身勝手な手ほどき



「面倒臭いというか…よく分からないです。そういうことは」
遊び相手の恋人と別れたことを何気なく彼女に話すと、女性にしてはあまりにも素っ気ない返事が返ってきた。
私に突然別れを告げられた女性に少しだけ同情しているものの、こういう恋愛事、しかもそれが遊びとなると彼女にとっては「面倒臭い」ことに分類されるらしい。
彼女の予想通りの答えに思わず笑ってしまった。
私はそこら辺の男共よりもずっと数多くの女性を知っているつもりだが、その中で彼女は類を見ないほど恋愛事に疎く、そしてまったく興味がない。
面倒臭い、まさにその通りなのだろう。
ハボックが恋人に振られる度にどこか見当違いな言葉で慰めている様子を見る限り、恋愛を知ってはいるが、きっと理解などしていない。
彼女は、異性に食事に誘われそして出掛けるという行為を、デートではなく純粋に外で食事を楽しむものだと思っている。
そこに下心が隠れているなんて、彼女には想像も出来ないだろう。
この間、私の目を盗んでほかの部署の男が彼女と食事に出掛けたらしいが、私はその男が哀れでならない。
まさか彼女が「とても美味しかったので、大佐が仕事をさぼった日には是非連れて行ってくださいね」と私に冗談交じりに言ってきたことを、そいつは知るよしもないのだ。
そして、哀れなのはこの私も同じだ。
私は彼女が仕える上官であり、それと同時に良き兄のような存在でもあり、そんな健全な関係をずっと保ち続けるのも楽しいが、私達が男女の関係にもなりうる可能性があることを、少しは気付いて欲しい。
「面倒臭い」で片付けず、誰よりも私の近くにいる彼女に、私が彼女を部下や妹以外の存在としても見ていることに気付いてくれないものかと切に思う。



「…大佐、お疲れなのは非常に良く分かりますが、本日はあとこれだけですので」
書類の上でさっぱり動こうとしない右手を見兼ねて、彼女がため息交じりに仕事をしろと促す。
いつものどこか刺のある彼女の言葉にはっと我に返り、私は慌ててペンを動かし始めた。
「この仕事が終わればお休みになれますし、大佐の大好きなデートだってできますよ」
「……デートねえ」
恋愛というものを呆れるほど分かっていない君がそれを言うのか。
今度は私がため息交じりに苦笑し、次の書類へと手を伸ばす。
が、考え事をしていたせいか加減を調節できず、書類達は私の手から逃げるようにばさばさと床へ落ちていった。
「……私が拾いますから、大佐はほかの書類を先に」
「……すまん」
この疲労困憊している時に何をしているんだという彼女の無言の圧力を感じる。
彼女はあの嫌な二文字を思い浮かべているのだろうか。
机の下に屈み込みてきぱきと四方八方に広がった書類を集める彼女の表情を、仕事をしている振りをしてそっと伺ってみる。
彼女は私の視線に気が付いていない。
伸びかけの髪が邪魔なのか、横顔に落ちてきた髪の束を耳に掛け、化粧っけのない唇から小さくため息を零した。
彼女との健全な関係に、私はなかなか満足している。
しかし、たまに思うのだ。
鈍感で疎い彼女の中に眠っている恋愛感情を無理矢理にでも引っ張り出してみたい、と。
君が珍しく女っぽい仕草をするのが悪いんだ。
それを口には出さず椅子から勢い良く立ち上がると、何事かと彼女が顔を上げた。
私が黙ったまま彼女の向かいに同じく屈み込むと、彼女は不思議そうな表情を浮かべた。
「大佐、書類はもうすべて集め終わったんですけど…」
「うん」
「大佐?」
彼女の手から書類の束を受け取り、その邪魔な紙達を手を伸ばして机の上へと置く。
妙な行動をする私に、彼女が眉をひそめつつ首を傾げた。
「大佐、ご存知の通り書類を拾い終わりましたので、仕事に戻ってください」
「分かってる」
「…というかどけてほしいです」
「どうしようかな」
「…あの、もしかして疲れすぎて頭がおかしくなったんですか?」
「違うよ」
執務机を背にして屈んでいる彼女の両手を取り、失礼なことをいう彼女に苦笑しながら自らの指を絡ませる。
普段のようなセクハラまがいのふざけたスキンシップとは違う、まるで恋人同士がするような触れ方に、彼女が戸惑ったのか眉をぴくりと動かした。
そして、彼女はようやく自分が机と私に挟まれていて逃げられない状況であることに気が付いたらしい。
「あの、大佐…」
彼女の声がわずかながら動揺している。
私はそれに気付かない振りをして、絡ませた彼女の指の体温を味わいながら、白い頬にそっと頭を寄せた。
私と彼女の間の隙間をなくすべく彼女に寄り掛かるようにぐっと近付くと、とうとう彼女は床にぺたりと腰を下ろした。
彼女は私に両手を塞がれているため、銃で威嚇される心配はない。
もとより、彼女にしては珍しく抵抗するという考え自体がないようだ。
隙間なく密着した軍服越しに、彼女の鼓動の速さが伝わる。
手を後ろの机に優しく押し付けて、首筋から頬までを唇でなぞると、彼女の唇から驚きを含んだ小さな吐息がもれた。
白い肌が粟立ち、元から大きな瞳がさらに大きく見開かれるのが見えた。
「え、あの、大佐…?」
いつもの歯に衣着せぬ言葉が見当たらないのか、彼女の口から出るのは弱々しいものばかりだ。
すっかり動揺し赤くなっている耳に唇を寄せると、彼女がぐっと息を飲む。
目をぎゅっと固くつぶり、さらに唇噛んで耐えているところを見ると、やはり彼女は耳が弱いらしい。
軍人、ましてや普段は上官にでさえ銃をちらつかせる人間とは思えないほど、あどけない少女のような彼女をこのまま押し倒してしまいたい衝動に駆られる。
しかし、あまりやりすぎると後で痛い目にあうことは十分に身に染みているので、何とか理性を働かせてこの辺りで止めておくことにする。
「…中尉」
わざと耳に唇を触れさせたまま囁くと、彼女の肩がぴくりと可愛らしく震えた。
「…なん、ですか…」
おそらく頭がとんでもなく混乱しているだろうに、上官の呼び掛けには従順に答える。
飼い主の命令なら尻尾を振って何でも従う子犬のような様子にくすりと笑うと、熱を持っている耳にまた囁きかけた。
「…中尉、私は…」
「…は、い」
彼女の形の良い唇から零れる吐息がいつになく熱っぽい。
この唇に口付けたいのをぐっと堪えて、代わりに絡めた指に力を込める。
「……今すぐに君のいれたコーヒーが飲みたい」
ゆっくりそう告げて、拘束していた指を一本一本丁寧に解放した。
そして、ぽかんとした表情で机に寄り掛かっている彼女を残して、何事もなかったかのように再び椅子に座る。
彼女が集めてくれた書類を手元に引き寄せ、先程のようにペンを動かし始めた。
「……それくらい」
しばらく床にぺたりと座り込み、放心状態だった彼女がゆらりと立ち上がる。
「それくらい普通に言ってくださいっ!!」
耳がキーンとするような怒鳴り声を残して、彼女は赤い耳を押さえながら執務室から逃げるように出て行ってしまった。
耳を隠すなんて珍しく一般女性らしい行為で可愛らしいが、怒りを抑えることができないのかどすどすと女性らしくない足取りで出ていくところも、彼女らしくてまた可愛らしい。
私が上官だということを忘れてしまったのか、彼女は敬礼もなしにばたんと乱暴にドアが閉め、その後部屋に静寂が訪れた。
私から必死に顔を背けて隠していたつもりらしいが、ちらりと見えた横顔は真っ赤だった。
金髪から覗いていた耳も、今さら隠すことなんてないのに。
「……今日はなかなか上手くいったかもな」
普段の冷静な彼女の様子からは想像もできない一面に、つい顔がにやける。
彼女の上官であり、そして兄のような存在である私は、たまに彼女のあまりの疎さに落ち込むこともあるが、この関係をなかなか気に入っている。
しかし、こうして彼女をからかううちに、いつか彼女の深いところにある恋愛感情と目を覚ますのではないかと期待してしまうのだ。
きっと今ごろ怒りながら、そして私との出来事を整理できないまま、それでもちゃんと私のためにコーヒーをいれてくれている彼女に想いを馳せながら、次の悪戯を考え始めた。








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