グライダー



「ちゅうーさー」
舌足らずで甘ったるい声が私を呼ぶ。
えへへーっと、リザは子供のように無邪気に思いきり頬を緩めて、明るくにこにこと笑っている。
これは普段ならば絶対に見ることのできない光景であり、真面目で模範的な軍人であるリザ・ホークアイ少尉を知る者が今の彼女の様子を見たら、目を丸くして驚くだろう。
ちなみにリザはソファーにだらしなく脚を放り投げ、私の膝を枕にし、まるでベッドにいるかのように体を横にして寝そべっている。
最初は私の肩に頬擦りをしたり寄り掛かったりしていただけのはずなのに、リザはいつの間にか猫が膝で寛ぐかのように頭を乗せてきたのだ。
そして、膝の上から笑顔で私を見上げるリザの頬は真っ赤である。
「…あー、お酒ー…」
「もう飲むのはおしまいだ」
テーブルの上にある酒の入ったグラスにリザが手を伸ばそうとしたのを見て、すかさず彼女の手からグラスを遠ざけた。
リザはあれだけ飲んでもまだ飲み足りないのか、不満げに頬を膨らませる。
「少尉、飲み過ぎだぞ。明日に響くからもう寝なさい」
「…嫌です」
「…言うことを聞きなさい。…もう、いつもと立場が逆だな…」
どうしてもっと酒を飲んではいけないのかと恨みがましく私を見つめるリザの様子を見て、深くため息をついた。
いいワインがあるから私の部屋で飲もうとリザを誘ったのだが、しっかり者の彼女が幼子のようにごねるほど、少々酒を飲ませすぎてしまったらしい。
リザはアルコールが回ると頬を赤くして私に厳しく長々と説教をし始め、そしてさらに酒を飲み進めた彼女は、次にはがらりと変わって楽しそうに笑い始めた。
そして今のリザはこの有様である。
「少尉、眠いんだろう?」
「んー…」
リザが短い金髪を揺らして曖昧に頷いた。
まだリザは酒に未練があるのだろうか。
しかし、リザは膝の上で目を擦りながら眠そうにあくびをしており、このまま放っておけば今にも眠ってしまいそうである。
「ほら、寝室に行くぞ」
「…はい…」
リザの腕を掴んでソファーから引っ張り上げようとするが、寝室に行くと返事をしたくせに彼女はなかなか起き上がろうとしない。
「少尉?」
リザはソファーから起き上がらない代わりに、ふらふらと緩慢な動きで私の首に両腕を回してきた。
ふわりとリザの甘い香りが鼻を掠める。
これは酔いが回り歩くのすらままならず、というか動くのが面倒だから、私に寝室まで運べということなのだろうか。
自分のことは怒りたくなるほど二の次に考え、私に献身的に懸命に尽くしてくれるいつものリザから考えられない行動だ。
「ちゅうさぁー」
背中と脚に腕を回してリザを抱き上げてみると、腕の中の彼女は嬉しそうに、うふふと笑いながら私の胸に頬を擦り付けてきた。
その様子があまりにもあどけなくて可愛らしく、寝室へ向かおうとした足が思わず止まってしまう。
先程から酔っ払ったリザにペースを乱され、彼女に振り回されてばかりだ。
「少尉、おい、ついたぞ」
寝室に着きリザの体をベッドの上に横たえても、彼女は私の首から腕を離そうとしなかった。
むしろ私を逃がすまいとするように、急に強い力でぐいっと抱き寄せられた。
リザの上に覆いかぶさったまま、バランスを保てずに体勢を崩し、思わず彼女の体の上に思いきり倒れ込んでしまう。
その反動でベッドがぎしりと軋み、リザの体がシーツに埋まる。
「す、すまん少尉!」
「いいんですよー」
常にない気の抜けた声がすぐ耳元で聞こえ、そして隙間なくリザに密着していることに焦った。
リザの体は自分とはまったく違う柔らかさで、まるで繊細なふっくらとした綿にでも身を包まれているようだ。
私が倒れ込んだことに特に動じる様子もなく楽しそうに笑っているリザの体の上から慌てて身を起こし、彼女から逃げるようにしてそそくさとベッドの端に腰掛けた。
リザは、私が彼女から離れるその一部始終を、笑顔を消して何故か眉をぎゅっと寄せ不満そうに眺めていた。
「…ね、中佐…暑くないですか…?」
「私は別に…。君はあれだけ飲んだらそりゃあ暑いだろうな」
リザの体の柔らかさや温もりが体に張り付いているかのようにまだ忘れられず、むしろありありと思い出せることに動揺を隠しながら、ぶっきらぼうに答えた。
「…暑いですねー…」
「少尉っ!?」
何だか嫌な予感がして、暑いとぶつぶつと呟くリザの方へ振り向くと、なんと彼女はブラウスのボタンを拙い動きで外していた。
「こらっ!しょ、少尉っ!何をしているんだ!」
「…だって暑いんですよ」
酔っ払っているリザの指先が不器用ながらも次々にボタンを外していき、布の間から純白な素肌があらわになる。
リザは肌の色が白いと思っていたが、初めて見た胸元はもっと抜けるように白い。
リザは時間を掛けてブラウスのボタンをすべて外し終え、はだけたブラウスの隙間からは大胆にも今まで布で隠れていた肌と下着がしっかりと見える。
その光景を目に焼き付けるかのように魅入っていることに気が付き、はっと我に返って慌てて彼女に背を向けた。
「……中佐、今日も一緒に寝るんですよね?」
このリザの発言を、私と彼女を知る者が聞いたら驚愕するだろう。
私のことをよく知り、そして数少ない信頼することのできる親友でさえ、私とリザのことを「お前らはおかしい」と言うのだから。
しかし、私とリザの間ではこんなことは日常である。
私達は決して恋人同士ではないのだが、男性である私と女性であるリザは、まるで恋人同士のような行動をすることが多い。
二人きりでのんびりと休日を過ごしたり、一緒に夕食を楽しんだり、ひとつのベッドで眠ったりする。
傍から見れば私とリザはまるで恋人同士のように見えるだろうが、しかし、私達の間に芽生える感情は異性同士が互いを想い合う愛情というよりも、親が子を愛するような健全なものなのだ。
私とリザは司令部では固い絆で結ばれた上官と副官であり、そしてプライベートでは兄と妹のような間柄である。
私とリザの出会いはずっと昔だ。
まだ幼かった私達は、お互いを異性として見るのではなく、性別を特に意識はせずまるで家族のような目線で接していた。
年の離れた女の子のリザは妹のようで可愛らしく、そして彼女は私のことを「兄のようだ」と慕ってくれ、私達は本物の兄妹のように過ごしたのだ。
そして、お互いを兄妹のような存在として見る仲は今も抜けきらず、あの温かな関係はずっと消えずに現在も続いている。
私にとって、リザはいいところも悪いところもすべてを知り尽くした気の許せる本物の家族のような大切なひとなのだ。
「……いや、今日はリビングで寝る」
妹の魅惑的な誘いを、私は素っ気なく断った。
今のリザは酔っ払っていて普段の彼女からは考えられない突拍子もないことをし、いつものリザ・ホークアイではない。
――アルコールが回っているせいでやけに私に甘えてくるリザと一緒に寝たら、私は彼女の兄ではいられなくなりそうだ。
明日、酔いが醒めたリザに君はあまりにも無防備すぎると口うるさく説教をしなければならない。
「どうしてですか?」
ブラウスの前を大きくはだけさせたまま、リザが行かないでほしいと懇願するように私の腕にしがみついてきた。
シャツ越しにリザの柔らかな肌の感触を感じる。
いつもは私からリザに触れているから、彼女から触れられることや密着されることには慣れておらず、上手く腕を振りほどけずに困り果てた。
私とリザのこの関係になかなか他人の理解を得られないのは、恋人同士ではない男と女なのに、やけにスキンシップが多いからだろうか。
それとも、本当にこのままリザと恋人同士になってしまいたいと、彼女の兄であるはずの私が密かに思っているからだろうか。
――お前さん、もう限界なんじゃねえの?
以前、東方に訪れた親友は、薄暗いバーでグラスを傾けながら哀れみの目で私を見て、そう言った。
親友が心配した通り、私はリザの前でただの兄でい続けることに限界がきている。
普通の兄ならば、本物の兄妹ならば、絶対に抱かない特別な感情と毎日戦い、そして一人の男としてリザを見る時間がどんどん増えている。
兄ではなく男としてリザの側にいて一緒に穏やかな時間を過ごし、見守り、見惚れ、時には下心だって抱く。
美しい大人の女性に成長したリザを、いつしか私は妹としてではなく、女性として愛していた。
「ねえ中佐、どうしてですか?」
狼のように野蛮な男ではなく、羊のように優しい兄の振りをしていたい私の葛藤を知らずに、リザは心底不思議そうに尋ねる。
「…少尉、まずはちゃんと服を着なさい。人前でそんな格好をするな。一応私だって男なんだぞ」
「…だって暑いんです」
「腕を離してすぐに服を着るんだ。……そうじゃないと襲うぞ」
「……いいですよ」
冗談のつもりで、いや本音でもあったのだが、何気なく放った言葉をリザがすんなりと受け入れたことに、言葉もなく驚いた。
驚愕のあまり大きく目を見開きながら、急いでリザの方へ振り返る。
アルコールで潤んでいたはずのリザの大きな瞳は、酔いが醒めたように真剣な色をしており、そして私をしっかりと捉えていた。
いつの間にかリザの表情からは笑みが消えており、酒で高揚した気分からつい弾みで言ってしまったという雰囲気ではない。
先程まではリザが甘え、私が戸惑うという困り果てながらも和やかな空気が流れていたのに、寝室が急に静まり返り真剣な雰囲気にがらりと変わる。
自分の発言が発端とはいえ、リザが私の言葉を否定しないという突然の出来事に軽く混乱していた。
「…私、中佐のことが好き…ですから…」
爆弾が一斉に爆発するように次々とリザの口から衝撃的な言葉が放たれ、まるで殴られたかのように頭が真っ白になった。
――リザは私のことが好き?
リザは私のことを、恋愛の対象ではない家族や兄としてしか見ていないと、ずっと思っていた。
まさかリザが私を男として意識しているだなんて、今の今まで知らなかったのだ。
ただ私一人がリザを女性として見てしまうことに苦しみ、兄を演じ続けることに辛さを感じているとばかり思っていた。
「…中佐…好きです…」
私の腕にリザのしなやかな腕がより強く絡まる。
リザに男として愛されるという密かに望んでいたことが叶ってしまい、さらに彼女に求められ、まるで夢でも見ているようだ。
私達はお互いに兄と妹の振りをしていただけで、実は家族としてではなく異性として好き合っていたようだ。
「…少尉、それは本当か…?」
失礼ながら、女性からの告白を疑り深く聞き返してしまう。
リザは下心を抱く男性士官のいやらしい視線や言動にまったく気付かないような人間だ。
奴らの「好きです」という告白に対し、相手を異性ではなく友人として見る間違った解釈をして「私も好きよ」と返すリザを疑ってしまうのは、無理もない話だと思う。
「本当です」
「少尉、『好き』の意味をちゃんと分かっているか?君は恋だとか愛だとかに疎いから…」
「ちゃんと分かってますっ!」
リザが頬を膨らませて真実だと抗議する。
どうやら本当に、にわかには信じられないが、リザは私のことを兄ではなく男として好きだと言っているらしい。
ずっと大切に想い続けていたリザに、思いがけず急に告白されて浮かれてしまうが、しかし、腕に絡み付く彼女の体が熱いことに気が付いて、ふと我に返った。
「…少尉…。今、君、酔っているだろう」
「確かに酔っていますけど…。でたらめを言うほどは酔っていません」
「少尉の言葉を信じるが、今の君は普通の状態じゃない。いいから寝なさい」
リザの告白は酔っ払いの戯言ではなく揺るがないものだと知り、今すぐキスのひとつでもしたいところだが、嘘ではないからこそ焦ることはない。
第一、今のリザは「襲ってもよい」とさらりと許すほどひどく酔っているのだ。
楽しみは明日にとっておいて、今は、密かに隠していた想いを打ち明けてくれたリザを寝かせた方がいい。
「嫌です」
しかし、リザはむっと不服そうに私を睨んで、私をベッドに引き倒すようにして腕を引っ張ってきた。
「…今すぐ寝ないと明日に響くだろう?どうして君は駄々をこねるんだ?」
「……中佐、襲うって言ったじゃないですか」
ふと、はだけたブラウスの間から見える白い肌と柔らかな膨らみが作る黒い影が視界に入り、急いで視線を逸らした。
「…酔っ払いを襲う趣味はない。あれは冗談だよ。私は紳士なんだ」
そう、リザからの誘いは今すぐ飛び付きたいほど大変魅力的だが、私は紳士でいなければならない。
リザは大切な妹で、そして一番愛おしい女性なのだから。
リザから誘ってきたのだからと理性を失って、けだもののように欲望の赴くままに振る舞ったら、きっと彼女の体も心も傷付けてしまうだろう。
それなのに――
「………意気地無し」
リザが私を挑発するように低く呟いたこの声が、今まで抑え付けてきた理性の留め金を簡単に外してしまった。
リザが誘うのならば、いいじゃないか。
私が何をしたってリザの合意の上の行動だ。
リザの方へ振り返るなり彼女の上へ乱暴に覆いかぶさり、私より一回り小さな手首をシーツの上に縫いとめる。
リザは私の強引さに怖じけるわけでもなくその様子を冷静に眺めており、そして瞳には私を刺激するような妖艶な色を滲ませていた。
恋人同士というものに定義をつけることは難しく、世の中にはたくさんの愛の形があるだろう。
私とリザが本物の兄妹のように過ごす日々だって、ひとつの愛の形だ。
恋人同士ではないのに、男と女がしっかと寄り添い合う奇妙な関係をずっと続けてきた。
私が今、リザを抱けば、私達のこの名前の付けられない関係は確実に変わるだろう。
私達は、もしかしたら、今のあやふやな間柄を抜け出し、世間でいう恋人同士というものに変わってしまうかもしれない。
「…いいのか?」
二重の意味を込めて、ゆっくりと言葉を紡いでリザに尋ねる。
ブラウスに手をかけ、肩からするりと布を脱がせても抵抗しないリザは、私の問い掛けにこくりと頷いた。
それを合図に、今まで鎖に繋がれていた飢えた猛獣が野に放たれるかのように、リザに噛み付くように口付けた。
「…んぅ…っ」
唇を無理やりこじ開けて絡めとったリザの舌は柔らかく、そして甘い。
口付けはアルコールの味がして、良心が酔っている女性を抱くことを咎めたが、私はそれを無視した。
今はリザがほしくてたまらない。
呼吸が上手くできないのか、苦しげに眉を歪めたリザが私から顔を逸らそうとしたが、指で顎を押さえ付けてさらに貪る。
そして口付けをじっくりと味わう暇もなく、急かされているように片手で荒々しくブラウスも下着も一気に取り払い、リザの上半身を晒す。
「…あ…」
身につけるものがスカートのみになったリザは、心細そうにふるりと体を震わせた。
目の前の現れたリザの一糸纏わない体は真っさらな雪のように白く、そしてどこもかしこも柔らかそうだ。
「…ちゅ、中佐…」
目の前に現れた何も布を纏わない美しいリザの姿に欲望を抑え切れず、彼女のことは考えずに好き勝手に荒々しく肌に指を這わせると、彼女は戸惑ったような声を出した。
みずみずしい肌に触れると、力を込めた分だけ指が沈み込む。
初めて見るリザの裸体に無我夢中で触れると、彼女はその度に怪我を負った部分を触られたかのようにびくりと大袈裟に背を反らした。
破り捨てるように自らもシャツを脱ぎ捨て、リザの体の上に覆いかぶさると、まろやかな二つの膨らみが形を変えた。
「あ…、待って…っ」
リザの体を圧迫するようにのしかかかり、彼女の肌と自らの肌を合わせると、初めて彼女が何か不安なのか弱々しい声を出した。
「…中佐…ま、待って…!…やっぱり…」
先程までは私を抱き寄せていた手が、今は私を遠ざけようと必死に胸を押し返している。
「……怖じけずいたのか?」
私の問い掛けに、リザはしばし悩む様子を見せたあと、無言でゆっくりと頷いた。
「今さら?無理だ」
私を押し返そうとするリザの細い手首を掴み上げ、彼女から抵抗する術を奪うと、彼女は怯えた瞳で私を見た。
「…あ…いや…っ」
リザの訴えを聞き入れず、剥き出しの透き通るように白い肩に唇を落とした。
「ちゅ、中佐…!」
リザが私から逃げようとするのを彼女の体に体重を掛けることで押さえ付け、目が眩むほど白い胸元に唇を落とした。
柔らかな膨らみは温かくて舌で舐めると菓子のように甘く、危うく理性が吹っ飛んでしまいそうになる。
リザがやめてと懇願する声が聞こえていながらも、絹のようにすべらかな肌を指や舌で味わうことを止められない。
リザの手を押さえ付けたまま、シーツより白い胸元に吸い付いて赤い痕をいくつも残した。
私の唾液で濡れた肌はてらてらと光り、まるでリザを外側からじわじわと侵食しているようで、その様子を見て満足する。
私に組み敷かれた下でリザの脚が暴れるという小さな抵抗に構わず、形の良い耳をピアスごと口に含んで舐めた。
耳元で呼吸をして名前を囁くと、リザが聞いたこともない甘い声を唇からもらした。
リザは恐怖から逃れるように目を閉じて肩を頼りなく震わせている。
しかし、私の下で押さえ付けられて大人しくするしかないリザ体が、急にびくりと強張った。
リザの体が一気に緊張したのが指に伝わる。
私が小さな膝をさするように撫で、そして手の平を徐々に上へ伝わせスカートの中へもぐり込ませたからだ。
肉付きのよい太ももに痕が残りそうなほど指を強く食い込ませる。
「や、やだ…!」
リザは次に起こる事態を予想したのか激しく手足をばたつかせた。
「…中佐…!」
嫌がるリザを無視して、真珠のように白く、綿菓子のように柔らかく甘い肌の触り心地に酔いしれた。
そして、きゅっとくびれた腰をくすぐるように指先で執拗に撫であげ、下着に指をかける。
リザがはっと息を飲んだ。
「…中佐…っ」
目を見開いてリザが止めてほしいと首を振って訴える。
しかし私はリザが私を恐れる様子すら心地よく感じて、彼女がひどく動揺していることを残酷にも楽しんでいた。
なよやかな線を描く丸い尻を手の平の中に収める。
「…やだ…!マスタングさん…!」
今にも泣きそうな声が耳に届き、私は下着を脱がせようとしていた乱暴な指の動きをぴたりと止めた。
己の欲望のままリザの体を貪っていたが、耳をすまさなければ聞こえないほどの小さな彼女の声は、それを止めるのには十分だった。
リザのたった一言で、今までずっと抑えていた暴力的ともいえる激しい衝動が簡単に食い止められ、魔法でも掛けられたかのように手が動かない。
「…すまない、リザ…」
我に返ると白く美しかったはずの肌に痛々しい歯型の痕があることに気が付いた。
雄の本能のままに行動してしまった記憶が蘇り、申し訳ない気持ちでいっぱいになり、謝ることしかできない自分に腹が立つ。
私は愛してやまないリザを傷付けてしまったのだ。
「ち、違うんです…。私が…悪いんです…っ!」
リザの紅茶色の瞳はすっかり潤んでおり、とうとうぽろりと涙が零れ落ちた。
「…すまない…」
リザが涙を零す様子を見てさらに後悔が胸を襲い、急いでリザの体から身を起こして彼女から離れる。
「…ま、待ってくださいっ!マスタングさんが嫌なわけじゃないの…!」
リザに背を向けた私に、何故か彼女は離れないでほしいと訴えるように追い縋ってきた。
リザから離れてベッドの上に座った私の背中に、慌ててリザが抱き着いてきたのだ。
腹にリザの両腕がしっかりと回され、まるで逃がさないと言われているようだ。
「…リザ…?」
リザの方へ振り返らずに彼女の名を呼ぶ。
私に抱かれることを嫌がったリザから距離を置いたのに、何故か彼女が私に抱き着いてくるという不可解な行動に眉を寄せた。
「…マスタングさんは悪くないの…っ、私が…」
「……いや、君を押さえ付けて好き勝手に振る舞って…私は君を傷付けた」
「…そうじゃないの…」
首を必死に振りながら否定するリザの声は涙に濡れている。
「リザ、とりあえず服を…」
「…やっぱり怖いんです…」
「…え?」
リザの涙に震えた声が私の言葉を遮った。
「いつか…今みたいにマスタングさんと一緒にいられなくなったらって思うと…怖いんです…」
「…どうして怖い?」
リザがそのようなことを考えているなんて知らなかった。
「…私は誰ともお付き合いをしたことないですが…。男性と女性の関係は…マスタングさんを見ていれば分かります。恋人ができたと思ったらたちまち別れて、でもまたすぐ新しい恋人を作って…」
「……それは昔の話だよ」
リザを異性として愛するようになってからは恋人を一人も作っていないし、若さ故の女遊びももう止めた。
恋愛というものに疎いリザに、恋人同士の間違った印象を自ら植え付けてしまったことに苦笑する。
頑固なリザの、恋人というものに対する概念を訂正することは、相当苦労しそうだ。
「今の私達は家族みたいで…家族は何が起こってもずっと家族のままでしょう?でも恋人は違います。恋愛は壊れやすいから…いつかマスタングさんに『さよなら』って言われるのが怖い…」
この世に刹那的な恋愛はありふれている。
恋人同士になったもののすぐに飽きてしまい別れてしまうだなんて、私だけに限っただけの話ではない。
男と女がお互いを愛することが今は永遠に続くように思えても、時に恋はあっさりと終焉を迎えることが多くある。
リザは、いつか終わりがくるかもしれない恋愛の儚さが怖いのだろう。
私は妹ではなく、リザ・ホークアイという一人の女性を抱こうとしていたから。
「…マスタングさんのことが、好きだから…。…じょ、女性として愛されたいと思ったんです…」
「…もう私は君を家族でも部下でもなく、一人の女性として愛しているよ」
私には、恋愛や恋人を作ることがゲームだと思っていた時期があった。
しかし、リザを愛するようになって私は変わった。
一枚の紙が燃え尽きる早さですぐに終わる愛もあれば、焔がずっと消えない愛だってあるのだ。
この先、リザ一人だけを永遠に愛し続けるだろうという強い想いがある。
現に、先程私はリザの言葉ひとつで荒れ狂う欲望から目覚めて我に返った。
私を誘い、襲われても文句の言えない裸のリザを前にしても、彼女を傷つけまいとして私の中の獣は自然と大人しくなったのだ。
いつもベッドの上では王様のように横暴に振る舞い、好き勝手に女性を弄んでいた私が、相手のことをここまで思い気遣うなんて初めてかもしれない。
「…酔った勢いなら、マスタングさんを男性として受け入れるのが…怖くないって思ったんですけど…」
「…怖くなったのか」
「…はい」
ぐすりとリザが鼻を鳴らした。
「私がリザを好きな気持ちはこの先ずっと変わらないよ。私は絶対にリザを手放したりしないし、もし君が私を嫌いになっても逃がさない」
「…マスタングさんのことが好きだからこそ…いろいろ想像してしまって…怖いんです」
背中にリザの冷たい涙が押し当てられる。
「…リザ、とりあえず離してくれないか」
「…嫌です」
「私は君が思うほど紳士じゃないんだ」
今、一度抑えた欲望がまた動き出さぬように、背中に押し当てられている丸みのある温もりから必死に意識を逸らしているのだ。
「…とにかく服だけでも着てくれないか。正直、そろそろ我慢できそうにない」
「…私が服を着ている間にいなくなりませんか?」
「……寝るのは別々だ」
「そ、そんなの嫌です!いつもみたいに一緒に寝てください!」
リザの瞳からまた涙が零れ落ちるのが背中に伝わった。
リザは腹に回した腕に力を込め、さらに背中にまろやかな体をぎゅっと押し当ててくる。
「いつもみたいにって…。じゃあ私達は、何ひとつも変わらず今のままの関係に戻るのか?」
リザは申し訳なさそうに、黙ったままで私の問い掛けに小さく頷いた。
「…今のことは忘れて…ください。やっぱり私は今まで通りでいたいです…」
「……じゃあ私はあっちに行く。このままじゃ何もしないのも、『今まで通り』も無理だ」
「…私は今までと同じように、マスタングさんと一緒にいて、一緒に寝たいです…」
「君は男の理性の危うさを分かっていない」
「…今まで通りにしなくちゃ嫌です…。今、別々に寝ちゃったら、きっと元の関係に戻れなくなっちゃいます…」
先程の出来事はきれいにさっぱりと忘れ、何事もなかったかのように振る舞えというのだろうか。
今さらこのことを忘れることなどできないし、互いに忘れた振りをするなんて、そんなのは滑稽な芝居だ。
「別々に寝て頭を落ち着かせた方が、元通りに戻りやすいんじゃないか?」
「…一人になったら…寂しいです…」
相手の話は聞き入れず、一方的に自分の意見を主張するだけのまったく噛み合わない会話が続く。
「……意気地無しは…私なんです」
背中に強く額を押し当て、リザが謝るように呟いた。
「…ああ、そうだな。自分から仕掛けておいて、やっぱり嫌だとめそめそと泣き出すなんてな。あんまりだ」
「…ごめんなさい」
「君はわがまますぎるんだよ。怖いからって今さら元の関係に戻れだと?都合が良すぎるだろう。寂しいからというだけで一緒に寝たいというのも信じられない。少しは私の気持ちも考えろ」
「…嫌いに…なりましたか?」
「ああ、大嫌いだ」
ぶっきらぼうに放った言葉とは裏腹に、ずっと背を向けていたリザの方へ振り向いて、彼女の体を胸に抱き寄せた。
そしてリザを抱き締めたままベッドの上へ勢いよく倒れ込む。
ベッドに背を預ける私の体の上に控え目に乗っかっているリザは、紅茶色の瞳をちらりと動かして私の顔を伺った。
「…マスタングさんは、私に甘すぎです…」
「ああ、そうだな。いくら感謝しても足りないくらいだぞ」
リザの頬に両手を添え、目尻に溜まっている涙に唇を押し当てると、彼女はほっと安心したように目を細めた。
強張っていたリザの体からふっと力が抜け、遠慮なく私に体を預けてくる。
私達はこうしていつも寄り添って眠りにつくのだ。
今、この状況はリザの願い通りになっているだろうか。
「…私はマスタングさんとずっと一緒にいたいから…今の関係のままでいたいです」
「…女として愛されなくてもいいのか?」
「マスタングさんが私を側に置いてくれるなら、構いません」
「…理解できないな…」
「…女性として見られる方が…辛いです。異性同士はあまりにも複雑すぎます。別れる時はすごくあっけないし…」
「…もう君を異性としてしか見られないんだが…。君だってそうじゃないのか?」
「…違い…ます」
リザが歯切れ悪く答える。
「……大体、リザから好きって言ってきたじゃないか」
「…さっきのことは忘れてください」
「わがまま」
「…ごめんなさい」
腑に落ちないが、悲しそうに目を伏せるリザを見ると胸が痛み、大丈夫だと言い聞かせるように剥き出しの背中を撫でてやる。
「私は…君のことを一番に大切に思っているよ。誰よりも愛している」
「…私も…好き、です…」
「じゃあ抱いていい?」
「…泣きます」
「…もしさ、酔っていない時に君を抱こうとしたらどうなる?」
「…多分、怖くて殴っちゃうと思います」
「……最悪だな」
「今のままで、ずっと一緒にいたいです…。私がマスタングさんの恋人になって嫌われたら…絶対に元の関係に戻れないじゃないですか…」
「…私は君のことを愛すことはできても、嫌いになんてなれないよ」
私に嫌われることをリザはひどく恐れている。
そんなリザに愛されていることは十分伝わったが、その形は実に難解だ。
リザ以外の人間が私をこんなにひどく振り回したら、私は今すぐにそいつを嫌いになるだろう。
我慢なんて大嫌いだ。
しかし、リザに対しては根強く耐えようと思えるのだ。
腕の中にある愛おしい人の裸の体から精一杯気を逸らし、リザの望む通り兄を演じる。
リザは私達に間は何も起こらなかったと過去を早々と忘れ、もう無事に元の関係に戻ったと安心しているのだろうか。
リザは母親に寄り添う赤子のように、まったく警戒心を抱かず、安らぎを求めるように私の胸に寄り添い頬擦りをする。
今さら元の関係に戻りたいだなんてことは不可能に近いが、リザがそれで満足するならば何もなかったかのように演じてみせよう。
白く柔らかい体が無防備に押し当てられて欲情しないわけがなく、そして先程の熱が体を渦巻いていて辛いが、しかしリザが少しでも苦しみに顔を歪めるのは見たくないから、私は彼女を絶対に抱かない。
リザのためなら雄の本能だって無理やり制御してやる。
リザの言った通り私はとことん彼女に甘いと、深いため息がもれた。
そして、やはり生涯愛し続ける女性はリザ一人だけだと改めて確信する。
リザが出した理不尽な条件を飲み込み、今日のことは完全に忘れた振りをする。
本当は凶暴な獣のくせに飼い馴らされた犬の皮を被り、お預けをされたまま、わがままで臆病なリザが私に愛されることを選ぶことを、私は大人しく待ち続けるのだ。








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