スカートが皺になるのが全く気にならないのか、リザは正座を崩したような格好でぺたりとベッドの上に座り込んでいた。 出窓に両肘を突き、手の平の上に顔を置いて、リザは窓の外の景色を眺めていた。 私が書斎から寝室に入って来た気配に気が付いているらしいが、リザは外の様子から決して視線を外さない。 何を見ているのかと思い、ベッドの縁に立ち後ろから覗き込んでみると、アパートの前の路上で犬の散歩をしている少年をリザは眺めているようだった。 そういえば昔からリザは犬が好きだったな、などと思いながら私もベッドの端に腰を下ろす。 安物のベッドと違い、耳障りな軋む音を立てずにシーツが静かに皺を作りながら沈んでいく。 リザはやはり振り向くことなく、アパートの下にある路上を何が面白いのか熱心に眺めていた。 リザは、私の家の一室である、この寝室が大好きだと言う。 リザのお気に入りは二つある。 まずは、今のリザと私の間が遠いと感じるくらいの大きなこのベッド。 そして、ベッドが配置されたすぐ上にある、先ほどからリザに外の世界を見せている大きな窓が、リザのお気に入りなのだ。 私がリザを家に呼べば、彼女は必ずこの部屋に訪れる。 それから、司令部にいる時と違って休みの日は意外とのんびりとしているリザはここで昼寝を楽しんだり雑誌を読んだりしているのだ。 昔、リザが非番の日にここで過ごしてもいいように私の家の鍵を渡すと、彼女は「あの部屋を独り占めできますね」と、滅多に見せてくれない笑顔で喜んでいた。 しかし、私にはリザがそれほどまでにこの部屋を気に入っている理由が、持ち主ながらまったく分からなかった。 なかなかこちらに意識を向けないリザの金の髪に何気なく指を絡めながら、この部屋のどこが良いのかを考えてみる。 大きな窓とベッドがあるだけで、私にとってはただ眠るだけの何の面白みもない部屋だ。 リザがいれば殺風景なこの部屋もそれなりに明るく見えるし、リザと共に眠るのならばここはどこよりも居心地の良いものへと変わるが、そうでない時はただの部屋だ。 何でもない寝室、それ以上でもそれ以下でもない。 しかし、リザはこの部屋を一人で楽しみ、そして愛している。 このベッドと窓がなければ、リザは私の元へ訪れないんじゃないかと疑ってしまうほどに。 私とリザを結ぶのは、彼女が私に逆らえない上下関係にあるのと、この部屋だけなのではないかと、時たまそんな考えがぼんやりと頭を過ぎる。 「…リザ」 名前を呼ぶと、私の補佐官になったばかりの時に比べて驚くほど伸びた金髪が柔らかく揺れた。 ようやくリザが外の世界から視線を外して、茶色い瞳で私を見る。 いつもそうだ。 リザを呼ぶのも求めるのもいつも私、彼女はただそれに逆らうことなく従順に従うだけだ。 この部屋は、私が「もういいよ」と言ってしまえば、私が彼女を放してしまえば、すぐに壊れてしまう脆い関係をずっと見てきたわけだ。 お茶ですか、と首を傾げているリザを抱き寄せて、彼女が大好きなベッドに一緒に沈み込む。 私の中に渦巻く気持ちとは正反対に、冬にしては珍しく、窓から差し込む暖かな陽射しが部屋を包んでいた。 お昼寝日和ですね、と、リザが可愛らしい顔をして喜ぶような天気だ。 「…大佐、どうかしたんですか?」 無言のまま抱き着いてきた私を見上げ、リザは大人しく腕におさまりながら静かに尋ねる。 私達のこの関係はいつまで続くのだろう。 私がこの部屋を捨てたら、リザはもう私の元へは来ないのだろうか。 「あの、大佐…私でよければ、なんでもお話を聞きますよ」 心配そうな表情を浮かべるリザを余所に、私は白い頬にキスを落としたり柔らかな髪を撫でたりと忙しい。 長い間彼女と過ごしたこの部屋も、この愛おしい温もりもすべて失ってしまったら、私はどうすればいいのだろう。 「…大佐」 どのくらいそうしていただろうか。 私にされるがまま大人しくじっとしていたリザが、そっと口を開いた。 「何もないならいいんですけど、何かあるなら今すぐ話して欲しいです。…眠くなってきたので」 確かにリザの口調はどこかいつもの厳しさが抜けていて、眠気を帯びていた。 緩慢な動作でこつんと胸にリザの額が寄せられる。 大好きなふかふかなベッド、暖かな陽射しの差し込む窓、これらが揃っているのならリザにとっては眠くならない方が無理だろう。 「…大佐の手はあったかいですね」 もうすでに目を閉じてしまったリザが、いつの間にか私の手を握り込んで柔らかく呟く。 瞼を伏せたリザを眺めながら、彼女に面と向かっては言えない言葉を心の中でそっと問い掛ける。 ――君は、私がどんなところにいても側にいてくれる? 「……中尉、引っ越そうと思うんだが」 私より一回り小さなリザの手を握り返しながら、話を切り出す。 手の平の中におさめたリザの指先がわずかにぴくりと動いた。 「引越しですか?この忙しい時期にどうしてまた…。あ、ストーカー被害…それとも女性達からの嫌がらせで困ってるんですか?」 目を閉じたまま、それでもリザはリザらしい真面目な返事を返す。 「この部屋に飽きた」 「…ずいぶんと贅沢ですね。私、この部屋が好きなのに…勿体ないです」 「…こんなただどでかい窓とベッドしかない部屋のどこがいいんだ?」 「大佐は知らないでしょうけど、ここにいると大佐が書斎で書き物をしている音が聞こえてくるんですよ。机から本を落としたのも、インク壷をひっくり返したのも、紙をぐしゃぐしゃって丸めたのも、全部聞こえるんです」 「…へえ」 気付かないうちに失態を知られていたことに顔をしかめる私に対し、リザは「大佐は昔からそそっかしいところが変わりませんね」と微笑んでいる。 「この窓、私の部屋に欲しいくらい羨ましい大きさですよ。日当たりだっていいですし」 「冬は寒いだけだろう」 「冬は星座が見れるじゃないですか」 そういえば冬になると、二人で並んでベッドに寝そべって、眠くなるまで指で星を結んで好き勝手に星座を作ることがある。 「このベッドだって、寝相が悪い大佐と私が一緒に眠れてちょうどいいじゃないですか。私の部屋のベッドの二倍はありますよ」 「おい、寝相が悪いのは君じゃないか。君に何度蹴られて、君が何度行方不明になったことか…」 「二人で並んで寝れるベッドなのに、大佐はお嫌いなんですか?」 心地良さそうに瞼を伏せたままリザがのんびりと問う。 嫌い…なはずがない。 夏は暑いと言いながらも二人で一緒に寄り添って眠って、冬は寒がりなリザがくっついてくるのをわざとあしらうのがとても楽しいのだ。 今だって、上等なシーツの上に寝そべり、腕の中にはリザがうとうととしていて、こんなに居心地が良い場所を私は他に知らない。 「……やっぱり引越しやめようかな」 「気まぐれな方ですね」 「でもこの先、窓もベッドも何もない部屋に突然引きこもることがあるかもな」 「……精神的に病んでいるようならば、私でよければご一緒しますが」 「窓もベッドもないのに?」 「そんなの関係あるんですか?」 そんなことどうでもいいというような口調でそう尋ねたあと、リザがのんびりと欠伸をする。 大きな窓とベッドしかないこの寝室を思い浮かべる時に必ずリザがそこに存在するのは、殺風景な部屋でただひとつリザの金色だけが暖かな光を放っているように感じるのは、どうやら私だけではなかったようだ。 リザのお気に入りの大きなベッドと窓、そしてそこには、おそらく私もちゃんと存在している。 多分、リザが愛しているのはこの部屋だけではなくて―― 「面倒だから引越しはやめる」 「そうですか」 この部屋を失わないことに安心したのか、はたまた私の問題が解決したことに安心したのか、リザは体の力をぐっと抜いた。 「……大佐も一緒にお昼寝します?最近忙しかったですし」 眠たそうなゆったりとした口調でそう言い残し、リザは眠りの世界へと旅立っていった。 リザが尋ねる以前に、リザにこうして手を握られていてはここから動けないではないか。 「……付き合ってやるか」 簡単にほどけそうなリザの手の拘束を握り返すことで自ら強め、憎まれ口を叩きながら、私もこの部屋の心地良さに負けて目を閉じた。 |