「私のことを何だと思っているんでしょうね!?」
射撃訓練所を出るとすぐに現れる木々やベンチが並ぶ中庭に、副官の怒りの声が響いた。
私を叱る以外でリザが声を荒らげるのは珍しく、さらに驚くべきことに彼女は地面に靴の形を残そうとするようにどすどすと歩いていた。
リザは身の周りで何が起こっても動じることなく、たいてい無表情であるが、不満は堂々と態度に出す。
しかし、ここまであからさまに言動で怒りを表すリザは貴重だ。
先ほどまでは私もリザと同じように激怒しており、胸ポケットに入っている発火布を手に嵌めようかと思うほど、それこそ燃え盛る焔のように怒り狂っていた。
しかし、とてつもなく苛立っているリザの言葉を耳にする度に徐々に怒りは消え、代わりに心配事が胸を占めていた。
君は少しおかしいと言いたいことろだが油に火を注ぐようなものなので止めておく。
後ろに副官を控えさせているというより、鬼のような形相を浮かべている彼女に追い詰められて前を歩いている気分だ。
まるで熊のように歩いた道に足跡を残すのは年頃の女性としてどうかと思うぞ…なんて、もちろん口にはしない。
リザが怒りを鎮火できずにいるのを背中に痛いほど感じ、下手なことを言えば熊と化した彼女に噛み付かれそうだ。
「人のことをじろっじろ見て、にやっにや笑って…っ!私は見世物ですか!?」
「…しょ、少尉っ!…少し声を抑えないとあのハゲに聞こえちゃうかもしれないぞー?」
「でも…っ!」
リザがまた何かを叫ぶ前に、慌てて後ろを振り向いて、動く直前だった彼女の口を手で塞ぐ。
頭に血が上っているリザに対してどう接して良いのか分からず、口調は冗談めいているものの、顔は笑えずに引き攣っている。
ちなみに「あのハゲ」とは、先ほど射撃の訓練に励んでいたリザの姿を舐め回すように眺めていた変態のことである。
軍はどこまでも狂っているらしく、変態の階級は私より上だ。
「…君は怒って当然だよ」
リザの口を手で覆ったままため息をつく。
私がリザに宥められるのはいつものことだが、私が彼女を宥めるだなんて異常な出来事だ。
リザは私に同情されるのを嫌がるだろうが、伝えたいことが山のようにあり、それを整理できないままついこの言葉が出てきてしまった。
ふと、リザはいつものように、感情の読めない表情を消した顔を浮かべた。
リザは不満以外の感情を滅多に表に出さず、同年代の女性と比べると非常に表情が乏しいひとだ。
それに加えて私よりも髪を短く切り揃えているせいか、廊下でリザとすれ違った者や、遠目で彼女を見た者は、彼女のことを「顔の綺麗な少年」だと思うらしい。
リザのはにかんだ表情や拗ねた姿を知っている私としては、彼女を男性だと勘違いするだなんてとんでもない話だと思う。
しかし、今のように昔話に出てくる怪物のように恐ろしい表情もよくよく知っているので、完全に否定はできない。
とにかく、リザを顔をしっかりと見たことのない人間は、そこら辺の男性士官より軍人らしく凛々しい彼女を少年だと思い込むらしい。
それに加えて、「鷹の目」を男性だと思い込んでいる者も多いのだ。
しかしリザは非常に魅力的な女性であり、兵士達はすぐに自分の大きな勘違いに気が付くのだ。
凛としたたたずまいから滲み出る艶や、鍛えられつつも女性らしい柔らかな体の線が、リザを女性だと気付かせるいい例だ。
そして、私の副官というだけでもリザは注目の的になっていたというのに、司令部内で彼女についての腹立たしい話が広まり、また存在が知れ渡っていたのだ。
失礼極まりない話で盛り上がる兵士達を見つけては、リザの知らぬところで簡単な制裁を加えたが、人の口は簡単には塞げない。
リザは気にしないそぶりを見せていたものの、薄々気付いていたのだろう。
リザの小さな苛立ちは日々積み重なり、そして今日、「鷹の目」を一目見たいと射撃場にやってきたハゲ将軍のせいで怒りが一気に爆発したのだ。
あのハゲも「鷹の目」を男性だと思っていたらしく、標的に易々と穴を開けていくリザの姿を見ても、暫く女性だと気付かなかった。
リザの銃の腕に感動し、激励の言葉を掛けた時に、ようやく将軍は彼女が女性であることに気付いた。
そして、司令部内でひそかに話題になっていたことをはっきりと言葉にしてしまったのだ。
「君の顔は一見少年のようなのに、体は正反対なんだなあ」
黒いアンダーシャツを着たリザの胸元に堂々と視線をやり、いやらしく笑いながらハゲはとんでもないことを言った。
今こそリザは怒っているが、「そうですか」と表情を変えずに対応した彼女はすごい。
将軍を睨み付ける私を隠すためにリザは私の前に立ち、彼女は平然と変態野郎と話を続けた。
ハゲの意識を舌打ちをする私に向かわせないようにするためか、将軍の副官と銃の腕を競う提案を彼女は快諾した。
最初から敗者が決定している緊張や不安のないつまらない勝負を終え、適当に理由をつけて私達は射撃場を跡にした。
ちなみに、将軍は勝敗よりもリザの腰の括れの辺りを眺めることに夢中だった。
そして、私とリザは無礼にもほどがある将軍の言動に怒りを感じていたのだが――
「こんな肉の塊を見て何が楽しいんですか!それに私を女だと知った途端に馬鹿にして…!」
リザの怒りは女性として少し論点がずれているので、今、かなり困っているのだ。
体をじろじろと見られたならば、ほとんどの女性は恥ずかしさに顔を赤くするだろうが、彼女は別の理由で頬を紅潮させている。
「……マスタング中佐」
唇を押さえていた私の手をやんわりと外して、リザがようやくいつも通りの冷静な声を出した。
「取り乱して申し訳ありませんでした」
「…君は悪くないよ」
「私はくだらない私情で中佐に迷惑を掛けました。どう詫びればいいのか…。将軍の笑い者になったことを過剰に気にしたり、彼の副官を大人げなく負かしたりしたこと…中佐の立場が危うくなるのにも気付かず勝手な真似をしました」
「そこまで謝らなくてもいいんだよ、少尉」
あの将軍はリザを笑ったわけではなく、鼻の下を伸ばしながらセクハラ丸出しで眺めていただけだ。
それから、射撃の勝負のことも、リザが目をつぶって銃を扱っても勝てる相手なのだから、そんな奴に負けるなど無理な話なのだ。
「…中佐の前で、性別のことをからかわれたことが悔しかったんです…」
俯きたいのを我慢して、私の目を真っ直ぐに見つめながら反省に唇を噛み締めるリザは、やはり男性には見えない。
「…中佐、ご存知でしたか?私のことを初めて見た方は、私を男性だと勘違いするようなんです。そして私が女だと分かった途端に、皆の視線が珍しいものでも見るようになるんです」
悔しそうに語り始めたリザは、やはり辱めを受けたことに耐えられないのかと思っていたのだが、まったく違った。
心が折れそうなリザを優しく抱き締め、女性であることの幸せを手取り足取り教えよう…という下心が打ち砕かれる。
どこまでもずれているリザは、兵士達が彼女の中性的な顔と魅惑的な体つきの差に虜になっていることにまったく気が付いていないらしい。
「私、自分が女に生まれてきたことを後悔したことはありません。男性に憧れることは多々ありますが…。女性ができないことを男性は軽々とこなしてしまいますから。でも逆に、女性にしかできないこともあるでしょう?」
「…ああ、うん…」
私としては、男女関係の観点からリザを励ましたいのだが、彼女は仕事関係しか頭にないらしい。
「リザ・ホークアイが見世物になるのは構いません。ただ、私は中佐の副官です。中佐の副官という立場の私が、嘲笑われるような存在になるのは嫌です。どんな些細なことでも、私が中佐の妨げになることや評価を落とすことは許せないんです」
それに中佐は部下に優しいですから私を心配してくれるでしょうと、彼女は小さく付け加えた。
「…いや、君が女性であることが妨げになんてならないよ。むしろ美人だから自慢の…」
「私の評価は、良くも悪くも注目されている中佐に必ず繋がります」
「おい、だからね、少尉…」
リザは私の話を聞かずに、珍しく次々と言葉を紡ぐ。
「私は女性であることに嫌悪を感じることは多分一生ありません。けれど今後、私の性別が中佐の邪魔になることがあれば…男性になりますので安心してください」
「…ああ…。…ああっ!?男性になるっ!?」
今日一番の破天荒な発言をしたリザの思考についていけず、おうむ返しで叫んでしまう。
「はい。残念ながら、見た目しか変われませんが」
まったく安心できない。
リザはセクハラに物おじしない男前な性格をしているから、見た目を男性らしくしたら本当に男性のようになってしまうだろう。
「私、中佐の障害にならないように努力します。ずっと側にいてお守りますから」
頭が痛くなるような会話が続いたが、そう誇らしく告げたリザは健気で思わず抱き締めたくなる。
自分のためではなく、私のためにとんでもない方向まで頭を悩ませ、性別を変えようとまでするひとは、この世にリザ一人しかいない。
「…サラシってどこで売っているんでしょうね…」
中庭に初夏の爽やかな風が吹き抜けると同時に、リザがぽつりと恐ろしいことを口にする。
もちろんリザが男性になりきったとしても好きだが、あの豊かな膨らみが押し潰されるのを黙って見ているわけにはいかない。
「少尉っ!君はそのままでいいんだよ!変わらず私の側にいてくれればいいんだ!」
「……でも万が一のために」
この子は自分が女性である事実を知っているものの、自覚が足りない。
私の評価を落とさぬようにここまで思い悩むリザに愛されているのは間違いないが、その愛は私が彼女に向けるものとは性質が違うだろう。
愛おしく厄介なリザを、今後どう扱えばよいのだろうか。
自分が女性だということを自覚させることから始めていたら、愛の告白はいつになるのだろう。
とてつもなく遠い未来については、とりあえずハゲ将軍をこき下ろしてからゆっくり考えよう。







私の背中にただ物静かに控え、大人しく任務をこなしていても、才のある人間はどうしても目立ってしまう。
ただでさえリザは「あのマスタングの副官」ということで注目を浴びやすい存在だ。
後々こうなると分かっていたが、いざ現実になってしまうと腹立たしくて仕方がない。
現在、リザ・ホークアイ少尉の存在を知らない者はいないと言い切れるほど、彼女は司令部内で話題になっていた。
しかも失礼極まりないことに、リザは「マスタングの副官」や「鷹の眼」という肩書で有名なのではなく、「幼い顔をしているのに体はすごい」という失礼極まりないことで兵士達はわいわいと騒いでいるのだ。
「……あーあ、最悪だ」
今、書庫には私とリザしかいないため、ため息でも文句でも何でも吐き放題だ。
しかし苛立ちを言葉にしたところで何も解決はしない。
いや、本来ならば文句を言うべきなのはリザなのだが。
どこへ行ってもリザは注目の的であり、この書庫に来るまでの間も、廊下ですれ違った兵士達はうっとりと目を細めながら彼女に汚らわしい視線を向けていた。
リザが後ろにいるのをいいことに、私は兵士達の視線を跳ね返すように次々と睨んだために、彼女に声を掛ける馬鹿者は出なかったのが幸いだ。
書架から必要な資料を抜き取るリザをぼんやりと眺めながら、彼女をいやらしい目で見る者達をどうやったら手っ取り早く排除できるかを考える。
大体、少し可愛い女性――いや、とびきり可愛い女性が同じ職場にいるだけで皆浮かれすぎなのだ。
人形のように可愛らしいリザを見てすぐに性的なことに結び付けるだなんて、不躾にもほどがある。
そもそもあいつらは女性に飢えすぎだ。
そしてのようなあどけない顔立ちをしているのに、体は正反対に立派な大人…だなんて――
「……その通りじゃないか」
せっせと仕事をしているリザの体の線を、上から下まで遠慮なく眺めて呟く。
鍛えられた脚はほどよく引き締まり、腰も細く括れているのに、リザの上半身は驚くほど柔らかい。
「疲れた」と言って軽く抱き着いた時、腕の中のリザの体は菓子のようにふわふわとしていた。
嫌でも目がいってしまうふっくらとした胸も…実物は見た目を遥かに越す素晴らしさだと思う。
魅惑的な体つきをしているのに性を感じさせない冷静な態度がまた良く、そのギャップが堪らないと、兵士達の話に加わりたいくらいリザはいい女だ。
しかし、リザを異性として見られることも、ましてや性的な目で見られることがしゃくに障る。
激しい嫌悪感、怒りを感じずにはいられない。
リザはそれらをどう思っているか知らないが、私は汚らわしい視線を消し炭にしたいほど苛立っていた。
リザを女性として扱うのも、下心を含んだ気持ちで見るのも――我が儘だが私だけがいいのだ。
私のリザが絶妙な色っぽさを無防備にぽいぽいとばらまいて歩いているような現状が悔しくて仕方がない。
「…あの、中佐」
リザに下心を抱く奴らをどうしてくれようかと考えていると、突然彼女が振り向いた。
私がこうしてサボっているため、資料はまだ半分も集め終わっていないはずだ。
「…何かお悩みが…あるんですか?」
「え?」
リザの唐突な質問に驚く。
「悩み…ありますよね。先程からずっと難しい顔をして何かを考えているようでしたし…。中佐、一人で悩まないで、私でよければ話してくださいね」
「…私の悩みというか君の悩みのような…」
「…中佐、差し出がましいかもしれませんが…私、中佐のことを守りますから。何があっても、誰からでもお守りしますから」
胸に抱いた資料を持つ手にぎゅっと力を込め、リザが強い眼差しで私を見上げてくる。
ふとした瞬間には少女のようなあどけない表情を見せるのに、こうして「鷹の眼」という異名に相応しい勇ましい顔をするところが良い…ではなくて。
「少尉、突然どうしたんだ?そう言ってもらえるのは嬉しいが…あまり気を張らなくてもいいんだぞ」
というか、今は私が飢えた獣達からリザを守らねばならない。
「…そうですか…。……あっ、もしかして…」
「ん?」
リザが急に何かに勘付いたというように、咄嗟に口に手を当てた。
「いえ、中佐にそういう趣味があるのなら…私は何もしない方がいいですね…。…中佐、私はどんなあなたでもついて行きますから」
「…少尉、君は何の話をしているんだ?」
リザは一人で「それにしても驚いたわ」なんてぶつぶつと呟いている。
こういう時のリザは自分の世界に入り込んでしまうので、彼女の耳に私の声など届いていない。
「世の中にはいろんな方がいらっしゃいますからね。ですが、私はいつでも中佐の味方です」
「…ありがとう。…で、何の話なのかな?」
「でもなんだか意外です。中佐に男色の趣味があるだなんて」
「…え?」
「え?」
二つの間抜けな声が書庫に響く。
「…君、今、男色って言った?」
「はい」
真面目な顔をして頷くリザを見て、頭が目眩でも起こしたかのようにふらふらとしてきた。
「…少尉は…まさか私が女性ではなく男を愛する趣味があると…思っていないよな?」
「あら、違うんですか?」
「『あら』じゃないっ!そんな可愛い言い方をしても駄目だ!私のどこが男好きなんだっ!」
「だって、中佐は街を歩いている時は女性から、そして司令部を歩いている時は男性から熱い視線を受けているでしょう?」
女性から憧れの眼差しで見つめられることは認める。
何故なら私は東方きってのいい男なのだから。
しかし、男性からの視線に込められるものは良くないものが殆どだと言い切れる。
というかそうでなければ困る。
それから、司令部内を歩いていて熱い視線を受けているのは私ではなくうしろに控えるリザだ。
「中佐は男性からも恋心を抱かれて悩んでいると思っていたんです。だからお守りしますと言ったんですが、中佐が乗り気じゃないようで…」
「だからって話を飛躍しすぎだろうっ!馬鹿か君は!私は男なんか好きじゃない!滅べと思うほどだ!私が女性が大好きなんだっ!!」
ぜえぜえと息を切らしながら一気に叫ぶ。
「それは失礼しました。でも、中佐が女性好きでも、残念ながら軍の男性は中佐のことが大好きみたいですよ」
「そんなわけあるかっ!」
続けて叫んだために肩で息をするはめになる。
リザの思考はたまにぶっ飛んでいるために、相手をするのが大変だ。
「…君は男が好きな私でも味方するのか…。喜んでいいのか呆れていいのか分からないな…」
「先程も言いましたが、私はどんな中佐でもお守りします。例え万人に理解されない趣味をお持ちでも尊敬していますし…好きです。これからは女性好きな中佐を、男性から守ることを強化しますね」
そう誇らしげに告げられ、もう虚しく笑うしかない。
「…はは、頼りになるなあ、少尉は…」
女性が大好きだとリザに念を押したことを後悔する。
リザはどんな私でも味方をすると胸を張って言い切ることができるのに、そして「好き」とまで言ったのに、その気持ちにはまったく恋心が含まれていない。
今のリザは、私が「女性好き」であることに不満を抱くことはない。
私を男性から守ると意気込むリザが、自分の性別や私が男性であることを意識するのはいつになるのだろうか。
少女のような愛らしい顔立ち、均等のとれた魅惑的な体、冷静で使命感の強い性格――そして、自分の性を特に意識していない。
それもまた魅力のひとつなのだが、ため息は尽きない。







「最近、よく男性士官から食事に誘われるんです」
仕事の休憩時間にリザが何気なく放った一言に、危うく口からコーヒーが噴き出そうになった。
「中佐、大丈夫ですか?」
むせている私の背を、リザがすかさず手の平で優しく撫でてくれる。
「な、何…?食事に誘われるだとっ!?」
まだ咳をしながらも、涙目で、掴み掛からんばかりの勢いでリザに問い掛ける。
「はい。今までそんなことはなかったのですが…急に」
一気に頭に血がのぼり、無言でコーヒーカップを強く叩き付けるように机に置いた。
私のリザに手を出そうとはいい度胸をしている。
まるで少年のように凛々しい性格、しかし顔と体は女性らしく魅惑的、怒ると鬼のようだがやはり可愛い――
というわけで、本人はまったく気が付いていないが、リザ・ホークアイ少尉は東方司令部のアイドル的存在であるのだ。
リザの逆鱗に触れて鷹の眼の餌食になることは怖いが、やはり愛くるしいベビーフェイスをものにしたい奴が出てきてしまったか。
怒りに顔がぴくぴくと引き攣る。
リザを食事に誘うなどして彼女に近付き、親しくなり、できれば恋人という立場になりたいと動き出した猛者がとうとう現れてしまったのだ。
人のものに手を出す愚か者にどうやって制裁を加えるか考えねばならない。
「私から中佐に近付こうという作戦でしょうか…。男性から中佐を守ることをさらに強化しないと…」
しかし、当の本人は下心丸出しで近付く男達の本心にまったく気が付いていない。
それどころか、また変な誤解をしている。
「…少尉、私は男性に好かれるどころか恨まれる存在なんだぞ…今も消し炭にしようと作戦を練っているし」
「中佐、私に気を遣わなくて結構です。どんな輩からも中佐をお守りするのが私の使命ですから」
瞳を輝かせながら胸を張ってそう言われ、リザを食事に誘った奴らが、いま少しだけ哀れになってきた。
あいつらは恋愛対象として見られる前に敵として見なされているようだ。
脈があるだとかないだとか、そういう以前の問題だ。
「…で、少尉。…その誘われた食事とやらは…断ったのか?」
咳ばらいをしながら、何気なく聞いてみる。
「ええ。忙しくて食事に行く暇なんてないですから。誰かさんのおかげで」
いつもなら思わず耳を塞ぎたくなるようなちくりとした小さな嫌味だが、その少尉の答えに一安心した。
仕事を溜めておいて良かったと誤った喜びが沸き起こる一方で、ふとあることに気が付く。
「…じゃあ、忙しくなかったら、行っていたのか?」
これも何気なくを心掛けて聞いてみる。
「まさか。行っていませんよ。初対面の方と食事ができるほど私は友好的な性格ではありませんから」
「…そうか…」
また安堵のため息がこぼれた。
リザが兵士達と必要以上に親しくならないように見張る必要が出てきたが、彼女がそこら辺の男共に興味がないことに安心する。
「食事といえば…中佐との食事は楽しいですね。この前のレストラン、また連れて行ってくださいね」
リザが目を細めいたずらっぽく笑いながら、コーヒーのカップを下げる。
リザの言う「この前のレストラン」とは、少々値の張る店へ私が彼女を連れて行った時のことを言っているのだろう。
あの時は私が支払いをしたのだが、リザはまた私におごってほしいらしい。
なんと、何気なくリザから食事に誘われてしまった。
しかも、兵士達との食事は断ったのに、私との食事は「楽しい」からまた行きたいと言って誘われた。
リザの言葉にもっと裏がないかと期待してしまうが、ただ彼女は単純にあのレストランが気に入って、その支払いが私なのが嬉しいだけだろう。
その気もないのに、思わず期待してしまうような、気を持たせるようなことを無意識のうちに言うところがリザの悪いところだ。
しかし、私との食事を楽しいと言ってくれたのはやはり嬉しい。
リザの言葉を頭で反芻しながら、いつも以上に早く書類の上でペンを走らせた。

涼しい夜風が人気のない路地に吹き渡り、ほどよく酔った体に心地良い。
「…まさか連れて言ってくださいと言った日に行けるなんて…ありがとうございます」
「私もちょうど行きたかったところなんだよ」
リザが「あのレストランに行きたい」と何気なくもらしたあと、猛スピードでデスクワークを進め、定時に今日の仕事をきっちりと終わらせた。
そして、仕事の進み具合に目を丸くしているリザに食事へ行こうと申し込んだのだ。
司令部にいる時のように私のうしろを歩くリザは、少し酔っているのに加え、ヒールの高いパンプスを履いており、レンガに映る影がふらふらと揺れていた。
他人から少年と見間違えるような外見をしていると言われても、やはりリザは女性だ。
ヒールの高いパンプスはリザの長く綺麗な脚によく似合っている。
無防備すぎると怒りたいが、ブラウスの胸元の大きく開いているせいであらわになる白い鎖骨も、そこから覗く深い影も、実に女性らしくて目を奪われる。
「少尉」
歩みを止めて振り向き、歩きにくそうなリザへ手を差し出した。
「…ありがとうございます」
差し出された手の意味を理解したリザは、はにかみながら私の手に自らのそれを重ねた。
てっきり、子供扱いしないでくださいと怒られると思っていたのだが、リザはしっかりと手を握っている。
「…可愛いな」
夜風がリザの長い前髪をふわりと揺らし、その様子を紅茶色の瞳で追った姿が愛らしくて、つい口からぽろりと本音が出てしまった。
一回り小さな手が私の指に絡んでいるのが嬉しくて、浮かれていたようだ。
考えもなしに発言した言葉を省みて、言うんじゃなかったと慌てて後悔する。
リザは「可愛い」と褒められるより「最近鍛えたのか?」と言われた方が喜ぶ、たいへん変な女性であった。
それに加え、先日リザを男だと勘違いしていたセクハラ将軍が「少年のように可愛い顔をして体は大人」と彼女に最低の侮辱を浴びせたばかりだ。
嫌な出来事を思い出させてしまったかもしれない。
もしかしたら、私まであの馬鹿将軍のようにリザをからかっていると勘違いさせてしまったかもしれない。
女性を前にして、珍しくすぐに弁解の言葉が出てこないほど焦り、頭が真っ白になりかけた。
冷や汗をかきながら訂正の言葉を必死に探す。
「…そんな…」
私が言い訳をする前に、リザが彼女のものとは思えないほど小さな声で何かを呟いた。
「…そんな、女性を褒めるみたいに…言わないでくださいよ…」
リザがぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
あのリザの恒例のぶっ飛んだ思考が到来し、ついに頭が真っ白になった。
「…いや、褒めたんだが…」
「どうしてですか?」
リザは唇を尖らせ、怒っているように見える表情を浮かべて私に問い詰める。
「どうしてって…少尉が可愛かったから…」
「どうしていつも中佐が女性を褒める時みたいな言い方をするんですか!」
「…君は女性だろう?」
「…た、確かに女ですけど…!でも…!」
リザが突然、私の手を振りほどいた。
そして、私を追い越してすたすたと前を歩いていく。
やはり私はリザを誤解させて怒らせてしまったのだろうかと焦り、背中に冷たい汗が伝った。
「…あの、少尉…」
「中佐の方が可愛いですっ!」
「はあ!?」
路上に大きく響いたリザの言葉に目を丸くした。
またリザは理解するには到底不可能な破滅的なことを言う。
リザがあまりにも変なことを言うため、この道に私達二人きりで良かったと安心してしまう。
「…な、何を言っているんだ…?」
「ですから、私より中佐の方が…!」
「いや、君の方が可愛いぞ」
まさか、人生の中でリザと可愛さを比べることになると思わなかった。
リザはかつかつとヒールを鳴り響かせながら私の前を早足で歩く。
「だからどうして可愛いって言うんですか!?」
「…何度も言うが、少尉が可愛いから…」
「そんな…まるで私が女性みたいじゃないですか!」
「だから君は女性だろう」
「女性ですけど…女性じゃないですっ」
「……意味が分からん」
また先程と同じような会話が繰り返される。
まさかリザは自分を男だと思いたいのか?
あのレストランで私はリザに変なものを食べさせてしまったのだろうか。
私に構わずどんどん先へ行ってしまうリザの隣へ急ぐ。
「いつも中佐は、とっても美人で可愛い女性を素敵だとか綺麗だとか褒めているでしょう?…私は…私は、そんな女性じゃないんです」
「じゃあどんな女性なんだ?」
「…それは…」
やっとリザの隣に並ぶと、彼女の顔が暗闇でも分かるほど赤く染まっていることに気が付いた。
「…少尉…まさか照れているのか?」
「……照れてません」
「可愛いって言われて照れているんだな?」
「照れてませんっ!」
リザが膨らませた頬が林檎のように赤い。
リザは可愛いと言われて照れたために破天荒なことを言い出したことが、ようやく分かって一安心する。
隙のないリザの弱みを見つけたようで楽しくなり、にやりと口角を上げて笑う。
「照れているところがまた可愛い」
リザを追い詰めるようにそう言って手を握り直すと、彼女の手がずいぶんと熱を持っていることに気が付く。
「おかしいな…今まで少尉をあまり可愛いって褒めたことなかったのかな…。いつも可愛いって思っているよ」
「……やめてください」
「これからは遠慮なく可愛いと言うことにしよう」
「絶対に駄目です!」
目を見開いて私を見上げ、必死に懇願するリザが本当に可愛らしい。
自分の性を気にかけておらず、「中佐をお守りします」が口癖の男前なリザだが、可愛いと褒めると恥ずかしがるなんて実に女性らしい。
これはいい発見だ。
恋愛感情に疎く、そして私が差し出したこの手はただ転ばないために繋いでいるとしか考えていない鈍いリザには、いい治療かもしれない。
「少尉は可愛い可愛い。あー、可愛いなあ」
「中佐の方が可愛いです!軍の男性だって絶対にそう言います!」
「……少尉、それは誤解だ。やめてくれ」
愛おしいリザが恋心というものを知るまで、私は素直に彼女に可愛いと言い続けよう。







体重を示す針が小さな窓の中でぐんと右に動くのと同時に、リザはうしろを振り向いた。
「…何をしているんですか」
「驚いた?」
体重計に乗っているリザの背後に立ち、こっそりと自分の足を乗せて体重を増やすというくだらない私の悪戯に、彼女がため息をついた。
「子供みたいなことはやめてください」
リザに軽く睨まれ、私はわざと肩をすくめながら体重計から足を離した。
体重計の針が、やっとリザの正確な体重を刻む。
「どれどれ」
うしろから数字を覗き込む。
女性は男性に自らの体重を知られたくないと思うのが普通だと思うが、リザはまったく気にならないらしい。
「…君、見た目より軽いなあ。これしかないのか」
小窓の中の数字を凝視しているリザをよそに、私は彼女の胸元を堂々と眺めた。
リザ自身も、そして彼女の二つの膨らみも自分が思っていたよりも軽いのだなとずいぶん不躾なことを思う。
リザは私の発言を聞いて振り向いた。
「…最近ずっと鍛えていたのに増えてないです」
「そりゃあ、すぐには増えないだろう」
私がリザの胸がどうこう思っていたとはつゆ知らず、彼女は筋肉のことを気にしていたらしい。
リザも意外と子供のようなことを言うのだ。
「大佐はどれくらいあるんですか?」
「私?」
リザが体重計から降り、彼女に促されて代わりに私が乗る。
当然、リザの時よりも針は大きく動いた。
「大佐は見た目よりあるんですね」
リザも遠慮なく体重を示す数字を見て言った。
「そうか?」
「最近、大佐は野菜を食べないでお肉ばかりの生活ですもんね。その割りにまったく動いていないですし」
見えないところで鍛えているだよと誇らしげに述べようとしたところで、リザが無邪気に、さらりと傷つくことを言った。
「大佐、太りましたね」
「…あ、ああ…」
リザの言うことに間違いはないので、認めるしかない。
私はリザの胸を見たが、彼女は私のお腹を見て納得したように頷いていた。
リザと私は長年の付き合いであるから、お互いに遠慮することもなく、ずばずばと失礼な発言もたくさんする。
それは構わないのだが、リザではなく私の方が乙女心を持っているような気がするのは直したいと常々思っている。
この傷ついた出来事は地味に後を引きそうだ。
というか、リザ、筋肉だとか言っていないで少しは女の子らしくなりなさい。







「大佐、突然ですが、東方司令部内でセクハラをされている女性を目の当たりにしたことはありますか?」
「…何だね急に…。私はセクハラなんかしていないぞ!断じて!一度も!」
「大佐の話はしていません」
「セクハラをされている女性を見たら発火布をはめてすぐに助ける男だ、私はっ!」
「さすが自称フェミニストですね」
「で、セクハラがどうしたんだ?」
「…話したことのない、当然名前も知らない女性士官達に、突然相談されたんです。セクハラについて」
「…さすが私の中尉。多くの人に頼りにされているんだな…」
「最近、上官によるセクハラが多いと悩んでいました。幸い、まだ体の関係までは至らないようです。体を軽く触られたり視線を感じたり、そういう小さなものだと本人達は話していましたが…辛そうで…」
「…そうか…」
「セクハラは誰もが辛いと感じるものですが、軍はやはり特別だと思うんです。男性ばかりの軍で、セクハラによって自分が女性であることを認識させられることは、考えただけで屈辱的です」
「うむ、中尉の言う通りだ。セクハラは許せないな…。何か対策を練るか…」
「そうしていただけると有り難いです」
「しかし、セクハラか…。難しいな。すぐになくなるとは思えないが…動いてみようか」
「はい」
「上官によるセクハラねえ…。体に触られるのか…」
怠慢なことに、執務室のソファーに寝そべりながら書類をめくり、そう呟いた時にふと気が付いた。
今の私と中尉の状態も、セクハラと言えるのではないだろうか?
「なあ中尉」
私は顔から勢いよく書類の束をどけて、上にある端整な中尉の顔を見上げた。
「何でしょうか」
ソファーに座り、そして膝の上に私の頭を乗せている中尉が私を見下ろす。
ちなみにこの体勢は、当然ながら中尉から「どうぞ」と誘ってきたものではなく、私が強要したものだ。
ひざ枕をしてくれたら書類を読むと私が駄々をこねた後、中尉が渋々ながら許可してくれたのだ。
副官が上官にひざ枕を強要され、嫌々ながら太ももを愛でられている。
これは立派なセクハラではないか?
しかし、先程まで名前も知らない女性達のセクハラについて心配していた中尉は、何の躊躇いもなく私のセクハラととれる行為を受け入れている。
「中尉は今まで誰かにセクハラをされたことがあるのか?」
「……ないです」
いつも矢のように早く返ってくる中尉からの答えが、珍しく遅かった。
「あるのか。いつ、誰にだ」
「ないと言っているでしょう」
「……この前、中央からの視察で、あの使えない将軍が来たなあ」
「そうですね」
中尉の目が僅かに泳いだのを、当然私は見逃さなかった。
とんでもないことに中尉はあの馬鹿将軍にセクハラをされたらしい。
久しぶりに血に焔がともり体が熱くなるような思いがした。
手にしている書類が握力でぐしゃぐしゃになる。
「許せんっ!今すぐ消し炭にしてやる!!」
「…たいしたことないですよ。少し触られただけです」
「中尉、どうしてすぐに私に相談しないんだ!」
「大佐がこうして暴れようとするのが嫌だったからです」
馬鹿将軍が、柔らかで神聖な中尉の体に指一本でも触れただなんて、はらわたが煮え繰り返るような怒りだ。
今度あいつに会ったら、中尉に構わずすぐに発火布を取り出そう。
それはさておき、中尉が今の状態をセクハラとして捉えていないことに少し驚いた。
「…中尉、最近セクハラされたことは?」
「ないです」
「……今は?」
「何を言っているんですか。あ、大佐、ちゃんと書類読んでますか?」
やはり私がひざ枕をしてもらっているこの状況を、中尉はセクハラと見なしていないようだ。
中尉は私を上官としか見ておらず、男性としては見ていないと言われているようなものだ。
しかし、中尉はあの馬鹿将軍にされたことはセクハラと認識し、一応あいつを男として見ていることとなる。
私との過剰な触れ合いに中尉が何も感じないのは、私の親友が言った「お前達はまるで兄妹みたいだな」という言葉が本当だからだろうか。
出会った頃から兄と妹のように話して遊んで仲良くし、私達が上官と副官という関係になった現在も、それは根強く残っている。
しかし、私は中尉をただの枕だと思ってなどいないし、昔のように彼女を妹のような存在だと思うこともできない。
中尉は、とうの昔に妹のように可愛らしい存在という枠を越えて、ずっとこの世で一番愛おしい女性であり続けている。
「…うーん…」
「何か不備がありましたか?」
「いいや、違うよ」
中尉が私の下心に気付くまで、私はただの「お兄ちゃん」でいることになる。
触れられることを頑なに拒否されるのは嫌だが、あまりにも簡単に受け入れられると、とことん異性として見られていないのだと落ち込んでしまう。
中尉にとって、私は触れることを無条件に許されている存在であることは嬉しいが、「セクハラ」も少しだけ羨ましい複雑な心境だ。








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