「リザにとってロイ・マスタングって、どんな人なわけ?」 久しぶりに会った友人に、レストランの席につくなり興奮気味に聞かれたことがこれだった。 しかし、友人と別れるまで、私は彼女が満足するような答えを出すことができなかった。 そして、今も明確な答えは出ない。 だって、答えがあまりにも多すぎるんだもの。 フェミニストと称して女性を口説くのが趣味な人、家事がまったくできずに巧妙な手口を使って私に押し付ける人、普段は本ばかり読んでいる人…。 「おはよう、中尉」 「おはようございます、大佐」 次の日、なかなかまとまった答えを出せぬまま、目下頭を悩ませている大佐の元へ書類を持って行く。 執務室に入ると、大佐は爽やかな笑顔で迎えてくれた。 「中尉、昨日は楽しかったかな?」 「……はい。おかげさまで」 今日の大佐の仕事の内容を伝え終えるなり、大佐が唐突に問い掛けてきた。 昨日、私が友人と食事に出掛けたことを大佐が覚えていたということに驚く。 「うむ。だったら頑張った甲斐があるな」 昨日、私が早く帰れるように、大佐が珍しく定時前に仕事を終わらせてくれたのだから当然だろうか。 「それでだな中尉、昨日も聞いたのだが、食事に出掛けた友人は女性…なんだよな?」 にこやかだった大佐の顔が、一瞬だけ険しくなったような気がした。 「ええ、そうです」 「うん、ならいいんだ」 じゃあ仕事を始めるかと、気合いを入れるためか手を組んで上に大きく伸びをした大佐を見ながら、意外と自分のこと以外にも記憶を使う人なのだと改めて思う。 大佐は一見、自分以外に興味のない人間に見えるが、ハボック少尉が女性にフラれた数を間違うことなく言えるし、私の昨日の予定もしっかり覚えている。 大佐は周りの出来事に敏感な人だ。 そもそも周りや他人について敏感でなければ、この年で大佐という地位を得ることはできないだろうし、それに大佐曰くアメストリス一のフェミニストとやらも務まらないのかもしれない。 そう、敏感といえば、先日こんな出来事があった。 執務室で渋々デスクワークをしている大佐の元へコーヒーを届けた時の話だ。 コーヒーを一口飲むなり、大佐は顔をしかめながら「私は君がいれたコーヒーがいいんだが」と言ったのだ。 東方司令部のコーヒーはお世辞にも美味しいとはいえず、誰がどういれても同じ味になるはずなのだが、大佐は自分が今手にしているコーヒーを私がいれたものではないと何故か見抜いたのだ。 あの時は驚きに目を丸くした。 「申し訳ありません。給湯室にいた女性士官が、是非マスタング大佐にコーヒーをいれたいと言うものですから…」 「ふうん」 「彼女、見習いたいほど丁寧にコーヒーをいれていましたよ。いつもより美味しいと思うのですが」 「別に普通だ」 「大佐好みの可愛らしい方でしたよ。あ、できれば名前を伝えて欲しいと、彼女に頼まれたのですが…」 「いや、いい」 コーヒーを飲む大佐はどことなく不機嫌そうだ。 愛らしい女性が心をこめてコーヒーをいれてくれ、そしてデートをする機会まで得れるかもしれないというのに、常にない大佐の気乗りしない反応に首を傾げる。 私の伝え方が悪かったのだろうか。 彼女には悪いことをしてしまった。 「私は君がいれたコーヒーじゃないと嫌なんだ」 「…以後気をつけます。それにしても大佐、よく気が付きましたね」 コーヒーを運んで来た人間が、それをいれたと思うのが普通の考えだろう。 「分かるさ。君のコーヒーは美味しいからね」 「そうでしょうか?」 「それに、このコーヒーには愛情が足りない」 「……私、愛情をこめてコーヒーをいれていませんから」 むしろ、今日はサボるな逃げるな仕事をしろと念を込めながらいれている。 「とにかく、私は君以外のはお断りだから」 「…はい。分かりました」 ということがあり、私と少尉のことも含め、大佐は周りのことをよく見ている人。 これも答えのひとつだ。 友人の一言により、いつもより大佐の言動に気をかけてみると、長年一緒にいた仲でも大佐のことを新鮮に感じる瞬間が多々あった。 まず、大佐は一人で食事をするのが嫌いらしい。 昼食の時間になり、軍の食堂へ向かうと、顔見知りの下士官が「一緒にどうですか」と声を掛けてくれた。 彼がぜひブラックハヤテ号の話を詳しく聞きたいというものだから、向かい合って座り、最近芸をたくさん覚えたことなどを楽しく話した。 「物覚えが早くて、本当に可愛いの」 一方的に愛犬のことを語られて、彼はつまらなくないのかと心配したが、何度も頷きながら熱心に聞いてくれていて、自然と笑みが浮かぶ。 ブラックハヤテ号という名前も褒めてくれ、なんだか同志を得たようでとても嬉しい。 「あ、あの!」 「どうしたの?」 「大変厚かましいのですが、今度、ブラックハヤテ号の散歩に同行しても…」 「ここ、いいかな?」 その一声で、白熱していた可愛いブラックハヤテ号の話が一時中断となった。 「あら、大佐」 上を向くと、朝のにこやかはどこへいったのか、無表情の大佐と目が合った。 大佐は彼の隣の席に昼食の乗ったトレイを置き、椅子を引く。 食堂は空いており席はたくさんあるのだが、ハボック少尉などの知り合いが見当たらなかったのか、私のところへ来たらしい。 突然現れた「ロイ・マスタング大佐」に、おまけに不機嫌そうな大佐に驚いているのか、下士官の顔は心なしかみるみると青ざめていく。 「どどど、どうぞこちらへっ。私はこれで失礼しますっ」 彼はトレイの上の皿が落ちそうなほど慌てて席を立ち、まるで逃げるかのように去って行った。 いきなり階級の違う人間が隣の席に座ることに、そしてその人物の放つ不機嫌なオーラに耐えられなくなってしまったのだろうか。 「……行っちゃいましたね」 「行ったな。ふん、雑魚が」 「まだパンを一口も食べてなかったのに…」 「パンが欲しいなら私がいくらでもあげるぞ。ほら、あーん」 大佐は先ほどまで下士官が座っていた席に移り、何事もなかったかのように昼食を食べ始める。 「それにまだブラックハヤテ号の話の続きがあったんですけど…残念です」 「中尉、君はあんな奴がいいのか?あいつは犬っころをきっかけに君に近付くつもりだぞ」 「え?」 「ああいう男は中身が薄っぺらいくせにいっちょ前に束縛するんだよ。君、束縛とか嫌いだろ?付き合ってもそれが原因ですぐ別れるというオチだな。だからやめておきなさい」 「何の話をしているんですか」 「君の隣も向かいも私が一番だという話だよ」 「……はい?」 実は、大佐が私と下士官の間に入ってくるのはこれが初めてではない。 食事は一人より大勢で食べるのが楽しいと思うのは、大佐に限ったことではなく私も、そして皆も同じだろう。 それから、これは周知の事実かもしれないが、大佐は時々ものすごく変な行動をとる。 常日頃から理解できない言動が多い人だが、あまりにも変すぎてこちらまでおかしくなることがあるのだ。 「見つけましたよ」 「あ、見つかった」 大佐が執務室から逃走して数十分後、私は見事今日の隠れ場所を探し当てた。 本にまみれて寝転んでいる大佐を仁王立ちで見下ろし睨みつける。 「さすが中尉だな。今日はこんなに早く見つかると思わなかった」 「私達はかくれんぼをしているわけじゃないんですよ。早く執務室に戻ってください」 「はいはい」 よっこいしょ、と歳を感じさせる言葉を呟きながら、大佐が起き上がる。 「『はい』は一回で結構です。…今日はやけに素直ですね。また逃げる企てを考えてます?」 「いいや、君の鼻の良さに免じて今日はもう大人しくするよ。それより、どうして私がここにいると分かったんだ?」 「勘です」 「勘ねえ…」 「司令部内に限ってですけど、大佐が行きそうな場所は何となく分かるんです。長年の追いかけっこの成果ですね」 「ふうん、何となくか」 私の話に頷きながら大佐が楽しそうににやにやと笑う。 「…どうして笑うんですか」 「君は私のことを『何となく』で分かってしまうんだろう?なんだか気恥ずかしい話じゃないか」 「気恥ずかしいって…変な意味にとらないでくださいよ」 「ほう。変な意味とは何かな、中尉」 「それは…」 「まあいい。さ、執務室に戻ろう」 「…私の台詞です」 逃走場所がばれて、今から大嫌いなデスクワークが始まるというのに、私の前を歩く大佐は妙に嬉しそうだ。 変な人。 まるでそれが風邪のように移ってしまったのか、私も大佐の言葉を借りるとなんだか「気恥ずかしい」。 定時をずいぶんとオーバーしたものの、ようやく今日の分の仕事を終えることができた。 久しぶりに外の空気を肺いっぱいに吸い込むと、肩の力がふっと抜ける。 「昼間はだいぶ暖かくなってきたが、やはり夜は寒いな。中尉、寒くないか?」 「大丈夫です。大佐こそ寒くないですか?」 「平気だ」 大佐が司令部から直接家に帰る場合、ほとんどと言っていいほど、その帰り道を私が護衛している。 そして今日も例にもれず、夜道のお供はこの私だ。 「あの、大佐」 「ん?」 「手を離してほしいんですけど」 司令部を出た途端、何故か大佐が手を繋ぐのが当たり前かのように、自然に私の手を握ってきたのだ。 「え?私と手を繋ぐのが嫌なのか?反抗期か?」 「誰かに見られたら面倒です」 「中尉は私と手を繋いでいるのを誰かに見られるのがそんなに嫌なのか!?」 「私は変な噂をたてられたら、後々揉み消すのが面倒だと言っているんです」 「誰もいないじゃないか。こんな時間まで勤勉に働く軍人は私達しかいない!」 「確かにこんな時間まで仕事を延ばす上官は大佐しかいませんね」 「嫌味を言うのが上手くなったとはいえ、私から見れば君はまだまだ子供だ。小娘なんだよ。手を繋いで歩かないと危険だ」 「危険?」 「最近、痴漢が多発しているのは君も知っているだろう?それに急に車が突っ込んできたらどうするんだ。美女誘拐魔が現れたらどうするんだ!」 「……大佐、護衛は私ですからね」 それに、男女二人で歩いているのに痴漢がやってくるわけないだろう。 相変わらず変なところで心配性な人だ。 しかし、それは大佐の優しさからくるものだ。 私が師匠の娘であり背中に陣を背負っているという責務からではなく、大佐はただ純粋に、早くに両親を亡くした女の子として私を扱い、まるで兄のように接してくれた。 そして私が軍人になった今でもそれは続いている。 度の行き過ぎた心配や干渉に困らないといえば嘘になるが、大佐が私を妹のように思ってくれているのは嬉しい。 大佐は優しい人だ。 プライドが高くて不器用だから、大佐の優しさが表立って表れることはない。 しかし、大佐と接した人々は皆、彼の言動の奥に隠された優しさに必ず触れているはずだ。 大佐の周りにいる人々は、国を救うという志しと揺るがない信念だけではなく、彼の優しさにも惹かれて集まっているのだと私は思う。 底のない大佐の優しさに惹かれているのは、私も同じだ。 彼は、私が背中を守るべき人であると同時に、私が守りたい人でもある。 大佐に困らせられることも多いが、その分、彼に救われることも多い。 大佐が笑っていると、ただそれだけの理由で私の心が明るくなることがある。 彼の優しさにだけではなく、強さにも不器用さにも、たまに見せる幼さにも、私はどうしようもなく惹かれてしまっているようだ。 うしろには必ず私がついているから、大佐には前だけ見て、いつまでも笑っていてほしい。 それから、ヒューズ中佐のように結婚をして子供を授かって、人並みの幸せを掴んでほしいと思うのだ。 大佐はイシュヴァール戦で犯した自身の罪を、そして私達の罪までをもたった一人で背負おうとしているが、どうか大佐には幸せになってほしい。 私が身を挺してでも、大佐だけは―― 「……あの、そっちに大佐の家はありませんよ」 「だが、このまま進めば君の家があるな」 「大佐が私の家に帰ってどうするんですか」 「ああ、君の家で夕食をご馳走になろうと思ってね」 「…私の意思は関係ないんですね」 「うん。だって私は君の上官だし、そして保護者だしな!」 「……もう。しかたないですね」 大佐は優しい。とても優しい人。 それから―― バスルームの扉が開く音で、浅い眠りから目が覚めた。 考えごとをしているうちに眠ってしまったらしい。 目を擦りながら、柔らかくて居心地の良い上等な革で作られたソファーに座り直す。 足元を見ると、最初は見慣れぬ場所に来て興奮していた愛犬も、慣れたのか大人しく眠っていた。 ここは大佐の部屋だ。 私が大佐宅にいるのには訳がある。 最近イーストシティを騒がせていたテロリスト達の本拠をようやく掴み、今日、一斉に捕らえようと乗り込んだのだ。 多少怪我人が出たものの、私達にも向こうにも死者は出ず、軍は無事にテロリスト達を捕まえることができた。 しかし情けなくもその怪我人に私も含まれており、怪我が治るまで何かと不便だろうということで大佐の家で生活をすることになったのだ。 軽い怪我だから平気だと断ったのだが、大佐のあまりの剣幕につい流されてしまった。 あの燃えるような赤を、忘れることができない。 テロリスト達が皆縛り上げられていく中、大佐を狙ったテロリストの頭の攻撃から、彼を庇った時にできた傷が痛み、不覚にもよろけた。 下を見ると足元が真っ赤に染まっており、思っていたよりも血が流れていることに気付く。 ふらついた私を咄嗟に支えてくれたのは大佐だった。 その時の大佐の怒りに満ちた瞳を、忘れることができない。 まるで大佐が生み出す焔のように赤く、それは憎しみしか映していなかった。 もう攻め込む必要はないというのに、大佐はテロリスト達に向けて発火布を擦ろうとしていて、慌てて止めた。 やめてくださいという私の声に気付いたハボック少尉が大佐を押さえ付けなければ、現場は火の海になっていただろう。 目が覚めると病院のベッドの上にいた。 そして、ベッドの隣には、簡素な椅子に腰掛けうなだれている大佐がいた。 大佐がいることに驚き起き上がろうとすると、無言で肩に手を置かれ、制された。 私が手当てを受けた時からずっとここにいたのだろうか、布越しに感じる手が冷たい。 思わずその冷えた手を握ると、それに惹きつけられるかのように大佐が椅子から立ち上がり、私の胸に頭を押し当てた。 前髪からわずかに見えた二つの瞳は、今度は悲しみを帯びていた。 銃弾が足を擦っただけだというのに、大佐は私の心音を確かめるかのように何度も胸に耳を押し当てる。 大佐の手が頭と背中に回り、きつく抱き寄せられた。 髪の毛まで絡めとって抱き寄せるその手は未だ温まらない。 「…大佐、我を忘れては駄目ですよ」 「……うん」 「あの焔は憎むためじゃなくて守るために使うんです」 「……うん。すまない」 大佐の冷たい肌を温めるように、私も彼の体に腕を回す。 「…マスタングさん、心配かけてごめんなさい」 大佐は私を腕に抱いたまま動かず「もう心配なんてしたくない」と、ぽつりと呟いた。 「中尉、怪我は痛まないかっ!?」 ろくに体を拭かずバスローブを羽織っただけの状態でバスルームから出てきた大佐は、一目散にソファーへ向かってきた。 大佐の体から落ちた雫が彼の足取りをきれいに描いている。 「大丈夫ですよ」 「ならいいんだが…」 ほっとした様子で大佐が私の隣に腰掛ける。 「大佐、さっきからそればかりですね。大佐は心配しすぎなんですよ」 大佐の首に掛かっていたタオルを手に取り、水の滴る黒髪を拭き始める。 「私は大佐が心配です。ちゃんと拭かないと風邪ひきますよ」 「ああ、すまないね。君の世話をするつもりが逆になっているな」 「それはいつものことじゃないですか」 「…そ、そんなことは決してないぞ!」 大佐は優しい。 部下一人のために燃え盛る焔のように怒り、そして同じように悲しむ、優しすぎる軍人だ。 それから――大佐は、私のことをほかの誰よりも気に掛けて思ってくれている人だ。 私のことをこんなにも大切に思ってくれている人はきっと大佐以外にいない。 私にはもったいなさすぎる人。 そう、大佐はそんな人だ。 「中尉、なんだか楽しそうだな…。怪我、痛くないの?」 「楽しんでいるんじゃなくて、申し訳ないんです。大佐といると、出来すぎる妻をもらった夫の気分になります」 「…ん?出来すぎる夫をもらった妻の気分の間違いじゃないか、それ」 「え?」 「というか君、妻と夫って…。ついに中尉に私の思いが通じたのかっ!?」 「ええ?」 とりあえず、とても一言では言い表せないあなたに私はどこまでもついて行きますよ、大佐。 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