いつも格好つけている彼の格好悪いところを見つけるのは、それほど難しいことではない。 例えば、本に夢中になりながら食事をしていると、彼は必ずと言っていいほど口の端に食べこぼしをつけている。 それからこの前は、夜中に急に彼が目を覚ましたかと思えば、顔面蒼白で遅刻するだの着替えなきゃだの一人で騒いでいた。 カーテンの向こうが真っ暗なのを見て、すぐに自分が寝ぼけていたことに気が付ついていたけれど、あの時の彼は本当に見物だったと思う。 そして今回も、まだ十分に覚醒しきれていない彼は、椅子に座り眠たそうに目を擦っている。 この様子だと、自分の犯した小さな失敗に気が付くのはまだ先のようだ。 そんなことを考えながら朝食とコーヒーを彼の前に置き、向かいの席に座る。 「大佐、早く食べないと遅刻しますよ」 「分かっているよ」 大きな欠伸をひとつしたあと、のんびりとした動きでフォークに手を伸ばす彼を、コーヒーカップを片手に眺める。 いつものことながら、私は何も起こっていないかのように振る舞うのが上手ではない。 コーヒーカップで隠してみるものの、弧を描いている口元に彼は目敏くも気が付いてしまった。 「中尉?」 今にも眠ってしまいそうだった瞳がいつもの鋭い切れ長のものに変わり、不審そうにこちらを伺う。 そして、彼は私の視線を辿った末に下を向き、ようやく私が笑いを堪えている理由に気が付いたようだった。 「……逆だ」 「逆ですね」 彼と私の視線の先には、裏表が逆になっているTシャツ。 だらしない彼のことだから、床に脱ぎっぱなしにしていた服を適当に着たためにこうなったのだろう。 コーヒーカップをテーブルに戻し、私はようやく心置きなく頬を緩ませた。 「うっかり屋さんですね、大佐」 彼が拗ねるのを分かっていながらこんなことを言うなんて悪趣味だとは思う。 けれど、うっかりしている彼が堪らなく可愛くて、ついこうやってからかってしまうのだ。 案の定、テーブルの向こうで彼は盛大に顔をしかめた。 「…気付いていたのか。君は相変わらず嫌な女だな」 「あまりにも可愛らしかったので、つい見とれてしまいました」 乱暴な手つきでフォークをテーブルに置きながら、彼は私の言葉にむっと唇を尖らせた。 そんな彼の様子など気に留めず、縫い目とタグが出てしまっているTシャツを遠慮なく眺める。 「着替えるの手伝ってあげましょうか?」 努めて笑わないようにしながら、荒っぽくTシャツを脱ぎ始めた彼に聞いてみる。 もうちょっと眺めていたかったとも告げたかったけれど、これ以上彼に不機嫌になられたら困るのでやめておく。 「結構だよ、中尉」 すっかり拗ねた様子でTシャツをひっくり返している彼は本当に可愛らしい人だ。 「中尉ー、お腹すいたー」 「分かりましたってば」 寝室の扉越しに、リビングからの呼び掛けに答える。 ソファに座る彼は、私が食事を作り始めるのを今か今かと待っているのだ。 急いで軍服の上着をハンガーに掛け、ブラウスを羽織る。 家にいる間くらいはゆっくりしたいと思うが、早く着替えて作り始めないと彼はうるさく文句を言うのだ。 今夜のメニューのレシピを頭に思い浮かべながら、足早に寝室の扉へ向かった。 「中尉、私はものすごくお腹が空いた」 「さっきも聞きました」 ソファに凭れて座っていた彼は、私が扉を開けると同時にぱっと顔を上げ、なおも早くと急かす。 「早く作ってほしいな、中尉。あ、絶対ににんじんは抜きで……」 ふと、彼のわがままな注文が急に途切れた。 何が起こったのかは知らないが、彼は私を見上げたまま動かないのを横目で捉える。 しかし早く夕食を作ることしか頭になかった私は、それをあまり気に留めず、ソファの背に掛けてあったエプロンを手に取った。 そしてキッチンへ足を向ける。 が、それは突然後ろから彼に腕を掴まれることによって阻まれた。 「大佐?」 何だろうと思い、振り返ると、そこには子供のように無邪気な笑みを浮かべている彼がいた。 しかし、とても嬉しそうな彼とは正反対に、私は途端に体を強張らせる。 彼がこんなにも無邪気に笑うとき、たいてい私にとって良くないことが起きるのだ。 私が表情を固くしたことに気が付いたのか、彼はより一層笑みを深めた。 「中尉、ボタン」 「え?」 心底楽しげに笑いながら、彼は私の首の辺りを指差す。 彼の指の先に視線を落とすと、そこには本来ならボタンが掛かっているはずの衿が、変な形で折れ曲がっていた。 さらに下を見ると、ブラウスの丈の長さが合っておらず、片方は短いのにもう一方は長い。 「……掛け間違い」 「掛け間違いだな」 彼は嬉しそうに私の言葉を繰り返す。 その笑顔は、言葉にするのならば「してやったり」というところだろう。 彼が急に上機嫌になった真相が分かって、私は本格的に身の危険を感じ始めた。 忘れていたけれど、彼も私のうっかりしているところをからかうのが大好きなのだ。 いや、からかうというそんな可愛らしい言い方では済まされない。 いじめる、という表現の方が合っている。 「中尉はうっかり屋さんだな」 それに加えて、彼は今朝のことをしつこくもまだ根に持っているようだった。 今日はただじゃ済まされないのを予感して逃げることを考えるものの、彼に腕を掴まれているため叶わない。 それどころか、ソファから立ち上がった彼は、私が後ずさるまでもなくじりじりと追い詰めてきた。 「……今、セントラルでは」 「うん」 彼が一歩進むごとに、それに合わせて私も一歩下がる。 「ブラウスやシャツのボタンを一個ずらして着るのが流行しているそうですよ」 「ほう」 「大佐ともあろう方が知らなかったんですか?明日、ハボック少尉にでも聞いてみるといいですよ」 「へえ」 「なので、これはわざとです」 「ふうん」 破れかぶれの言い訳は何の役にも立たず、逆に彼を楽しませてしまっているようだった。 そして、小さな部屋の中での追いかけごっこは長く続くはずがなく、とうとう背中が壁に当たってしまう。 さらに最悪なことに、彼はすぐ隣にある寝室の扉のノブに手を掛けた。 それだけはどうしても避けたかったのに。 ここまできてもまだ私が逃げる手立てを考えていることなどすっかりお見通しであろう彼は、相変わらず楽しげにその様子を見下ろしている。 「大佐、お腹減っていたのはどうしたんですか」 「中尉があまりにも可愛いから、そんなことすっかり忘れていたよ」 最後の悪あがきもむなしく、ついに彼は寝室の扉を開けた。 子供のような笑顔とは裏腹に、私の肩を押さえ込む手は痛いほどに力強い。 そして、彼は私の耳元に唇を寄せ、まるで今にも歌いだしてしまいそうな上機嫌な声を出す。 「マスタングさんが着替えるのを手伝ってやった方がいいらしいな、リザちゃん」 「いえ結構です。本当に結構です」 「遠慮しなくていいから」 今朝私が言ったことを一字一句覚えている彼の執念深さに痛くしているうちに、あっという間に寝室に押し込まれてしまう。 ――今度から彼をからかうのを控えよう。ちょっとだけ。 寝室の扉が閉まっていくのを絶望的な気持ちで眺め、彼に存分にいじめられるのを覚悟しながら、そう心に決めた。 |