「睫毛も金色なんだね」
ずっと前から知っていたくせに、あたかも今気付いたかのようなそぶりで、そっと瞼に触れた。
目の前の少女はいきなり触れられて茶色の目をいささか大きくしたものの、おとなしく手を受け入れる。
驚いたその表情がたまらなく可愛くて、彼女の好きなところをまたひとつ発見してしまった。
自分にはロリコンの気があるのだろうか。
年の離れた、身長なんて自分の肩ほどもない少女にこんな気持ちを抱くとは、恋は恐ろしいものだ。
人よりも若干女性関係が激しいと自負しているが、こんな幼い少女に思いを寄せたことはもちろんない。
そういえば、彼女のように金髪に茶色の瞳をした女性と付き合ったことがあったけれど、その時は特に髪も瞳も美しいとも思わなかった。
それなのに彼女の金髪と茶色の瞳ときたら、もう可愛らしくてきれいで、ずっと眺めていても飽きない自信がある。
つまりあきれるほどに彼女に夢中で、大好きすぎるのだ。
それから、少し丸みの残る幼い顔立ちも、柔らかそうな腕も、細い肩も、触ってみたいくらい魅力的。
今すぐにでも彼女の体のひとつひとつを指でなぞって確かめてみたい衝動にかられる。
が、彼女の気持ちを考えずにそんな勝手なことできるはずがない。
自分に我慢は似合わないと思うが、彼女は愛する人と同時に困らせたくない人なのだ。
そういえば、女性に対して、大事にしたいと宝物を扱うように慎重に接することははじめてだ。
「すごくきれいだね」
だけれど、自分は年頃の男、たまに軽く触れるくらいは許してほしい。
瞼からそっと手をすべらせて、さりげなく金の頭をなでる。
柔らかい髪をわずかなあいだ堪能して、名残おしいが手を離す。
一連の行動をきょとんとした顔で受け入れていた彼女は、手が離れると急ににっこりと笑った。
「マスタングさん」
「うん?」
「マスタングさんの黒髪と黒い睫毛も、きれいだと思います」
少し顔を赤くし、はにかみながら照れの交じった声で彼女が言う。
褒めたつもりが褒め返された。
愛おしさ満載の仕草つきで。
その可愛さときたら、勢いあまって彼女を抱きしめなかった自分を称えてやりたいくらいだ。
ロリコンでも変態でもなんでもいい、何とでも呼べ。
とにかく彼女は愛おしすぎる。
彼女は最初で最後の恋、最愛のひと、もう可愛いったらない。
やり場のない気持ちをなんとかやりすごすため、口を手で押さえて天を仰いだ。







ときどき窓の外の空を遠い目をして眺めていることがある。
この時ばかりは仕事中ですよと咎めることができない。
その黒い瞳は何を見ているの?
何を思って、何を求めて、何を追うんだろう。
私の入れない領域に彼がいるようで、ひどく焦って悲しくて、それから悔しい。
「リザちゃん、今日はシチューがいいな」
かと思えば、いきなり振り向いて、声を掛けられず立ち尽くんでいた私にこう言うのだから彼は分からない人だ。
というか今晩私のところに来るつもりなのか。私の予定も聞かずに。
「よろしくね。あ、ほうれん草はいれないでくれよ」
……この人は本当につかめない。







「送っていただいてありがとうございます」
車から降りてぺこりと頭を下げると、いいんだよと車の中の上官は笑う。
寒いのだから窓を全部さげることないのにと思うのだけれど大佐がそれに気づくはずもない。
「こんな遅くに女性をひとりで返すわけにはいかないだろう?」
さすがフェミニストと豪語するだけのことはある。
部下にも女性扱いするのを忘れない。
さっきも車から降りようとする私を制し、ここは男がと言ってドアを開けようとしてくれた。
もちろん慌てて止めたけれど。
こういうところがあるから女性に人気なのかと妙に感心してしまう。
「それじゃあホークアイ中尉、また明日」
「はい、また明日」
ドア越しの大佐に、ぴしっと姿勢を正して敬礼する。
「あ、それから中尉」
「はい」
「好きだよ」
「え」
大佐と呼び掛ける前に、彼は口元に笑みをたたえながら車を出してしまった。
私はただその場に立ち尽くし、小さくなっていく車をただ見ることしかできない。
「…これも、もてるわけかしら」
私ですら引っ掛かる彼のテクニックには脱帽だ。







君がいないとつまらないよ。
君がいないと君のことばかり気になって仕方がない。
君がいないと君に会いたくなる。
君がいないとだめなんだ。
つまり君がいないと生きていけない。

「……よーく分かりましたから、非番のたびに電話をかけてくるのはやめてください」







机の上に置いたろうそくの火がゆらゆら揺れて、それと一緒に壁の木目もゆらゆら揺れる。
短いろうそくだったから、きっともうすぐ溶けて灯りは消えてしまう。
でも――
「みて、犬」
とつぜん壁に大きな黒い影が現れた。
正体は隣で寝ている彼の伸ばした手。
手を組んで不器用に指を動かし、犬の影絵を作って遊んでいる。
犬の形がちょっといびつなのが彼らしい。
この手で、これから彼は焔を作って世界を変えていくんだ。
今は無邪気に影を作るこの手も、いつかは多くの人を殺してしまうのかもしれない。
「リザ?眠くなった?」
反応を示さない私の顔を、彼は心配そうに覗きこんできた。
そんなわずかな動きでも古びた小さなこのベッドはみしりと軋む。
「もう遅いからね。そろそろ寝ようか」
「…はい」
ちょうどその時、ろうそくの火がふっと消えた。
小さな私の部屋は一気に闇に包まれて、それに比例するように不安も大きくなる。
思わずすがるように彼の手を握った。
「リザ?」
「…絶対に死なないでくださいね」
「…大丈夫だよ」
真っ暗で何も見えないけれど、彼が微笑んだのが分かった。
涙が出そうなくらい柔らかく笑うこの人は、もうすぐこの家を出て軍人になる。
そして世界を変えるために焔を操る。
――この人の役に立ちたいと思った。
強いけれど弱くて、タフだけど脆い、そして優しすぎるこの人の側にいたい。
今は消えてしまったろうそくよりも力のない私だけど、いつか彼の助けになりたい。
いつか、いつかきっと彼の隣へ。
私より一回り大きな手をぎゅっと握り締めながら、心に小さな焔が灯るのを感じた。







司令部の門を出て左手に進み、三つ目の街灯の下で足を止めた。
街灯に寄り掛かり、片手をポケットに突っ込んで、もう一方の手では銀時計の蓋を開く。
時間なんてどうでもいい。
ただ、時刻を確認する行為がまるでデートみたいだと気に入っているだけなのだ。
約束した時間よりもずいぶん早くここに来たが、きっともうすぐ彼女もここに来る。
コツコツと耳に馴染んだ靴音が聞こえてきて、引き締めていたはずの口元が呆気なく緩んだ。
軍靴を履いていようとハイヒールを履いていようと、彼女の足音だけは決して間違えない自信がある。
「大佐、お待たせしてすみません」
「私が早く来過ぎたんだから気にしなくていいよ」
「…あの遅刻魔の大佐が珍しいですね」
謝った次の瞬間にはこうして責めてくるのがとても彼女らしい。
「私がデートの待ち合わせに遅刻するような男とでも?」
「……デートじゃありません」
からかうようにそう言えば、化粧をした可愛い顔はじっくりと眺める前にぷいと横を向いてしまった。
私を置いてすたすたと歩きだしたので、慌てて彼女の後を追う。
「いつも仕事をさぼっている上官が、苦労かけてばかりの副官を少しでも労うために食事をごちそうするだけです。デートじゃありません」
デートじゃありません、のところをやけにはっきりと大きな声で言う。
白い頬を膨らませるこの彼女の顔を見るのは何度目になるのだろう。
彼女は本当に昔っから意地っ張りだ。
私もあまり人のことは言えないのだが。
「そうか、これはデートじゃないのか」
「当たり前ですっ」
「そう、なんだか残念だな」
「何が残念なんですか」
「何だと思う?」
いつもの私たちの会話。
しかし、私の前を歩く彼女の顔が笑っているのが見なくても分かる。
そして私も彼女と同じく訳もなく笑っている。
デートみたいだ、と浮かれているのはどちらも同じなのだ。
白い膝元でふわふわ揺れるスカートも、昼間よりも少し濃い口紅も、香ってくる甘い匂いも、私は見逃したりしない。
そう、浮かれているのはどちらも同じなのに、この距離は何なのだろう。
気づけば前を歩いていたはずの彼女は私のうしろを歩き、しかも私たちの間には数歩の距離がある。
これでは司令部の廊下を歩いている時とまったく同じだ。
彼女との距離が無償に寂しい。
せっかく彼女が可愛い格好をしていて、私も楽しくて、二人とも笑っているのに、それなのに。
「た、大佐!?」
「たまにはいいだろう」
彼女が驚きの声を上げたのと、私が言い訳の言葉を素早く言い放ったのはほぼ同時だった。
でも、たまにはいいと思うのだ。
デートっぽいと喜ぶのなら、本当にデートにしてしまえばいい。
手を繋いだだけなのに彼女はすっかり顔を赤くして固まってしまい、そう言う私も心臓の音が半端なくやばいが。
いい大人が揃いも揃って、本当にどうしようもない。







私と彼女は付き合いが長すぎたのだと思う。
昔からまるで兄と妹のように仲良しで、そして「仲良し」が恐ろしいほど体に馴染んでしまった。
例えば、我慢できずに手を握ってみれば、彼女は驚くことなく当然のように握り返す。
そして、その手を引いてコートのポケットにしまい込んでも、彼女は何の疑問も感じず寄り添ってくる。
そこに存在するのは愛と恋とかじゃなくて、残酷なほどに純粋な「仲良し」。
「中佐の手、あったかいです」
「うん」
彼女があまりにも無邪気に笑うから、素っ気ない返事しかできなかった。
彼女にとってこれは昔よくした戯れの延長でしかないのだろうか。
形のよい唇も、見惚れてしまう横顔の輪郭のラインも、もう少女ではなく悔しいほど大人の女性のものな のに。
少女から大人へ変わる彼女を一番近くで見てきた私も、少年ではなく大人の男になった。
清く正しい関係もいいけれど、心も体もそろそろきついのが本音。
ポケットの中でこっそりと指をなぞる手があの頃と違うことに、もっとほかの場所も触りたいと望んでい ることに、君は気付いてる?
出来るならばポケットに入れて連れて帰りたいと本気で思う。
けれど、彼女を愛おしく思う分、下心などまったく知らないようなあの紅茶色の瞳に私はとても弱いのだ 。
小動物を思わせるこの二つの目に見つめられれば、私の良からぬ企ては一気に崩れる。
願うことはただひとつ。
どうか我慢出来なくなる前に、彼女がこの気持ちに気付いてくれますように。







「大佐って」
「うん?」
「ハヤテ号みたいです」
珍しくにっこり笑ったかと思えば、次に彼女は私の頭をよしよしと撫でた。
彼女の言葉通り、異性にするというよりはまるで犬にするかのように。
「ハヤテもよくこうやってじゃれてくるんです」
「…ああそう…」
無邪気に笑う彼女が見ているのは、いま抱きしめている私ではなくて、ここにいない愛犬なのか。
というか私はじゃれたつもりじゃなくて男として結構真面目に抱き着いたのに、というか仕事中にじゃれてくる上司だと思われているって、それってどうなのリザちゃん。
呆気にとられているうちに、緩んだ腕から抜け出した彼女はいつもの副官の顔に戻っていて、そしてびしっと机を指差す。
「大佐、そろそろお仕事を」
「……はい」
これじゃ愛犬にハウス!と言っているのとまるで変わりがないじゃないか。
飼い犬に犬扱いされるのも悪くはないけど、もう少し色っぽい場面でがいいなあ、なんて思ったり。
頬杖をつきながら上の空で書類をめくり、考えるのはもちろん犬から恋人に昇格する方法だ。







「私には君が何を考えているのかさっぱり分からないよ」
「知っています」
「君がどう思っているかなんて私にはまったく関係ないけどね」
「だと思いました」
「でも君に嫌だと思われるのはものすごく傷つくかもしれない」
「そうですか」
「で、今ものすごく嫌そうな顔をしているけど、実際はどうなんだい?」
キスの合間にぺらぺらとおしゃべりをするなんて彼はなんて行儀が悪いのだろう。
いつの日か、ムードってとっても大事なんだよ、と真面目な顔をして私に説いた男はどこの誰だ。
さらにキスをしてしまってからその良し悪しを聞いてくるとは「いい男マスタング」の名を剥奪決定だ。
「まあ君が嫌がっても私は聞かないけどね。君が心底嫌だって顔するの、結構好きなんだ」
いい男どころか、ひどい最悪消えてしまえの三重奏の最低男だったことが発覚した。
しかし私は心優しい故か腐れ縁故か、この最低男にクッションを投げつけ、「さようなら」と家を出て行くなんてことはしない。
代わりに、私の返事など待っている様子もなくまた好き勝手言い始めた彼に、唇を押し付けることで答えを返してやった。







何でもしてあげたくなっちゃうんです。
構って欲しいとねだられたらどんなに疲れていても結局相手をしちゃいますね。
彼が飽きても私がまだ物足りないと感じることもあったりするんです。
それから、もう何をされても憎めないんです。
きれいにしたばかりの部屋を汚されても、眠っているのを邪魔されても、あの真っ黒な瞳で見つめられるとつい許しそうになるんです。
もちろんお説教はしますけどね。ええ、銃を片手に。
この間もティーカップを割ったり書類を踏んづけたりしていたので、きっちりと叱りました。
ですから、はい。もちろん銃と一緒に。
叱ったあと、下を向いて落ち込んでいる顔が可愛くてつい抱きしめちゃいましたけど。
可愛いといえば、たまに食べこぼしを口につけているところや鼻の上の皺も愛らしいんですよ。本当に。
いつまでたっても子供みたいなところがありますけど、でもとっても優しいんです。
私に元気がなかったり具合が悪かったりすると、どうしてかすぐに気付くんです。
そして私がどこに行くにも一緒について来て、絶対にそばから離れようとしなくて。
何かをするわけでもないんですけど、ただ黙ってずっとそばにいてくれるんです。
それだけでもう救われますね。
彼なしの生活なんて想像もしたくありません。ありえないです。


「……中尉、君はそこまで私のことを」
「いえ、ブラックハヤテ号のことです」







「私、大佐の考えていることは大体分かるんです」
「えっ、じゃあ今私が君にミニスカートをはかせて、下着が見えるか見えないかの絶妙なところを床にはいつくばって眺めて楽しみたいと思っていたのも!?」
「……心臓と脳みそ、どちらをぶち抜かれたいですか?」








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