべて男に別れを告げる彼女に、説明のつかない怒りを感じた。
気が付けば、男と別れて帰路へつこうとする彼女の背中を、人込みを掻き分けながら追い掛け、そして彼女の腕を掴んでいた。
「えっ…中佐っ!?」
腕を掴まれたことにも私がいることにも驚き、目を丸くする彼女をぐいぐいと引っ張って、人通りの少ない路上へと連れて行く。
その間、彼女はずっと何かあったんですかとしきりに呼び掛けてきたが、私は黙れと叫びたかった。
薄暗い外灯の下で足を止め、彼女の方へ振り向き、まるで威圧をするように彼女を上から下まで眺める。
いつも化粧っ気のない彼女の目元や唇に色が付いているのが分かって、余計に腹立たしくなる。
膝丈の白いスカートにも、いつもは絶対に履かない少しだけヒールの高い靴にも、全部に文句を言ってしまいたい。
どうして私が怒っているのか分からないのか、私を見上げてきょとんとしている彼女に、思い付く限りに罵倒を浴びせたい、そんな気分だった。
「どうして他の男と一緒にいたんだ」
「はい?」
紅茶色の瞳が、訳が分からないとでも言いたげに細められる。
「どうしてって…おいしい店があるから行かないかって誘われたんです」
「なんで行くんだ」
「…なんでって言われましても」
怪訝そうに眉をしかめる彼女を見下ろしながら、ますます苛々してくる。
頭に疑問符しか浮かべていないだろう彼女にも、そして自分にも。
彼女に言わせたいのも私が聞きたいのも、そういうことではないのだ。
「……あの、中佐」
一連の出来事をどこか他人事のように眺めていた彼女が、ふと口を開く。
「なんだ」
「中佐の言葉を借りて言えば、今とっても愛を感じます」
「は?」
何を馬鹿なことを、そう言おうとした時、苛立ちしかなかった頭に彼女の言葉がすとんと落ちてきた。
まさか、でも、いやそうなのか?
否定と肯定の言葉がぐるぐると頭を駆け巡り、そして出てきた答えはやはりこれだった。
下手すれば笑い話になりそうなくらいおかしな答えだけれど、今はこれしか思い浮かばず、そしてこれ以上に納得のできるものはない。
「……少尉」
「なんでしょう」
「今、とんでもなく有り得ないことをひらめいてしまった」
「はい」
「私はどうやら君のことが好きらしい」
「そのようですね」
真面目にそう告げれば、彼女も同じく神妙な顔で頷く。
こんな会話を二人して真面目にするなんて、人のいない夜の路地裏にはとても似合わない。
そして、東方の美女達を一人も余すことなく抱いたという噂を持つこの私にも、まったく似合わない。
ふと、彼女の手首をずっと掴みっぱなしだったことに気付き、慌てて手を離す。
「…あー、その…いろいろすまなかったね」
「いいえ」
結構な力で掴んでしまっていた手首をさすりながら謝れば、彼女はふふっと笑いながら首を横に振る。
まるで子供の失敗を許す母親のような愛に満ちた笑みを浮かべる彼女を見て、思わず口元を手で覆った。
今までは、彼女が笑えばこちらも笑いたくなるという父親のような心持ちでいたけれど、恋心とやらを自覚した今は、そんな生易しいものでは済まされない。
「…そうか、君が私を好きで、私も君を好きなのか…」
胸をぎゅっと掴まれるような気分を味わいながら、手に覆われた口でもごもごと呟く。
しかし、それをじっと眺めていた彼女は途端に笑みを消し、いつもの無表情に戻る。
「いえ、私は中佐のことを好きではありませんので、勘違いはやめてください」
「今さら照れることはないんだよ、少尉」
「…勘違いもここまでくるといっそ清々しいですね。では、もう遅い時間なので私は失礼します」
暴言と共に切り出された別れに、にやにやと緩みきっていた顔が思わず固まる。
「…少尉、それは冗談?」
「なんで私が冗談を言わなきゃいけないんですか」
呆れたような彼女の様子に、今度は開いた口が塞がらない。
おやすみなさい、と頭を下げて早々と踵を返した彼女の腕をがしっと掴む。
彼女は本当に帰ってしまう気だ。
「待ちなさい少尉!」
「ちょ…なんですか」
「この状況で帰ろうとするなんて君はおかしいぞ!せっかく君の片思いが実ったのに!」
「…ですから、何度も言いますがそれは中佐の思い込みです」
肩を揺さ振りながら訴えてみても、彼女は取り合おうとはせず、ちらちらと腕時計を確認するばかりだ。
「…少尉、君おかしいぞ。もしかして頭のネジがひとつ足りないんじゃないか」
「失礼ですね。中佐よりはまともです」
「君、私のこと好きなんだろう?さっきあんなに可愛く笑ってたじゃないか!」
「笑ってましたっけ?」
「…君はどうやら恋愛とかそういうのに疎いようだな。今さら手順を踏むのも面倒だし率直に言う。今からベッドの上で愛の語らいを…」
こうなったら口説くときの最終手段を使うしかないと、私の手にすっぽりとおさまる彼女の両手を握りながら訴える。
しかし彼女に効果はなく、迷惑そうに私を見つめていた茶色い瞳が、だんだんと軽蔑の色を乗せて細められるだけに終わった。
「…最っ低ですね」
私の話を最後まで聞かず、また暴言を残して、くるりと背を向け歩き出した彼女を慌てて追い掛ける。
「こら!少尉待ちなさいっ!」
「お嬢さん方にあんなこと言ったら殴られると思うので気を付けた方がよろしいですよ」
「少尉、走るなってば!」
「もう!ついてこないでください!」
その日の夜、目にも麗しい美男子が美女を追い掛ける光景が東方の各地で見られたとか見られなかったとか。


「君って素直じゃないよなあ」
書類をせっせっと整理する彼女を、頬杖をつき眺めながら呟く。
まるであの夜の出来事がなかったかのように、私たちの関係は何ら変わりがない。
そして私は相変わらず、照れ屋でちょっとおかしいところのある彼女に愛されまくりの日々を送っている。
「中佐、口より手を動かしてください」
「分かってるよ」
「それから、変なこと考えていると額に穴が開きますよ」
「はいはい」
怖い顔でそんなことを言っても、あとで私好みのぬるめのコーヒーを持ってきてくれることを、私はちゃんと知っている。
まあ、変わったことを強いて挙げるならば、私が彼女の行動を以前より何倍も嬉しく思うようになったことか。
「最近、上司と部下の恋愛っていうのもなかなかいいと思うようになってきたんだよ」
「……もうやだこんな上官」








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