リザ・ホークアイよりも冷たく、なおかつ恥ずかしがり屋という変な女性には、この先出会えないのではないかと常々思っている。
行為のあと、余韻も何も楽しまずにすぐに背中を向けてしまう女性はリザが初めてで、最初の頃は少し戸惑った。
普通ならば、女性は私を離すまいというようにぴたりと寄り添い、少し距離を置きたい時もなかなか一人にしてくれないのだ。
それが私の勝手な常識であった。
リザはまだ肩で息をしながらも、最後の力を振り絞って私の下から抜け出した。
そして、シーツの上で這うようにずるずると動き、私からできるだけ距離を置いた。
のろのろと亀のように移動し、やっとベッドの一番に到着して安心したのか、リザはほっと一息ついている。
しかし、自分が布切れのひとつも纏っていないことに気が付いたのか、急に慌て出し、急いで足元でぐしゃぐしゃになっていたブランケットを引き上げる。
そうして再び一安心し、ブランケットを肩まで掛けたリザはようやく落ち着いた。
いつも無駄のない動きをするリザが、短時間でこんなにも慌ただしく細々と動くのは面白い。
まるで芝居を見ているように夢中になる。
今のリザの一連の動きは動物を見ているようで楽しく、私は黙ってそれをうしろから眺めていた。
しかし、つい先程まで腕の中にあった温もりがないことと、広いベッドに恋人同士が寝ているというのに、二人の間に大きな空間があることが寂しい。
私とリザの間にある白いシーツの面積は、隙間と呼べる大きさではなく、もう一人ほど眠れてしまいそうな広さだ。
寂しい距離を埋めるように、リザの背中に向けて手を伸ばす。
短い金髪に指先がわずかに触れただけで、リザの肩が大袈裟にびくりと揺れた。
「少尉」
返事が返って来ないだろうと分かっていても呼び掛けてみる。
「起きてる?」
「……起きてません」
「起きているじゃないか」
汗ばんでしっとりとしている柔らかな髪を指で梳きながら笑う。
「やめてください」
髪を撫でられることがそんなに嫌なのか、リザの口調はずいぶん尖っている。
そして、まるでシュラフで寝ているようにブランケットにすっぽりと包まれたリザは、急にもぞもぞと動き始めた。
大きな塊が不器用に動いているようで変な動きだが、実に可愛らしい眺めだ。
「…中佐」
「ん」
「……私の服、どこですか」
どうやらリザは、ベッドの下に手を伸ばし、私が脱がせた服が床の上に落ちていないかどうか手探りで探していたらしい。
だがリザの指先は冷たい床に触れるだけで、何も見付けられていないだろう。
「さあ?知らないな」
意地悪をしているわけではなく、本当にリザの服がどこにあるか分からない。
しかし、リザが探しているところにはないことは知っている。
行為のあとに必死に服をかき集めるリザがあまりにも可愛いから、悪戯のつもりで彼女の手の届かない場所へ服を投げたのだ。
今日は確か、足元の方にへまるでボールでも扱うように思いきりブラウスやスカートを投げたはずだ。
リザは裸に剥き上げられる恥ずかしさでいっぱいで、私の行動などまったく目に入っていないらしい。
私が服を取り上げる度に、彼女が羞恥に眉を歪めるのが愛おしくて、いつもついつい調子に乗って服を遠くへ放ってしまう。
「あっちかな」
「あっち…?」
ベッドの足元を指で示した私に反応して、背中ばかり見せていたリザがようやくちらりとこちらを向いた。
その隙を見逃さず、リザの側へ一気に詰め寄る。
が、リザもその分、私を避けて移動したために距離は縮まらない。
「少尉、寂しいじゃないか。あまりそっちへ行くと落ちるぞ」
「ちゅっ、ちゅーさっ!」
「何だ」
「『何だ』じゃなくて…!わっ、私達、裸なんですよ!?あっちに行ってくださいっ!」
「さっきまで裸でいろいろしたじゃないか」
私とリザは、お互いを信じられないという驚きを滲ませた瞳で見つめ合った。
先程までリザの体のどこもかしこも、そりゃあもう隅々までを堪能させてもらったんだから、今さら恥ずかしがることないだろう。
「ほら、おいで」
「嫌です!…へ、変態中佐!無能!不能!」
「……おい。最後の言葉は撤回しなさい」
あまりの言われように少しだけ頭に血が上り、もうこうなったら嫌と言われようと力付くでリザを捕まえようと、彼女に覆いかぶさる。
「中佐っ、来ないでくださ…っ!…ひゃっ!?」
「おいっ!少尉っ!」
何とリザは、熊のように襲い掛かる私から逃げようと、今にも落ちてしまいそうなベッドの端にいるにも関わらず、私を避けた。
その結果、聞くだけで顔をしかめてしまう盛大な床の軋む音を立てて、床に転げ落ちた。
「少尉、大丈夫かっ!?」
「…痛い…」
慌ててベッドから床を覗き込むと、リザはブランケットに包まったまま肩を押さえていた。
どうやら持ち前の瞬発力で頭はぶつけなかったらしい。
「少尉、体を見せなさい」
「えっ!?」
有無を言わさずリザの体を床からベッドへ引っ張り上げ、目の前に座らせる。
「…ちょっと…中佐…!」
「痛いところはないのか?怪我がないかどうか見るんだから大人しくしなさい」
リザの白く綺麗な体に痣でもできたら、私が原因じゃなくても落ち込みそうだ。
ベッドサイドにある電気に手を伸ばし明かりをつけ、腕の中で暴れるリザを押さえ付ける。
「見ないでください!」
「見ないでどうする」
今の私に下心など断じてない。
純粋にリザが心配だから体のあちこちを見て触っているのだと誓うことができる。
しかし、リザは肌を覆うブランケットがなくなったために、慌てて私にしがみつくという方法で体を隠した。
先程までは私に髪を触れることすら嫌がっていたくせに、今は柔らかい体をぎゅうぎゅうと押し付けてくるなんて、とことん変な子だ。
「…痛むところは?」
「…ないですからあっち行ってください…」
厚めのブランケットと一緒に落下したためか、それがクッションとなり、リザの肩や腰に傷は見つからなかった。
リザの肩に額を置き、ほっと安堵の息をつく。
「…君ね…少しは気を付けなさい」
安心したのと同時に、ちょうどリザが抱き着いてきているので、この機会を逃すまいと背中に腕を回す。
すると、お互いの鼻の先が触れ合いそうなほど近くにいたリザがたちまち目を丸くした。
「中佐っ、何するんですかっ!電気…電気消してください!」
「…何って…」
再び慌てるリザを呆れつつ眺めながら、彼女に言われた通りに明かりを消す。
「触らないでくださいっ!」
「あのな、少尉から抱き着いてきたんじゃないか…」
リザは先程までの鈍感さはどこへ消えたのか、するりと器用に私の腕の中から抜け出した。
胸などを両手で隠しつつ、ベッドの足元へ向かう。
「…服…ないじゃないですか!もうっ、どこへ投げたんですか、中佐っ!」
「うーん、多分その辺」
「多分って…中佐、暗いので電気つけてください」
「さっき消してほしいって言ったのは誰だ」
リザは再び、床に散乱している服をかき集めようとベッドの下に手を伸ばしている。
「少尉、そっちじゃなくて、あっちに投げたかもしれない」
「あっち?」
「実はここにある」
「本当ですか!?」
枕元をぽんぽんと叩きながら言うと、リザが勢いよく私の方へ振り向いた。
つい先程までリザがブランケットや腕で必死に隠していた胸や腹が丸見えである。
「もう、嘘ついたんですね!」
頬を膨らませて怒るリザは、魅惑的な膨らみや白い肌を自ら晒していることにまったく気付いていないらしい。
理解能力の高いリザにしては珍しく、今はひとつの情報が頭に入ると、それについてしか考えられないようだ。
「…君は何がしたいんだ」
「…え?ええっ!?……みっ、見ないでください!」
あたふたしながら再び手で体を隠すリザを眺めていたら、呆れるのを通り越して面白くなってきた。
「もういいじゃないか」
「…え…っ」
ブランケットの中へ隠れようとしているリザを背後から捕まえて、そのまま枕元の方へ倒れ込む。
リザを逃がさないよう、肌と肌の間に隙間が出来ないようにきつく抱きしめ、脚を絡め合う。
リザが掴んでいたブランケットを二人で分け合ってかぶると、ようやく行為後らしくなった気がする。
男性にはない女性らしい柔らかさやすべらかさが腕や胸板に当たり、最高に気持ちいい。
リザはもう抵抗することを諦めたのか、私が胸に顔を埋めても、何も言わずにため息をついた。
「……世間の恋人達って、すごいですね」
私の髪に触れながら、疲れたようにリザが呟く。
「…こういうこと…恋人同士では当たり前なんですよね。中佐も、何の躊躇いもなく数々の女性としてきたんですよね…。信じられません」
リザが信じられないと言うのは、行為のことだろう。
私の過去の若さ故の遊びにやきもちを妬かないところがリザらしく、そして少し寂しい。
「…私、性欲があまりないんだと思います」
「…ん?」
ぽつりと呟かれたリザの爆弾のような衝撃的な言葉に、思わず太ももを愛でていた手の平が止まる。
「特にしたいって思いませんから。普通の女性よりも、こういうことに淡泊なんだと思うんです」
男性の性欲には驚きます、というリザの発言に驚いてしまう。
先程まで可愛らしく恥じらっていた女性が堂々と口にすることとは思えない。
「……キ、キスしたり、ただ肌を合わせるのは好きですよ。中佐はあっかくて…気持ちいいです」
冷たく突き放したかと思えば、今度は少女のように恥じらうリザに頭がついていけなくなる。
「…というか…それだと、私が無理強いしているみたいじゃないか?」
「そうですね」
「……そうなのか」
「冗談ですよ」
声が暗くなった私に気が付き、慌ててリザが否定する。
「…だって、少尉はキスをしたり抱き合うのは好きだけど、それ以上をするのは好きではないんだろう?」
「はい」
即答したリザを見て、再び暗いオーラを放ちながら落ち込む。
「…じゃあやっぱり私が無理矢理しているのか?というか、今まで君はずっと嫌だったのか…?嫌々ながら私に合わせて…」
「…ちゅ、中佐はっ!」
負の方向へ向かいながらぶつぶつと今までの身勝手な行動について呟く私の意識を引くように、リザが珍しく声を上げる。
「…中佐は…。中佐は、あったかいから…何してもいいですよ…」
そう言い終えたあと慌てて照れたように俯くリザを見つめながら、もう彼女を私の常識に当て嵌めるのは止めようと決めた。
意味が分からない。
しかしリザは照れているので、どうやら私を否定する内容ではないらしい。
おまけにリザは控え目ながらも私の胸に頬を擦りつけ、甘い息と共に顔を埋めてきた。
「…つまり、私なら何をしてもいいのか?」
思い返せば、リザをベッドに押し倒しても彼女は文句を言うだけで逃げようとしないし、行為後に背中を向けても、最後はこうして私のところに戻ってきてくれる。
「…中佐の馬鹿。そういうところ、嫌いです」
リザ・ホークアイよりも冷たく、なおかつ恥ずかしがり屋という変な女性には、この先出会えないのではないかと常々思っている。
そして、リザ以上に私を夢中にさせ、振り回す人間にも出会うことはないだろう。
「…何だかよく分からないが…。少尉は可愛いな」
「そういうところも嫌いです」







久しぶりに早く帰宅できるのだから、我が家でゆっくりと体を休めたい。
そう言って早々と帰ろうとしていたリザに、私は何気なく大通りに新しく開店したケーキ屋の話をした。
「あのケーキ屋、ずいぶんと有名らしいな。私の周りの女の子がずいぶんと騒いでいるよ」
「そうですね。味よりも値段で有名ですが」
「ケーキ、買ってあげようか」
「…え…いいんですか?」
定時を過ぎ、職務中からプライベートへと変わる時間帯だからか、珍しくリザが嬉しそうに声を上げた。
リザは早くもケーキが見えているのか、キラキラと子供のように瞳を輝かせて私を見ている。
嬉しそうに笑うリザと正反対に、私は密かに暗くほくそ笑んだ。
――引っ掛かったな
リザが大通りのケーキ屋を気にしていることを、この私が知らないはずがない。
あまり知られていないが、リザはケーキなど甘いものが大好きなのだ。
しかし質素なリザは「ケーキひとつにあんな値段は払えません」と言って、ただケーキ屋をガラス越しにちらりと見て、店の前を通りすぎるだけだった。
「ケーキで部下を労うのは安すぎるかな。今度はちゃんとレストランへ連れて行こう」
リザと一緒に司令部を出て、路地を彩る落ち葉を踏み締めながら二人でケーキ屋へと向かう。
リザがケーキのことしか頭にないのをいいことに、さりげなく次の約束も取り付ける。
軍服を脱いだ私達はこうして仲良く並んで歩くと、誰の目からも美男美女の恋人同士にしか見えない違いないと満足する。
リザが私とまったく違うことを考えて楽しんでいるのが悲しいが、彼女の笑顔につられてついつい機嫌が良くなる。
時間を無駄にすることが嫌いなリザが珍しく、絵の具をばらまいたように鮮やかなケーキ達を前にして、どれにしようかと悩み首を傾げていた。
リザが時間を掛けて選んだケーキと、さらに私が適当に注文したタルトやプリンなどを買い、箱の中は甘いものでいっぱいになった。
ケーキ屋から出たリザはすぐさま「そんなに買っていいんですか?」と心配そうに問い詰めてきたが、こんなもの高くなんてない。
むしろ安すぎるくらいだ。
ケーキ一箱で愛おしい部下を一人釣れるのだから、安すぎるだろう。
「いま紅茶を持ってきますね」
ケーキを餌に、下心を匂わせずにリザを自宅に呼び、おまけに彼女の手料理まで味わうことができた。
今日から真面目に仕事をして毎日定時で帰れるようにしようと、キッチンへ向かったリザを見送りながら決心する。
キッチンで紅茶をいれるリザは鼻唄を口ずさんでおり、後ろ姿を見ただけでも機嫌が良いと分かる。
リザは食後にケーキと紅茶を楽しむという、そんなささやかなことに幸せを感じ、そういう小さなことを大切にする大変可愛い女性なのだ。
「中尉は可愛くて美人なのに、怒ると地獄を見ることになるというギャップがたまらない」と、リザを遠巻きからしか見ることのできない兵士達は、こんなことを知らないだろう。
夕食はテーブルで向かい合って食べていたのに、デザートはソファーですぐに抱き締められるほど、やたら密着して食べようとしていることに気付かないリザは、意外と抜けているところがある。
これもまたリザの隠れた魅力のひとつだ。
ざまあみろ雑魚達!ははははは!と思わず高笑いしたくなる。
私とリザの切っても切れない強い絆や、長年培った濃い仲を、彼女を見つめるしかできない兵士達に自慢したくて仕方がない。
リザが箱の中に並んだケーキ達のどれを食べようかと楽しげに選ぶ様子も、綺麗にデコレーションされた果物を見て嬉しそうにため息をつく姿を見ても、私と彼女の仲だから今さら驚かない。
ちなみに、赤や黄色など色とりどりの果実が乗った緻密な硝子細工のようなケーキを崩したくないのか、なかなかケーキにフォークをさせずにいるリザの愛らしさは何度見ても慣れない。
そして、唇の端にクリームがついているのにも気付かず、とろけるような表情でケーキを頬張るリザの姿を見ると、その可愛らしさに未だにどきまぎしてしまう。
「おいひいでふ」
リザ、食べ物が口の中に入っている間はおしゃべりをしちゃいけないよ。
なんて、リザの小さな幸せをぶち壊すような発言はもちろんしない。
「そうか、おいしいか」
「はい」
注意はせずに、まるで小さい子供にでも話し掛けるように「そうか、良かったな」と何度も繰り返して言う。
「とっても甘いです」
大きなケーキのかたまりを豪快にフォークに乗せて口に運びながら、目を細めてリザが笑う。
こんな無邪気なリザの姿も、彼女に憧れているだけの兵士達は一生目にすることはないだろう。
さらに私は、もうひとつとても重要なことを知っている。
今日買ってきたどんなケーキよりも、リザの方がずっと甘いのだ。
戯れで抱き着いたリザの体はスポンジより柔らかく、わざとではなく偶然触れてしまった胸は忘れられないほど弾力があった。
香水をつけないくせに甘い香りを放つリザは、まともに化粧をしないのにも関わらず、ケーキの色鮮やかなデコレーションよりも輝いていて美しい。
柔らかくて可愛いリザの中身はきっとクリームよりもふわふわで儚くて、食べてみればとてつもなく癒されるのだろう。
一度手をつけたら、病み付きになりそうなくらい甘くて、ずっと手放せないに違いない。
「大佐、食べますか?」
気が付けば、リザはケーキを乗せたフォークを私に差し出していた。
「あーんってしてください。はい、あーん」
「…あーん…」
甘美で身勝手な妄想に浸っていたが、ふと恐ろしいことに気が付く。
「あーん」をして食べさせてくれたのは大変嬉しいが、これは恋人間で行われる甘い行為とはどこかが違うと違和感を覚えた。
甘さのまったくないこの気さくな私とリザの触れ合いは、私達の長年の付き合いが生み出したものだろう。
一緒にいた時間が長すぎて、男と女という異性を意識しなくなるという悲しいおまけつきの付き合いだ――
「おいしいですか?」
「…ああ…」
ちっとも甘く感じないケーキを食べながら、がくりと肩を落とす。
リザは何事もなかったかのように、いま私が口にしたフォークで躊躇うことなく苺を食べている。
家族じゃないんだからという突っ込みをしても、リザは不思議に思うだけだろう。
私達の間で異性を意識する感覚が麻痺し、その結果、私を兄のように思っているリザに何を言っても無駄なのだ。
それから、リザは恋愛に疎い。
リザはケーキのようにふわふわで柔らかく、可愛らしくて甘い。
それを知っていても、リザに顔すら覚えてもらえない兵士達と同じく、私もただ指をくわえて彼女を眺めるしかないのだ。
「大佐、これも食べますか?」
「…うん…」
愛はあるが甘さ抜きの「あーん」を再びしてもらって、心なしか苦く感じるケーキを食べる。
「これもおいしいですよね」
リザを少し味見をしてみたい気持ちは消えない。
しかし、この無防備な笑顔を見ると、リザを驚かせるよりも、これからも変わらず私の前で心置きなく可愛らしい姿を見せてほしいとも思ってしまうのだ。
こうしてリザに甘い私は、なかなか「家族」から抜け出せないのだ。







リザ・ホークアイは軍人になるために生まれてきたように思えるほど、少尉の体には青い軍服が何の違和感もなく馴染んでいる。
少尉の纏う毅然とした空気と冷静な態度がさらにそう思わせる。
少尉は女性だからといって軍の中で男性に引けを取ることはなく、むしろ彼女は男性よりも男前なため、そこら辺のだらし無い兵士達より頼りがいがあるし有能だ。
あまりにも軍人然としているためか、「マスタング中佐の副官の男は顔が綺麗すぎる」という話で司令部中が盛り上がったことがあるほどだ。
少尉は何があっても揺るがずにいつも背筋を伸ばして私のうしろに佇んでいる。
静かだが決して隙を見せない姿が男性だけではなく女性からも人気だ。
私の自慢の副官が、青い服を纏う少尉がうしろにしっかりと控えているだけで何よりも心強い。
そして、感情の起伏が少なく、いつも落ち着いているリザ・ホークアイ少尉の無表情以外の顔を知っていることに、私はささやかに優越感を覚えていた。
「お疲れ様でした」
「ああ、君もお疲れ様。家まで送ってくれてありがとう」
自宅の玄関まで送ってくれた少尉を労い礼を言う。
もう少しで日付が変わる時間帯であり、遅い帰宅であった。
一人で帰れると言っているのに、いつも少尉は「私はあなたの護衛官ですから」と言って、無理やり私のあとをついて来る。
その結果、遅い時間でも女性である副官に帰り道を護衛してもらい、送ってもらうことになるのだ。
「家に帰ったらちゃんと私に電話するように。いいな?」
「…中佐、もう私は子供じゃないんですからね」
少尉があの暗い道を一人で歩き、アパートまで帰るまでの間が心配で、いつも帰宅したら私に電話をするように命令している。
少尉が勝手に私を家まで送るのだから、彼女に電話するように要求するのは立派な等価交換だろう。
「…電話をする必要のない時間に帰れるようにしてほしいんですけど」
少尉が、要は早く仕事を終わらせろと愚痴を言う。
しかし言葉に対してその物言いは柔らかく、まるで拗ねた子供のように唇を尖らせているのが可愛らしい。
「子供じゃないか」
思わず親友の娘を連想しながら、少しだけ膨れた少尉の頬を指でつつく。
少尉は私と二人きりの時、いや、たまに司令部にいる時も彼女はこうして幼い表情などを見せてくれる。
いつも人形のように表情を変えない少尉だが、実は、拗ねたり照れたり、涙が出るまで大笑いをしたりと、皆が思うより彼女は感情も表情も豊かなのだ。
喜怒哀楽を隠さずにさらけ出して見せてくれるのは、長年共ににいる私の前だけだ。
その事実が胸を満たすほど嬉しい。
「…ん?少尉、頭に葉っぱがついているぞ」
「え?」
ふと、短い金髪のてっぺんに小さな枯れ葉が埋もれていることに気が付いた。
司令部からここへ向かうまでの間、強く冷たい風に背中を押されながら歩いてきたのだ。
風で舞い上がった葉が少尉の髪に引っ掛かって、ここまでついて来たのだろう。
「…君なあ…女性なんだから少しは…」
「…悪かったですね」
私が呆れたように女性として気遣いが足りないことを嘆くと、少尉がさらに頬を膨らませてむくれた。
枯れ葉を髪から払い落とす。
だが、枯れ葉を取り終えてもこの柔らかな髪の毛から手が離せなかった。
髪を梳かすように撫でていると、少尉がきょとんとした表情を浮かべて首を傾げた。
このようにくだけだ表情は私の前だけでしか見せてくれない。
またひとつ新しい表情を見てしまうと、私の前でもっと違う顔をして見せてほしいと欲張りになる。
「中佐…?」
頬に手をすべらせ、肌の柔らかさを手の平で味わいながら、危機感のない子だなと心の中でため息をついた。
少尉は扉に背を向けているため、私が前にいては逃げ場がない。
そもそも、枯れ葉が髪に絡まっているということが嘘だったらどうするのだろう。
私を疑わないから、こうして危機感がないための報いを受けてしまうのだ。
頬に触れた手でわずかに少尉の顔を上向かせ、未だぴくりとも動かない彼女にそっと唇を重ねた。
紅茶色の瞳が声もなく驚愕に見開かれ、少尉がようやく状況を把握したのが分かった。
少尉は動揺して動けず、私にされるがままだ。
しっとりとした柔らかな感触を味わいながら、舌をちろりと出して唇の輪郭をなぞる。
「…ん…!」
少尉が冷たい感触に驚いて唇を開いた隙間から舌を差し込み、逃げる彼女を追い掛けて絡ませた。
少尉が私を押し退けようと胸を叩こうとした手を逆に掴み上げ、指を絡める。
片方の手は頭の後ろに回し、髪の毛をぐしゃぐしゃに乱して、口付けをさらに深いものにした。
「…ちゅう…さ…」
少尉を解放してやると、はあ、と甘い吐息がもれた。
私を呼ぶ桃色の唇が唾液で光っている。
少尉は目元や頬を赤く染め、今にも泣き出しそうな顔で私を見上げていた。
耳まで赤くなっており、恥ずかしいと無言で訴えているようだった。
扉に背を預けてただぼうっと立っているが、潤んだ紅茶色の瞳にはしっかりと私を映している。
「……君はそんな顔をするのか」
青い服を纏う少尉はいつも揺るがず毅然としていた。
その強い少尉が、触れれば今にも壊れてしまいそうな不安定で儚げな、まるで年端もいかない少女のような表情を浮かべている。
そしてそのあどけなさの中に、男を誘うような妖艶さを隠していることが信じられなかった。
いいや、違う。
私はこの表情を知っていた。
少尉がただ一人の女性、「リザ・ホークアイ」に戻る瞬間を、何気なく日常を過ごしながら飢えた獣のようにずっと待ち望んでいた。
きっかけが枯れ葉であっただけで、無意識に「リザ・ホークアイ」の表情を頭で描くほど、彼女が軍人や副官という立場から抜け出すのを、ずっと待ち焦がれていたのだ。
青い布を身につける冷静な少尉の喜怒哀楽を見て、これは得をしたと小さな喜びを得るのは今日でおしまいだ。
私しか見ることのない「リザ・ホークアイ」の表情が、今晩でぐっと増えるだろう。
「…私に電話するのが面倒ならば、泊まったらどうだ?」
「……答えさせるなんて…ずるいです…」
背に腕を回し少尉を閉じ込めるように抱き締めながら、彼女の言う通り意地悪な質問をする。
もちろん、少尉が抵抗しても、今日は彼女を家に帰すつもりはなかった。







「なあ」
眠りに落ちそうだった寸前の体を、低い声が呼び止めて現実へと引き戻す。
その声は甘く、そして意地の悪さが滲む質の悪い響きだった。
「妬ける?」
短い言葉だが、すぐに大佐が何のことを指しているのか分かった。
この顔をしかめてしまうような鼻を突く香水のことを言っているのだろう。
先程まで大佐が会っていた女性が身につけていた香水の香りが、私の部屋の匂いを掻き消してしまうかのように充満していた。
大佐が私の部屋に上がった時から存在を無理やり主張するようにぷんぷんと匂って、実に不愉快だったのだ。
「…きつすぎます。くさいです」
「…文句は香水だけか。やきもちを妬かないところが君らしいな」
何故か苦笑する大佐に一発お見舞いしてやりたい気分になる。
深夜に、しかもぐっすりと眠っていた私をたたき起こしておいて不満げな表情をされると非常に腹が立つ。
「移り香はなかなかとれないからなあ…。相手の服を脱がせても、肌にまでしっかりと染み込んでいるから厄介だ」
親しい女性と会っていたのなら、気まぐれで私の部屋に来ないでその人の家に泊めてもらえばいいものを、と心の中で愚痴を言う。
一体大佐は何がしたいのだろうと深く眉を寄せた。
例え私がこの香りを敏感に察知してやきもちを妬いたって、それは「すべての女性から好かれている」という大佐の小さな満足にしかならないはずだ。
「私もこの香りは苦手なんだ。シャワー、借りるから」
無理やりベッドに入り込んできたかと思えば、今度は家主の許可を取らずに、大佐はすたすたと我が物顔でバスルームへ向かってしまった。
大佐の身勝手さに苛立ち、背中に枕を投げ付けてやりたいが、疲れるだけなのでやめておく。
何とか怒りを沈めながら、再び目を閉じた。
大佐はこの世で一番大切なひとだけれど、それは恋愛感情とは違うと思っている。
大佐が私の知らぬ女性達と会っていても、そして何人もの人と深く愛し合っていても私は何も感じない。
「あれは情報収集だったんだ」と、女性と会っていたことを大佐に何故か必死に弁解されても不思議に思うだけだ。
先程まで大佐と一緒にいた女性と、彼が口付けていても性行為を行っていても、私は特に何も思わず、そもそも関係がない。
私は大佐を守るだけの人間なのだ。
しかし、この香水のことだけは黙ってはいられない。
大佐は、わざとなのかシーツにきつい香水の匂いを残してバスルームへと行ってしまった。
硝酸を纏う私とは一生縁がないような香水、特にこのお嬢様が好むような刺激の強いものは好きではない。
何だか嫌な夢を見そうだ。
香水、そしてバスルームから聞こえる大佐の鼻唄を遮断するように寝返りを打って背を向け、ため息をひとつついた。

寒い日は苦手だと思いながら、高い灰色の空を見上げてかじかむ両手を擦り合わせた。
私の視線の先には大佐がおり、歩く彼をマフラーに顔を埋めながら何となく見つめてみる。
枯れ葉の舞う路地を歩く大佐は一人ではない。
大佐の横には綺麗な女の人が寄り添っていて、その腕には女性と同じ髪をした小さな子供が穏やかに眠っている。
息が白くなる寒さだというように、何故かあの三人の周りだけは場面を切り取ったかのように不思議と暖かく見えた。
大佐が可愛らしい幼い子の頬を指でそっとつついて、私の前では見せない幸福そうな表情で笑う。
大佐はあんなに頬を緩めて笑うのかと、私は声も出さずに驚いてしまった。
私は、こんな私では、大佐にあのような幸せそうな表情をさせることができない。
大佐は愛おしさを含んだ熱い視線を美しい女の人に向けて、二人は楽しそうに笑い合う。
あの三人に決して近付くな。
誰かにそう命令されている気がした。
私が近付いたら、大佐もあの可憐な女性も、二人の間に生まれた子供も不幸になり家族が壊れてしまう。
私は大佐に、この世を作ることも壊すこともできる表裏一体の大きく重たい力を託してしまった。
私は銃を手にして躊躇うことなく機械のようにたくさんの人達を傷付けてしまった。
あの赤子を抱く女の人の華奢な指は爪まで丁寧に手入れされており、とても綺麗だけれど、私の手は真っ赤に染まっている――

「…中尉?起こしたか?」
ぱっと目を開けると見慣れた天井が飛び込んできた。
声のした方へ瞳を動かすと、ベッドの端に腰を掛けて髪を拭いている大佐がいた。
「…中尉…どうかしたのか?」
呼吸が乱れているのが耳にうるさいが、なかなか息を整えることができない。
「中尉?」
私の様子を変に思ったのか、大佐は首を傾げながら、私に顔を近付けてきた。
「ちゅ、中尉っ!?どうしたんだ!?」
「…え…?」
「泣いているじゃないかっ!」
「…あ…」
思いがけず弱々しい声がもれた。
泣いてませんよと言おうとしたが、目尻に涙が溜まっていることに気が付く。
瞬きをすると涙が耳の方へ流れていき冷たい。
「どうした!?そんな…私は…泣くまで君をいじめるつもりはなかったんだ!」
「…いじめる…?」
大佐に両肩をがっしりと強く掴まれ、前後に揺さ振られる。
大佐のあまりの温かさに、自分の体が異様に冷たくなっていることを知る。
大佐は私をぶんぶんと揺さ振り、髪が乱れてついには彼が見えなくなった。
「…ここまでするつもりはなかったんだ
悲しそうに大佐が呟いた。
大佐の手を振りほどきながら身を起こし、頬を伝う涙を拭う。
「…君が妬きもちを妬いてくれることを期待して、わざわざ夜中にやって来たんだ。けどな、香水のひどい女性と会ったのは情報収集のためでやましいことは何も…」
「私、そんなことで泣きませんよ」
「…え?…ああ、そうなのか…。それはそれで寂しい気が…。じゃあ、悪い夢でも見たのか?」
大佐が心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
私の答えを待つ間、大佐は自ら乱した髪を優しく梳かしてくれてた。
「…いいえ、幸せな夢を見たんです」
大佐は私の答えに驚いたようで、目を見開いた。
「…泣くほど、幸せな夢だったのか…?」
「はい」
そう、あれは幸せな夢だ。
幸福の形はたくさんあるけれど、結婚して妻を持ち、子供を生んで家族に囲まれて暮らすことも幸せのひとつだと思う。
ヒューズ中佐の家族自慢の長電話を、迷惑そうに、しかし楽しそうに聞いている大佐を見ているとなおさらそう思うのだ。
敵が多く、そして私という重荷を背負っている大佐に心を許せるひとがいてくれれば、大きな支えとなるだろう。
大佐が妻に選ぶ女性は、きっと私のよう赤く汚れていない綺麗なひと。
この世の悪を知らない心で大佐を包み込んで真っ白に洗い流してくれる、そんなひとだろう。
世界で一番大切な大佐が幸せになる。
これ以上の喜びはないだろう。
「…じゃあ、どうしてそんなに悲しそうな顔をしているんだ?」
「…どうしてでしょう…」
震える声を抑えるのに精一杯で、いつものように冷静に対処できなかった。
――私が大佐を幸せにしたかった
その馬鹿な考えを打ち消そうとするが、涙がどんどんと溢れて止まらない。
「…いい夢だったんじゃないのか?」
「…いい夢なんですけど…悪い夢だったんです…」
「…なんだそれは」
困り切った表情を浮かべた大佐の指が頬を流れる涙を拭う。
私は大切なこの人を幸せにすることができない。
結婚するどころか、今の上官と副官という距離でいることすら、私は優しい大佐を傷付けてしまっている。
大佐は、きっと私の背中に刻まれた錬成陣のことを気遣って、一生背負っていくつもりなのだろう。
背中に刻まれた陣と火傷を背負うのは私一人で平気なのに、温かい心を持つ大佐は共にいようと手を差し延べてくれている。
この背中は大佐を縛り付ける鎖のつもりではなかったのに――
私という鎖を気に掛け、自ら捕われにくる優しい大佐はきっとひどく疲れ、傷付いている。
前に進む大佐に余計な重荷を背負わせたくないと願いながら、一番の邪魔になっているのは私だ。
ごめんなさい。
どれほど大佐に謝っていいのか分からず、また涙が零れ落ちて顎を伝う。
大佐に最強にも最悪にもなる焔の力を託し、彼に辛い思いをさせている私が、たくさんの人を傷付けて汚れた私が、彼を幸せにできるはずがない。
もし、私が凶器を持ったことがなければ、綺麗な手で大佐に触れることができたのだろうか。
大佐がぶつけてくるものすべてを優しく受け止め、そして彼の心を清め、彼を安寧へ導くことができたのだろうか。
しかし、私達はもう共犯者になってしまった。
そして私は、切り捨てることのできない大佐の足枷だ。
愛し合おうとしても、私達は抱えているものが多すぎるから、お互いの傷を舐め合うだけで虚しく終わるだろう。
私じゃ駄目なのだ。
戦争も血も銃も何も知らない誰かじゃないと、綺麗な誰かじゃないと、この人の闇を払い救ってあげることができない。
「…あー…、中尉に泣かれると困るなあ」
「…どうしてですか?」
大佐の指は私の涙で濡れ、月明かりで雫が光っていた。
涙を拭おうと大佐の温かい手にそっと触れると、彼が指を絡ませてきた。
「中尉にはできるだけいつも笑っていてほしいんだ」
「……恋人に言う台詞みたいですね」
「君は私の恋人だろう?」
大佐が冗談を言いながら楽しそうに笑う。
気遣いの上手な大佐はいつもこうして冗談やくだらない話をして、暗い雰囲気を吹き飛ばしてくれる。
「恋人にはいつも笑っていてほしいだろう?だから泣くな、リザ」
大佐は隙間なくきつく涙で濡れた指と指を絡ませ、そしてもう片方の手で私のそっと頬を撫でた。
大佐の手の温かさが手放したくないほど心地良くて、本当に彼の恋人になったような気分だ。
「…大佐は、恋人といると…幸せですか?」
「当たり前じゃないか。愛おしい人が側にいるだけで幸せだよ」
「……じゃあ、もう何も喋らないで」
大佐の指をゆっくりと解きながら、彼の上に覆いかぶさりベッドへ押し倒した。
「…今日は…もう何も話さないで…」
大佐の唇に人差し指をあてて、お願いだからと懇願する。
泣いている私を放っておけないどこまでも優しい大佐は、何も聞き返さず、私が言うままに今晩だけ私を「恋人」にしてくれた。
大佐の下唇を甘く噛み、唇が開いた隙間から舌を差し込んで絡ませる。
――愛おしい人が側にいるだけで幸せだよ
「…リザ、愛している…君さえいれば私は幸せなんだ」
耳に直接囁かれたありがちな口説き文句が甘く体に響く。
その言葉は嘘のはずなのに嘘に聞こえなくて、胸がざわめいた。
何も纏わない素肌で大佐の熱を感じ、唇や舌で愛されながら、偽物の「幸せ」に溺れていく。
今晩以外、私が大佐の「愛おしい人」になることは一生ない。
一夜限りの甘く滑稽な恋人ごっこは、きっと香水の香りのように私に染み付き、残酷にも忘れられずに記憶に残るのだろう。







「……何を見ているんですか」
タイルの上の小さな椅子に座り石鹸の泡まみれになっているリザが、唇をとがらせて私を睨んだ。
「いやー、絶景だなあと思って」
私はバスタブの縁に両腕を乗せその上に顎を置き、リザの一糸纏わぬ姿を遠慮なく眺めてにやにやと頬を緩めていた。
リザがシャワーのコックを捻り雨のようにお湯が降り注ぐと、泡が流れていき白い肌があらわになる。
「一緒に風呂に入ろう」とリザを無理やりバスルームに連れ込んだ時は、リザは私を殴り掛からんばかりの激しい抵抗を見せた。
しかし、持ち前の身勝手さでリザの服を強引に脱がせてバスタブに押し込むと、とうとう彼女は観念した。
その結果、リザは未だ不機嫌なままだがこうして私と一緒に風呂に入っている。
お互いの裸を見ることなんて初めでもないくせに、リザは明るい場所で肌を晒すことが嫌なのか、狭いバスタブの中で上半身や下半身を忙しく手や腕で隠していた。
先程までは一人で慌ただしくばしゃばしゃとお湯を揺らしながら肌を隠していたのだが、しかし、今はタイルの上で何も纏わず普通に体を洗っている。
リザが恥ずかしいと感じる状況、そして恥ずかしくないと感じる状況の基準はどうなっているのかぜひ知りたい。
ついさっきまであんなに恥じらっていたリザが、私がじろじろと眺めているのも構わず、平気で髪も体も洗っている。
やっぱりリザのことはよく分からないなあなどと思っていると、ちょうど目の前に、洗い立てのすべらかな太ももが飛び込んできた。
リザが椅子から立ち上がったのだ。
躊躇うことなく手を伸ばして色っぽく雫を纏う太ももに触れる。
今日も素晴らしい柔らかさと弾力だ。
「やめてください」
美しいリザは化粧や着飾ることをしなくても、ただ生まれたままの姿で存在するだけで絵になる。
一糸纏わぬ姿で湯気に包まれ、濡れた肌の雫が光って輝いているように見える。
リザが屈むと魅惑的な二つの白い膨らみが揺れ、非常に良い眺めだ。
もちろんそちらも当然のように手の平のに収める。
指が綿菓子にでも埋もれたような儚い触り心地だ。
「ですから、触らないでください」
しなやかな白い腕を優雅に動かし洗面器にバスタブのお湯を溜めるリザの姿はまるで絵画のようだ。
絵画の女神を抱き寄せようとすると、突然顔にお湯が浴びせられ、視界が歪む。
「何度言えば分かるんですか」
黒い前髪が水を吸って重くなり、目の前を塞いでしまうかのように落ちてきた。
リザにお湯を掛けられたのだとやっと気付いた。
「急に何をするんだ!」
「当然の報いです」
リザは何事もなかったかのように再びバスタブに入る。
「ちょっと触っただけじゃないか」
雫がぽたぽたと滴る邪魔な前髪を手でかき上げ、後ろに撫で付ける。
ふと気が付くと鋭い目付きで私を睨んでいたリザが、打って変わってぼうっとした瞳で私を見ていることに気が付いた。
「中尉?」
私と目が合うと、リザははっと我に返り急いで目を逸らした。
一体何なんだ。
「……む、無能ですね」
リザの行動の意味が掴めない上に、悪口まで言われてしまった。
「水も滴る良い男、だろ?」
オールバックにした髪をもう一度撫で付け、自慢するようににやりと笑う。
しかし、リザはまた冷たく視線を逸らした。
「無能です。変態で無能です」
「私の仕返しを甘く見るなよ」
狭いバスタブの中でじりじりとリザに近寄ると、負けじと彼女も逃げるが、当然逃げられる範囲は決まっている。
「さっきのお返しを…」
狭い空間の中を頑なにも限界まで逃げ、とうとうバスタブに背を預けることとなったリザを抱き寄せると、彼女の白い肩が驚いたようにぴくりと揺れた。
頭の上でゴムで適当に纏められている濡れた金髪に口付けながら宣戦布告をすると、ふとリザと目が合った。
リザが私をじっと見つめ――その瞳が急に「鷹の眼」に変わった。
リザが何の前触れもなしに、私を見上げたまま湯舟の中から拳を繰り出した。
お湯を飛び散らしながらリザの拳が空を切る。
リザの殺気と殴られるという気配を感じて咄嗟に避けたために私は無事であった。
リザが振り上げた腕から落ちた雫が音を立てて湯舟に落ち、彼女がはっと我に返った。
「…すみません!つい手が勝手に!」
「いいや、無事だったし…。もう慣れているからいいけど」
リザは拳を引っ込めながら、避けなければ殴っていたであろう私に謝る。
リザは両手を自分の胸に当て、己の行動に驚いているようだった。
ちなみに私はこのリザの奇行には慣れっこだ。
セクハラをしようとした私にリザが謝るなんてつくづく奇妙な会話だと暢気に状況を分析できるほどだ。
リザと私が二人で仲良く戯れている時、彼女に急に殴られることは恐ろしいがよくあることなのだ。
恋人同士になった当初は非常に驚いたが、今やもう予期して避けられるほど慣れるようになった。
リザが私を殴る理由は、恥ずかしさに耐え切れずつい手が出てしまうからだと思う。
リザは暴力的な女性ではないのだが、しかし彼女はある一点が過ぎると羞恥のあまり私に手を出すほど極度の恥ずかしがり屋なのだ。
リザ以上に照れ屋で恥ずかしがり屋な女性がこの世に存在するのかと時折考えるほど、彼女は異常に恥じらう。
しかも、変な場面で唐突に恥ずかしがるから困っているのだ。
例えば、昨日、司令部で相変わらず柔らかそうだと思いつい胸に触った時は、リザは「仕事をしてください」と注意するだけで終わり、少し拍子抜けした。
今も最初こそ裸体を晒すことを恥じらっていたものの、現在は開き直ったように肌を隠しもせずに普通に振る舞っている。
しかし、この前は、着替えているリザの耳にかじりついてみたら危うく撃たれそうになった。
リザが恥ずかしさのあまり殴る時、それは異性の前で肌を晒すだとかそういう一般的な羞恥心が理由ではなくて、男女の差を感じる時ではないかと私は睨んでいる。
リザが男である私によって自分が女性だと思い知らされる時に殴られているような気がするのだが――
今はそんなことがあっただろうか?
「…なあ、中尉」
「さっ、触らないでください!近寄らないでください!」
軽く肩に触れようとすると、大袈裟とも言えるほど思いきりリザに避けられた。
拒絶の言葉が風呂場にこだまする。
「…そこまで言われると傷付くな」
冗談っぽく笑いながら言ったが、実は本当に傷付いていた。
やり場のない手を湯舟の中に戻す。
「…あ、あの…」
情けなくも落ち込んでいるのが表情に出ていたのか、リザが私を気遣うように見遣る。
「…ごめんなさい…つい言い過ぎました…。で、でも大佐が悪いんですよ!私にいきなり近付くから…」
珍しくリザが目を泳がせ、焦りながら弁解している。
「いきなり近付いたら駄目なのか?」
「駄目ですっ!」
懲りずにリザの顔を覗き込みながら問い掛けると、また風呂場に拒絶の言葉が響いた。
「…だ、駄目です…。大佐がかっこいいと…困るんです…」
「…え…?」
リザが唇に片手を当て、目を逸らしながらもごもごと言った言葉に耳を疑う。
「…かっこいい?私が?」
「…はい…」
後ろに撫で付けていた前髪の束のひとつが、ぱさりと落ちて元の位置に戻った。
私がかっこいい?
リザがそんなことを言うなんて初めてで、喜ぶ前に唖然としてしまう。
ちょっと待て。
リザが今まで私を殴ってきたのは女だと思い知らされる恥ずかしさだけではなく、私の男前さやかっこよさに耐えられずつい――という可能性も出てきたではないか。
ということはリザは私自身に照れていたのか。
いまリザの頬が赤いのは、風呂に入っているからではなく、私が理由なのか。
やっぱり私はこのリザが認めるほどかっこいいのか。
「……ちゅういぃぃっ!!」
「…ひゃっ、あ、大佐っ!何するんですかっ!」
リザがバスタブの中に沈みそうになるのも構わず、彼女に襲い掛かるようにして抱き着いた。
「…ちょっと、近付かないでって言って…!」
バスタブにリザの背中を押し付け、嬉しさのあまり勢い余って首筋に甘く噛み付く。
風呂場でするのもまた一興だとすっかり浮かれていた。
リザの手を塞いでいるために殴られることはないと安心していたが、迂闊にも彼女の長く有能な脚の存在を忘れていた。
数分後、彼女を鳴かすつもりが下半身を蹴られて逆に泣かされた哀れな声がバスルームに響き渡った。








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