私を「リザ・ホークアイ」として見てくれた人が、この世界にたった一人だけいた。 小さな私の中に押し込めてある寂しさも、意地っ張りなところも、どこかぽっかりと開いた穴も、すべてを見透かすように、私に触ってくれた人がいた。 しかし、それは錯覚だったのかもしれないと、あとからすぐに気が付いた。 その人は、私の背中に禍禍しく刻まれた暗号を解読すると、すぐに私の元から去ってしまったから。 人に道具として使われ、生きることには慣れていた。 いや、道具として生きる方法しか私は知らない、と言った方が正しい。 私は道具としてしか必要とされていない。 それで構わなかった。 誰も「リザ・ホークアイ」など見ていないのに、道具としてでさえ必要とされなくなってしまったら、きっと私は発狂してしまう。 幼い頃は父の秘伝の伝承のため、戦時中は狙撃手として、そして今は、あの人の楯のために、私は生きている。 幸か不幸か、私を「リザ・ホークアイ」として見てくれていたかもしれない人に、私は仕えていた。 ロイ・マスタング。 「大総統になって、この国を変える」 とても言葉でなんかは言い表せない、あのひ悲劇のあとにも関わらず、彼は強い瞳で、強い声でそう言った。 今まではただ流されるままに生きてきたが、彼の道具になることは、自ら志願した。 これが最初で、そして最後の、道具としての、そして「リザ・ホークアイ」としての意志だろう。 彼のためなら誰だって欺くことができる、誰だって撃てる、汚くなれる――死んだって構わない。 彼の道具として生き抜き、そして死のう。 私を射ぬくような漆黒の瞳を、彼に負けじと見つめ返しながら、そう決心した。 今まで私を道具として扱ってきた人間にもそうだが、彼にも、「リザ・ホークアイ」をどう思われようが、まったく関係なかった。 そもそも、彼は、副官で部下で護衛官で、そして楯である「リザ・ホークアイ准尉」しか見ていない。 彼が「リザ・ホークアイ」を嫌いだろうと、逆に無関心だろうと、どうだってよかった。 道具として役に立てるのなら、必要とされているのなら、そこに「リザ・ホークアイ」はいらないのだから。 また眠れない夜がやってきた。 これは戦後の後遺症ではなく、幼い頃からずっと続いているものだ。 薄汚いくすんだ天井をぼんやりと眺めながら、私は何者なのだろうと考える。 これも物心がついた頃からの疑問だった。 私は。 今の私は、マスタング少佐の副官で、護衛官で、楯だ。 大丈夫。 ちゃんと必要とされている。 父にも、イシュヴァール戦の時も不本意ではあったが必要とされていたし、そして現在、彼にも、必要とされている。 小さな頃から、そう何度も何度も確認しては、安堵していた。 しかし、次の疑問のせいで、私の心はさざなみ出す。 じゃあ、「リザ・ホークアイ」は、何者なのだろう。 「リザ・ホークアイ」は、何に、誰に、必要とされているのだろう。 ふと、昔の彼が頭に浮かんだ。 今よりも黒髪が短くて、背も少し低い、目尻を思いきり下げて笑う彼を思い出す。 「リザ、君は笑った方が可愛いぞ」 「寂しいときは素直にそう言えばいいのに」 「何か困ったときは、まずは一番最初に俺に言うこと!」 あの頃の彼は、何かと私の頭をくしゃくしゃと撫でながら話した。 やたらと子供扱いする人だと、思わずむっとした。 けれど、それが嬉しかった。 眠れないのは、こんな昔のことを思い出すのは、やはり彼のせいだ。 何もかも、すべて彼のせいなのだ。 今日、休憩時間に、昔のように私の髪に軽く触れて、「少し伸びたね」なんて言うからだ。 道具ではなく、ホークアイ准尉ではなく、「リザ・ホークアイ」を見てくれているのではと、また勘違いしてしまいそうになる。 「リザ・ホークアイ」は誰にも必要とされていないのに、もしかしたら彼にならと、縋ってしまいそうになる。 こんな私を、彼は嫌うかしら。 急にそんな考えが頭をもたげた。 いいや、嫌われたってどうでもいいではないか。 彼の道具として必要とされているのなら、「リザ・ホークアイ」なんてどうでもいい。 そう言い聞かせて、無理矢理目を閉じる。 結局、その晩、私は一睡もできなかった。 それは仕事帰りだった。 買い物を終え、腕時計を見て少し遅くなったかななどと考えていた時、私は通りを歩く足を止めた。 車道を挟んだ向こうの通りに、彼がいた。 彼は、帰路につく人でごった返している人混みの街でも目立つ人なのだ。 そして何より、あの人と長年の付き合いにある私が、彼を見逃すはずがない。 もちろん彼は一人ではなかった。 彼の隣には、小柄な可愛らしい女性が歩いていた。 もっと分かりやすく言えば、私とはまったく正反対の、周りに大切に育てられたお姫様のような女性だ。 今日が彼のデートの日であることは、もちろん知っていた。 だから彼はいつになく早く仕事を終えてうきうきと帰り、だから私も店が開いている時間に街にいることができるのだ。 彼がデートをしているところを目撃するのは、長い付き合いの中でも初めてだった。 隣の女性に夢中なのか、彼は私の視線にまったく気が付いていない。 それをいいことに、私は思わず彼と隣の女性に見入ってしまった。 二人は腕を組み、彼は悪戯っぽい顔で女性の髪を撫でて、そして頬と頬とを近付け合い笑っている。 彼が髪を撫でるということは、誰にでもすることなのか。 そうぼんやりと考えているうちに、二人の後ろ姿がだんだんと遠ざかる。 あの女性は、彼にとって何者なのだろう。 少なくとも、彼から命令を受けて動いたり、彼の楯になったりする存在ではない。 彼女は、彼の道具ではない。 彼女は「彼女」だ。 そして、彼は道具ではない彼女を、「彼女」自身を見ているのだ。 目の前が一気に暗くなったような気がした。 そういう人間達がいることを私は忘れていた。 いいや、忘れていたかったのだ。 考えたくなかった。 私のように道具として必要とされているのではなく、その外見を、その中身を必要とされている人達がいるのだ。 私とは違う。 私は、「リザ・ホークアイ」は、その人達とは違う。 二本の足で立っているのが難しくなってきた。 目眩がする。 早く家に帰ってベッドにもぐり込みたい。 でも帰りたくない。 早くここから立ち去りたい。 なのに動きたくない。 もう何もかもが面倒で、何も考えたくない。 かろうじて顔を上げ、見上げた先にあったのは、きらびやかなバーの看板だった。 頭が真っ白なまま、ふらふらと、そこにしか居場所がないかのように店内に入る。 もう何だっていい。 ここにいたい。 でもいたくない。 私は酔ってしまいたいのだろうか。 そう、何も考えられないほど酔ってしまいたい。 いいや、酔ってしまわなくてもいい。 もう訳が分からない。 カウンターに座り、人形のように動かなくなっている私に一人の男が近付いていることに、私はまったく気が付かなかった。 「リザ・ホークアイさん、ですよね?」 男はそう言いながら、私の隣の席に腰を降ろした。 緩慢な動作で、面倒臭いともいえる動きで、男の方へ首を動かす。 ぎこちなく、明らかに緊張しながら笑みを浮かべる男と目が合った。 私は驚きに目を見開いた。 しかし、頭に浮かんだ馬鹿げた考えをすぐに否定する。 違う、と。 その男の顔には見覚えがあった。 確か―― 「いつか四番通りのカフェで相席になったことがあるのですが、覚えていますか?」 私が言おうとしたことを、やはり緊張気味に、先に男が口にした。 四番通りのカフェは私のアパートの近くにあり、混むこともなく雰囲気も良いので、立ち寄ることが多かった。 だが、たまたま店が混んでいた時に、この男と一度だけ相席になったことがあった。 それからも、何回か店で見掛けたことがある。 「……あの、実は、その時からあなたのことが気になっていまして。名前はウェイトレスから聞き出したんです。…すみません、勝手にそんなことをして」 ウェイトレスの口が軽すぎる。 あの髪の茶色い小さな女が、私の名を彼に教えたに違いない。 いつもの私ならそう眉を寄せていただろうが、今はただ、男の顔に見入っていた。 「先ほど、偶然あなたを通りで見掛けて、そして思わず追い掛けて来たのですが……」 男の話は頭に入ってきていなかった。 ただ、先ほどの「リザ・ホークアイ」という響きを、心地よくうっとりと思い出す。 階級を抜きにして名前を呼ばれたのは、ずいぶんと久しぶりだ。 まるで、あの人に名前を呼ばれたみたい。 我慢できず口元が緩んだ。 男はそれを好意と受け取ったらしいが、私にはどうだってよかった。 私がこの男を覚えていたのは、彼に、ロイ・マスタングに似ていたからだ。 声は彼より少し高く、そして残念ながら身長も彼より高い。 しかし、この黒い髪と黒い瞳は、彼を思い出さない方が無理だ。 「誰かと待ち合わせをしているわけではないんですよね?私で良かったら、一緒に…」 「……ええ」 この男は、彼によく似たこの男は、私を「リザ・ホークアイ」として見てくれるだろうか。 バケツが引っくり返ったかのように雨が降りしきる中を、私は走っていた。 もう追いかけてきているはずがないと分かっているのに、死に物狂いで走る。 傘など持っていないし、おまけに雨のせいで視界が悪いが、その雨ために人の気配がまったくないのは不幸中の幸いだった。 街灯の少ない道を駆け抜け、ようやく自宅であるアパートが見えた時、安堵のあまりまた涙が溢れ出した。 古びた廊下を、もつれる足で、片方だけ靴の脱げた足で、何とか走る。 部屋の前につき、震えの止まらない手で鞄から鍵を取り出そうとした時、突然、扉が開いた。 体を大きく揺らしながら顔を上げる。 そして、驚きよりもまず、私は恐怖に目を見開いた。 今、目の前にいるのは―― 「准尉!」 その聞き慣れた声に、糸が切れたように私はその場に崩れ落ちた。 本物だ。 先ほど私を襲おうとした男ではなく、彼だ。 今一番会いたい、そして今一番会いたくない、ロイ・マスタングだ。 彼は廊下にうずくまったまま動かない私を無言で抱き上げ、部屋の中に入った。 彼の決して安物ではないだろうジャケットに、水分をたっぷりと含んだ私のブラウスが張り付く。 彼は私を抱えたままバスルームの扉を少々乱暴に開けた。 そして、まだ震えを止めることのできない私をタイルの上に降ろし、シャワーのコックを捻る。 先ほどの冷たい雨とは違った、温かな雨が上から降ってきた。 彼は支えをなくした人形のようにうなだれている私の前に、ゆっくりと屈み込む。 「何をされた」 バスルームに彼の声が響く。 その声は、心配しているようにも、そして怒っているようにも聞こえた。 やはり隠せなかったかと、私は当たり前のことを思った。 泣きじゃくっている女のブラウスのボタンが引きちぎれ、その下の肌に赤い傷があれば、誰だって何があったのか察しがつく。 「准尉、何があった」 彼がもう一度言う。 私はまだ上がっている息を何とか抑え込み、一度深呼吸をして、ゆっくりと口を開いた。 「……何も、ありません」 「何もありません?」 おうむ返しに彼が言う。 私が俯いているために彼の顔は見えないが、彼が眉を吊り上げたのが分かった。 「自らの意思で見知らぬ男と飲み、気が付いたらホテルにいて、逃げて来た。それだけです」 「それだけ?」 今度響いた彼の声は、明らかに怒りに満ちていた。 「彼が酔った私をホテルに連れ込んだのは予想外でした。けれど、彼に誘われた時から、彼に抱かれても構わないと、心のどこかで思っていたのかもしれません。結果的には逃げましたが」 先ほどまでの震えと混乱が嘘のように、自分でも驚くほど冷静に言葉を紡げた。 呼吸もだんだんと落ち着いてくる。 「だから、何もされていませんし、何もありません」 熱い水が次々と吸い込まれていく排水溝を、私はじっと眺めていた。 面白くも何ともないが、軽蔑に満ちた彼の瞳を見るより、ずっといい。 「……君がそんなに馬鹿だとは思わなかった」 彼は私の顎を掴み、無理矢理顔を上げさせた。 彼は女性になら誰にでも、そして道具に対しても優しいはずなのに、その力は容赦ない。 しかし私は絶対に目を合わせない。 いいや、嫌悪感をいっぱいにした黒い瞳など、私は見ることができない。 「……デート中、街で君を見掛けたんだ。君の様子が変だったのが気に掛かって、デートを途中で切り上げて、君の家に電話をした」 熱いシャワーのおかげで、冷え切っていた体が大分温まってきた。 しかし、体の中のどこかはいまだに冷たいままだ。 「しかし出ない。何となく嫌な予感がして、君の部屋に行った。鍵は壊した。そして、軍や、君の行きつけの店、電話の横にあったアドレス帳の番号に電話を掛けている最中に、君が帰って来た」 今まで疑問に思う暇もなかったが、彼が私の部屋にいた理由はそういう訳だったのか。 しかし、今はそのことについて深く考える余裕がない。 「…君、は……」 彼の言葉はそこで途切れた。 呆れ果てて、失望して、もう何と言っていいのか分からないのだろう。 彼は私を嫌いになっただろうか。 ふらふらと男に抱かれそうになった私を、汚い女だと思うだろうか。 彼に似た男に馬鹿げた夢を見た私に、嫌悪感を抱くだろうか。 いいではないか。 「リザ・ホークアイ」が嫌われたって、憎まれたって、どうだっていいはずだ。 それに心配するまでもなく、彼には「リザ・ホークアイ」なんて見えていない。 彼は道具として私を必要としているのだから、それでいい。 ――いいや、違う。 違う。 私を見て。 嫌ったっていいから「リザ・ホークアイ」を見て、いいや、駄目、嫌わないで。 今までずっと必死に、そして無意識に抑え込んでいたはずの感情が、眩暈を起こしそうなほど頭の中をぐるぐると回りだす。 それを吐き出してしまいたくて、軽く混乱したまま、私は急かされているのかのように、急いで口を開いた。 「……あの男は、あなたにとても似ていました。あなただと思い込むことができるくらい」 急に話し出した私に驚いたのか、顎を掴む手が少しだけ弱まる。 「……彼女が」 泣き止んだばかりの瞳から、また涙が溢れてきた。 「彼女が『彼女』として、少佐に見られているのが羨ましかったんです。あなたの道具ではない彼女が、あなたに必要とされていることが、憎らしいほど羨ましかった」 「……准尉?」 彼は驚いた表情のまま、そっと顎から手を離す。 「道具として生きることは平気です。むしろ、道具として必要とされなければ生きていけません。誰も『リザ・ホークアイ』を見ていないし、必要としていないから」 つい先ほどまでは冷静に、いつものように話せていたのに、だんだんと声が上擦る。 泣いているせいで呼吸が苦しい。 「少佐の、道具であることに不満はありません。むしろ、これ以上ないほど満足しています」 以前、すぐ泣く女は嫌いだと、彼が言っていたことを、私は思い出していた。 無理に決まっているのに、必死に涙を止めようとしている自分が馬鹿らしい。 「なのに、変ですね」 決して言うべきではないことを口にしてしまっている自覚はあった。 これは言ってはいけない。 だって必ず否定されて、私はまた傷つくだけだから。 なのに、分かっているのに、もう止められない。 「あなただけには、道具としてではなく、『リザ・ホークアイ』として見て欲しかったんです」 シャワーよりも熱い涙が、何度も頬を伝って落ちる。 「……誰にも必要とされていなくても、あなたには、『リザ・ホークアイ』を必要とされたかったんです…!」 言い切る前に、体が何か熱いものに包み込まれた。 シャワーではない。 彼に抱き締められているのだと気付くのに、ずいぶんと時間が掛かった。 「……君は馬鹿だ。私の華々しい人生で最初で最後の大馬鹿者だ。最低だ。殴りたいほど腹が立つ」 殴られているのと同じではないかと思ってしまうほど、体に回された腕の力は強い。 泣いていることも手伝って、呼吸がますます苦しくなる。 「君には失望した。そして自分にはもっと失望した。私は君を道具として、見たことも必要としたことも、たったの一度もない」 「…少佐…?」 彼の言葉がうまく理解できない。 「私はいつも困るほどに『リザ・ホークアイ』を見ていて、いつも苦しくなるほど君を必要としているじゃないか…!」 彼の声が震えているように思えたが、それはシャワーのせいなのかもしれない。 少し痛かったけれど、優しくて、心地よくて、そして溶けてしまうのではないかと思うほど熱かった。 使い慣れた自分のベッドの上のはずなのに、彼はまったく違う世界へ私を連れ出した。 「……しょ、さ…」 声が掠れている。 おそらく寝起きのせいではない。 浅い眠りから目を覚ますと、彼は湿っている私の髪を撫でていた。 目が合うと、彼は小さく笑う。 「……やっと泣き止んだ顔が見れたな」 おそらくひどく赤くなっているだろう私の目尻に触れながら彼が言う。 「最中もずーっと泣いていたもんな。そんなに気持ち良かった?」 「……そんなことを聞くなんて最低です、少佐」 「もうロイって呼んでくれないの?」 「……本当に最低」 「最低な君に最低なんて言われたくないな。…まだ痛い?」 「…少し、だるいです」 「そうか。まだ早いから、もう少しだけ眠りなさい」 そう言うと彼は私を腕の中に抱え込み直し、二人でシーツにくるまる。 それから、そうするのが当たり前だというように、彼は軽く口付けてきた。 昨日から思っていたのだが、彼はやたらとキスをしたがる人だ。 「……私はさ」 私が目を閉じようとするのと同時に、彼が口を開いた。 「君に出会った時から、何だかおかしな子だと思っていたんだよ。とても不器用な生き方をしていると思った。君の言葉を借りれば、自分を『道具』としか見れていない」 そう話しながら、彼がまた私の髪をとく。 自分がそう思いたいだけかもしれないが、昨日の小柄な女性に対するものとは、何かが違う気がする。 「君は道具ではなくて『リザ・ホークアイ』であって、そして必要とされている。周りだってそう思っている。これは当たり前のことだ。分かっていないのは君だけだよ、リザ」 彼がまた口付ける。 今度は深い。 キスを挟まないと彼は会話が出来ない人なのだろうか。 気持ち良いから別に構わないけれどと、彼の濡れて光る唇を眺めながら思う。 「師匠だって君を愛していたし、ハボック達だって君を慕っている。私だって、『リザ・ホークアイ』だから君を副官にしたんだ」 眉を寄せながら彼の言葉を頭の中で解読しようとしていると、彼が「難しいことじゃないのに」と苦笑する。 「『リザ・ホークアイ』だから、背中を任せられて、側にいてほしくて、力になってほしいんだ」 彼の言葉がまだあまりよく理解できないのは、私が「おかしくて不器用な子」だからなのか、それとも心地よすぎる彼の体温のせいで眠くなってきているせいなのか、どちらなのだろう。 ただ、彼が私を「リザ・ホークアイ」として見てくれていることだけは、はっきりと理解できた。 あまり思い出したくないけれど、一晩中ずっと彼に教え込まれていた訳だし。 「……君の不器用さに気が付いたときから、私が何とかしようと思っていたんだ。…しかし、遅かったな。今回のことには私にも責任がある」 先ほどまで優しく笑っていた彼が、急に表情を厳しくした。 「もうあんな馬鹿な真似をするな」 「……はい」 「大きな声でもう一回!」 「…はい」 体のいたるところが痛くて、大きな声を出すなどひどく苦痛だが、何とか絞り出す。 彼もそれを充分知っているはずなのに、ひどい人だ。 「今度やったら、次は本気で殴るからな」 彼の二つの瞳には本気という焔が宿っていた。 その気迫に押され、思わず、はいと、今度は小さく呟く。 「……まあ、やはり、私も悪いんだがな…。…自分で自分を殴りたい…」 彼はそう呟くと、険しく吊り上がっていた目を急に下げた。 これは、自分を責めている時の顔。 彼は普段、絶対にそういう感情を顔に出さないのだけれど、私には分かる。 彼がどうしてそんな顔をするのか分からなかったが、そんな顔をしないでほしい。 そんな顔をしないでください、という代わりに、私は彼の汗ばんでいる前髪にそっと触れ、撫でる。 彼は苦笑しながら、私のその手を取り、また唇を落とす。 本当にキスの好きな人だ。 それから彼は手の平に唇を当てたまま、これから君を教育し直さないととか、いっそ一緒に住むかとか、ぶつぶつと呟いていた。 私はそれをぼんやりと聞き流しながら、彼の頼もしい腕に頭をこすりつけた。 人の肌がこんなに心地良いものだなんて知らなかった。 触られるのもキスをされるのも、あの男には嫌悪と吐き気しか感じなかったのに、彼がそうするととっても気持ち良い。 だんだんと瞼が重たくなってきたのを感じながら、もう一度、彼の腕に頬擦りをする。 そして、彼の言葉を思い出してみる。 私は道具ではなくて、「リザ・ホークアイ」であって、そして「リザ・ホークアイ」として必要とされている。 周りにも、そして彼にも。 分かったようで、まだあまりよく分からない。 けれど、きっと、彼がこれからまたゆっくりと教えてくれるのだろう。 ベッドの上ではもう勘弁だけれど。 そう苦笑しながら、この体の中に、言葉にするのは難しい何かが生まれているのを感じていた。 彼の腕の中にいたときから、あの甘さと熱さに翻弄されながら、これは何なのだろうとずっと思っていたのだ。 これは―― 「あ」 私が声を上げると、彼は「まず君に見張りを…」という少々危険な言葉を途中で止めた。 「ん、何?リザ?」 「これが」 私は顔を少し上げて、ロイ・マスタングを真っ直ぐに見つめる。 そして、彼もまた「リザ・ホークアイ」を見つめ返す。 「これが、私があなたを『アイシテイル』ってことなんでしょうか」 初めて口にした、そして初めて意識した「アイシテイル」は、少し違和感があったが、しかし、この気持ちを言葉にするのならば、一番最適なものに思えた。 もしかしたら私は、この人に出会ったときから、もう…―― そのあとのことは、よく覚えていない。 私は我慢して上げていた瞼をようやく閉じたのだから仕方がない話だ。 「…あっ、あい…っ!?…って、リザ!?寝たのか!?」 彼は私の肩をぐらぐらと揺さぶったらしいが、私はもうすでに心地良い眠りの世界へと落ちていた。 「……私だって『愛している』よ、リザ」 これからが大変だな、と呟いた彼の声は、もちろん私には届かない。 |