彼の隣、彼女の隣



物置部屋の扉を開けると、以前と何も変わらない埃っぽい空気に迎えられた。
人の出入りの少ないこの部屋の空気はいつも淀んでいて、使い物にならなくなった机などがたくさん並べてあり、その上には埃が溜まっている。
窓を開けて空気の換気をしたいところだが、そんな気になれずに、ずかずかと靴音を立てて部屋に入り込んで、壁を背にして座り込んだ。
今日は曇りのため、窓の外から差し込む光は灰色だ。
薄暗い物置部屋の何の面白みもない光景をぼんやりと眺めながら、自然と深くため息がこぼれる。
まだ一日の半分しか経っていないというのに、とてつもなく疲れてしまった。
あの人が来なければ何の不自由もない一日を過ごせたのにと、誰かに八つ当たりをしたい気分だ。
「あっれー、珍しい」
しばらくすると聞き覚えのある足音が近付いて来て、滅多に人の来ることのないこの部屋の扉を開けたかと思えば、その人物は私に気さくに声を掛けた。
「中尉も来てたんですね」
案の定、足音の主は私と同じマスタング大佐の直属の部下、ジャン・ハボック少尉だった。
「この部屋に人がいるのも珍しいけど…それが中尉なんてますます珍しい」
少尉は心底驚いた様子で私を見て後ろ手で扉を閉めると、床にしゃがみ込む私の隣にどっかりと腰を下ろした。
「隣いいですか?もう座っちゃったけど」
「どうぞ」
素っ気なく答えると、少尉は私と同じ色の髪を指でぽりぽりと掻いた。
そして気まずそうに口を開く。
「あの…もしかしてあれですか。ここは一人になりたい時に来る部屋なの、みたいな」
「そうよ」
「あー…なんかすみません」
少尉は申し訳なさそうにぺこりと私に頭を下げた。
「いいの。…ちょっと今は他人に気を遣っていられる余裕がなくて…。気にしないでちょうだい」
「へえ、中尉が…。そんなこともあるんですか」
ますます意外だなーと少尉が呟く。
「でも、相手が少尉なら別に気を遣わなくていいから問題ないわね」
「ひでえ」
少尉はそう言うものの、まったく気にしていないように声を出して笑う。
私は、少尉のこういう人と壁を作ろうとしない自然な明るさが大好きだ。
「中尉がサボるなんてレアな現場に来ちゃったな」
「失礼ね。サボりじゃなくてちゃんと休憩中よ」
隣に座る少尉を軽く睨み付けて抗議する。
「だって中尉、いつもは休憩中でもばりばり仕事してるでしょ」
「…だって…仕事してると…」
「…ああ、あれですか」
私がその先を言わないでいても理解したのか、納得したように頷く少尉は、ポケットから煙草を一本取り出した。
少尉が口にくわえる前に、その煙草を素早く横から奪う。
「…あ、すみません。やっぱり喫煙所以外のところでは…」
「火」
「…はい」
少尉はライターを取り出すと、手慣れた様子で私が口にくわえた煙草に火をつけた。
火がつき先が赤くなった煙草を吸うと、すぐにむせて涙目になる。
「……おいしくない」
「中尉って煙草吸えないじゃないですか」
呆れつつも心配そうに私を見る少尉に、ごほごほと咳込みながら煙草を返す。
舌が苦くてたまらない。
「いや、中尉…。あの、これを返されても…俺にどうしろと…」
「少尉、よくこんなもの吸えるわね」
目尻に浮かぶ涙を指で拭いながら、こんな苦いものを軽々と吸える少尉を少し尊敬してしまう。
「…これ、中尉の口紅がついてるんですけど…。…あ、中尉ファンに売れるかも!良かったー、今月はピンチなんだよな」
「え?班?」
「いえいえ、何でもないっす」
少尉は煙草の火を軍靴の裏で急いで揉み消すと、何故かその煙草を大事そうにポケットにしまい込んだ。
その後、少尉はにやにやと、人をからかう時のような楽しげな笑みを浮かべた。
「中尉、かなり荒れてますねー」
「…何よ、その顔」
ただでさえ苛立っているのに、少尉の人の不幸を楽しむ顔は見ていて気持ちの良いものではない。
「大佐にここに来ることは?」
「言うわけないじゃない」
私は一人になりたくて、それから大佐から逃げて来たくてこの部屋に来たのだから、彼に行き先を言ったりなどしていない。
「じゃあ、大佐は今頃中尉のことを血眼になって探してますね。あー怖い怖い」
少尉はそう言いながら、わざとらしく両腕を抱いてさすった。
「…大丈夫よ。大佐には中尉がついているんだから」
真実を言っただけなのに、その事実を認めたくなくて一人で勝手に落ち込む。
「やっぱり荒れてる原因はそれですか」
少尉は私からもっとその話を聞きたいのか、目をきらきらと輝かせて私を見る。
「…何よ。楽しそうに笑って…人事だと思って!」
今の私から楽しい話なんか出て来るはずはなく、出てくるのならば文句ばかりで、しかし少尉はそれを聞きたいのだろう。
私が苛々としている原因は、少尉の言った通り「中尉」の存在だ。
数日前、中央司令部の人間が東方司令部の視察に来た。
その視察をしに来た人々の中に、今、頭を悩ませている「中尉」がいたのだ。
「中尉」は、私と同じ階級で、同じ女性。
歳は私より少々上だ。
中央司令部では、彼女は、美人の上に早く的確に仕事をこなす敏腕な女性だと有名な士官らしい。
問題はここからだ。
彼女は、東方司令部を訪れ、ここを取り仕切るマスタング大佐に会うなり、一気に彼の外見も性格も大いに気に入ってしまったのだ。
それ以来、彼女は時間があれば、大佐の都合に構わずに、仕事中も食事中も、何かと彼に近付いてくるようになってしまった。
大佐の補佐をしている私は、必然的に彼にアプローチをしてくる彼女と接することとなる。
彼女が大佐に気に入られようとあれこれ口うるさく話す姿を見るのが嫌で、私はこの部屋に逃げて来たのだ。
「…彼女、仕事ができる上に、錬金術までできるのよ…すごいわよね…」
「へえー、人間びっくりショーをねえ…。…それってすごいですかね?」
「…すごいわよ」
彼女は国家資格を取れるほどの実力はないらしいが、少しならば錬金術を使うことができるらしい。
大佐と彼女が、私にはまったく分からない錬金術の話で盛り上がるのを彼の側で聞いていて、私は勝手に疎外感を覚えた。
大佐の錬金術の師匠は私の父で、彼の発火布の錬成陣の元は私の背中に刻まれた秘伝なのに、私は彼女のように対等に彼と話をすることができない。
「…それに、とっても美人だし」
「確かに美人ですねー。でも俺はきつめの美人が好きなんで、ホークアイ中尉派ですよ。ああいう媚びてくる美人はちょっと…」
「ねえ、それって私のことを褒めてるの?あと、媚びてるって何のこと?」
「中尉のつり目は堪らないっすよー。褒めてますって。…媚びてるっていうのはですね…中尉はこういうのに鈍感だからなあ…」
「鈍感じゃないわよ。ちゃんと教えて」
むっと顔をしかめて少尉に説明するよう促すと、彼はうーんと唸って難しい顔をした。
「あっちの中尉、大佐以外にもいろーんな男に、にこにこ愛想いい笑顔を振り撒いてるの見たでしょ?」
「笑顔なのはいいことじゃない」
「…ほら、やっぱり鈍感だ。ほかの女性士官からは顰蹙買いまくりですよ」
こういうのって女の方が敏感なはずなのにと呟きながら、少尉は私に説明するのを諦めてため息をついた。
「いろんな人に笑い掛けていても…彼女はやっぱり大佐が一番好きなのよ」
彼女が誰に何をしていようと、彼女のお目当てはほかでもない大佐だ。
「あの熱の入れようはすごいですよね。毎日香水ぷんぷん振り撒いて、化粧して、猫撫で声で話して…。いい加減、大佐は嫌にならないんですかね」
「大佐は女性が大好きだし、フェミニストよ」
「フェミニストつっても限界があるでしょ」
「…それ以前に、大佐も満更じゃないと思う」
「えー?」
少尉は私の意見を否定するように声を上げたが、私は何故彼がそんなことを言うのか分からなかった。
膝を抱き寄せ、その上に頬を埋める。
今日で何度目のため息になるのだろう。
彼女は、大佐が席を外し、私と二人きりになった時にこう言った。
私も大佐の護衛官になりたい、と。
笑いながら冗談っぽく言っていたけれど、私には彼女が本気だと分かった。
銃の扱いは彼女よりも上だという自信がある。
そして、大佐を守り支えていく気持ちも彼女より遥かに強く、これは誰にも負けないと自負している。
しかし、彼女は、私が使うことのできない錬金術を扱うことができるのだ。
銃だけではなく錬金術が加われば、きっと大きな戦力になるだろうし、大佐を守る心強い盾にもなる。
これから上を目指すためには危険なことがたくさん増えるだろうから、使える駒は多いに越したことがない。
それは喜ぶべきことなのに、私は心の奥深くで、説明することのできないもどかしさを感じていた。
――マスタング大佐の背中を任されて守っていくのは、ずっと私一人だと思っていた
イシュヴァールでの悪夢のような惨劇を二度と繰り返さぬように、大佐は私の秘伝の刻まれた背中を焼き、そして、私にこの国を変えると約束をしてくれた。
大佐は、手を汚し血を流す覚悟をもって軍人になった私に背中を預けてくれた。
大佐が私以外の人間に背中を預け、「道を踏み外したら撃て」と命じることはないと思う。
しかし、大佐が自らを守ってくれる護衛官を増やさないとは限らない。
大佐は私以外の人間に、彼を守るように命令をするかもしれない。
「…マスタング大佐を守ることは…誰だってできるのよね」
マスタング大佐を守ることができるのは、そう命じられるのは、私一人しかいないと何故か勘違いをしていたことに彼女に気付かされる。
恥ずかしくてたまらない。
大佐を守ることは誰でもできる。
守る人が大佐を選ぶのではなく、彼が守る人を選ぶのだ。
大佐と彼女が笑いを交えながら楽しそうに、時に真剣な表情で軍の動向についての話をしていた姿を思い出す。
大佐は何の話にも対応できる彼女の頭の良さや、錬金術を扱える戦闘能力を高く評価していた。
大佐は、きっと彼女を護衛官に選ぶ。
「…私、勝手に勘違いして、落ち込んで…。…馬鹿みたい…」
ずっと心の奥にしまっていた本音を俯いたままこぼすと、急に少尉の大きな手に頭を撫でられた。
「何?」
首を傾げて問い掛けるが、少尉は笑ったまま私の頭をただ撫でる。
「…だから中尉は鈍感なんですよ。というか、すごく不器用ですね」
「え?」
少尉が私に向かって優しげに微笑んでいる意味がまったく分からない。
「何よ…さっきから鈍感とか、不器用とか…」
「だって本当にそうなんですもん」
少尉は相変わらず楽しげに笑っている。
「…それより、今日は飲みに行きましょう!」
少尉に彼女のことで苛々していたことがばれてしまったから、というか打ち明けてしまったから、今日は彼にはとことん付き合ってもらう。
「えー…、ですから俺、今月はピンチなんですってば…」
「おごるから!ね!」
あまり乗り気ではない少尉の腕を掴み縋り付いて、何とか彼を説得する。
「…それなら…。…あ、その必要はないかも…」
「え?」
少尉は何かの気配を感じたのか、ふと話すのをやめた。
部屋が静かになると、廊下から聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「…マスタング大佐?」
「やっぱり来たか」
マスタング大佐が廊下で何かを叫んでいる。
よく耳を澄ませると、大佐は「中尉」と引っ切りなしに叫んでいるようだった。
「…ホークアイの方なら、ここにいますけど」
その呟きが届いたかどうか分からないが、その瞬間に部屋の扉が開いた。
「中尉っ!」
勢いよく開いた扉の向こうに、何故か殺気立っている様子の大佐が仁王立ちしている。
「ハーボーックーっ!!お前という奴は!!」
「俺は何もしてませんって、大佐!」
大佐は少尉に対して突然怒鳴り、怒鳴られた彼は降伏を表すように両手を高く挙げた。
「中尉と仲良く並んで座っているだろうが!二人きりで!」
「ひいっ、助けて中尉!」
「あっ、ハボック!中尉にくっつくな!」
少尉が私の背中に無理やり隠れようとしたのを見て、大佐は胸ポケットから発火布を取り出した。
「大佐、何をしているんですか。やめてください」
「中尉、今すぐハボックから逃げろ!」
少尉の胸倉を掴む大佐は、何故か私に彼から逃げろと言う。
「それより大佐、私に何か用があるんですか?」
「特にない!」
少尉のことを間近で睨み付けながら大佐が叫ぶ。
「え?じゃあ何で私のことを探しに来たんですか?」
「それはだな…」
「この隙に…失礼しまーすっ!」
「あっ、ハボック!待て!」
私と大佐が話していると、少尉は大佐の手をかわし、これがチャンスだとばかりに、風のように素早く部屋から出て行ってしまった。
物置部屋には私と大佐だけが残される。
「…あとであのふざけた前髪を全部焼いてやる」
大佐はそう呟きながら、先ほどまで少尉が座っていた場所に腰を下ろした。
「そんなことしちゃ駄目です。大体、どうしてハボック少尉がそんな目に合わなくちゃいけないんですか」
体を大佐の方に向けて座り、かなり苛立っている彼をたしなめる。
「だから、君にいやらしいことを…」
「されてません」
「それに君と長い間二人きりでいたことが許せないんだ!…なんで中尉はあいつと仲がいいんだ…」
「はい?」
大佐が怒っている理由も、彼の言っていることもまったく分からなくて疑問を感じながら思わず眉を寄せた。
「…とりあえず、駄目ですからね」
「…中尉がそこまで言うなら…。…くそ、ハボックの奴め、命拾いしたな…」
「それより大佐、聞きたいことがあるんですが」
「私も中尉に聞きたいことがある」
「私の方が重要です」
「ハボックと中尉はここで何を…」
「私の話から聞いてください!」
「…わ、分かったよ」
大佐に顔をぐいっと近付けて最初に質問をさせるように迫ると、彼は顔を背けながら渋々と了解した。
「大佐、『中尉』って叫びながら私のことを探していたんですか?」
「そうだよ。どのくらい探し回ったかな…。どこを探してもいなくて、こんなところでようやく見つけた」
「大佐…私以外にも『中尉』はこの司令部にたくさんいるんですよ?視察に来た彼女だって…。ちゃんと『ホークアイ中尉』と呼んでください」
「私が中尉と言ったら中尉しかいないだろう」
「は?」
「私が中尉と呼んだら君しかいない!」
「…そ、そうですか…」
大佐に自信満々に告げられ、またよく訳が分からないが何だか押し切られるように納得してしまう。
「…用事がないのに、探し回ったんですか?」
「用事は、あるといえばある。君が勝手にいなくなるから心配になったんだ」
「心配って…休憩中ですよ?」
「私に黙っていなくなることないだろう。第一、いつもは休憩時間も仕事をしているじゃないか」
「…申し訳ありませんでした」
「ま、別に謝らなくてもいいんだ。ちょうど逃げたいところだったし」
「逃げたい?」
どこかで聞いたことのある大佐の言葉に首を傾げる。
「あの中尉からだよ…。まったく、仕事中もうるさいし満足に昼も食べれん。女性を嫌いになることはないが、ああいうタイプは苦手だな」
大佐が疲れたように話す内容に耳を疑った。
大佐が彼女に苦手意識を抱いていることを初めて知り、予想もしなかったことにただただ驚く。
てっきり大佐は彼女とうまくやっていると思っていた。
「そんな…苦手な方を護衛官にして大丈夫なんですか?」
「え?」
「…え?」
不思議そうな表情を浮かべる大佐と、おそらく彼と同じ表情をしているであろう私は、見つめ合ったまま、しばしの沈黙が流れた。
「護衛官…なんだそれは」
大佐は訳が分からないといった表情で私に問い掛ける。
「彼女を護衛官にするんじゃないんですか?」
私も疑問だらけで、首を傾げながら大佐に問う。
「はあ?何の話だ?」
「だって…彼女は錬金術が使えて…」
「子供の遊び程度だろ」
「…私は子供の遊び程度も錬金術が使えないんですが。それは置いておいて、彼女は仕事もできるし銃の腕も良いし、あなたの護衛官にするのでは…」
「何?今、司令部でそんな噂でも流れているのか?」
「…いえ、私の考えです」
「何だ、君の勝手な考えか。…やめてくれよ、彼女を護衛官にだなんて有り得ない。君も知っているだろう?彼女のおしゃべり好きと男好きは。そんな不真面目な部下は頼まれても護衛官にしたくない」
大佐は顔をしかめて心底嫌そうに話す。
あなたも十分不真面目です、という言葉を私は飲み込んだ。
「…彼女は、護衛官になろうとしていますよ」
「えー…、どう断ろうかな…」
大佐はむっと眉を寄せて、面倒臭そうに呟いた。
大佐が女性に対して、というか有能な彼女に対してそんな態度を取るなど意外だ。
「断って良いのですか?確かに性格は問題ですが、貴重な戦力だと思います」
「中尉がいるじゃないか」
「え?」
「君がいるからいい。錬金術は使えなくても問題ない。銃の腕は一流、仕事をさせても見事、上官の扱いもうまい。彼女よりうんと優秀だ」
大佐は壁にもたれていた背中を起き上がらせると、私の顔を覗き込んだ。
「私の副官なんだから当たり前だ。そうだろう?」
――君がいるからいい
その言葉が部屋の中で反響しているかのように何度も頭の中で繰り返される。
「私は中尉に背中を任せたんだ。ほかに護衛官はいらないよ」
大佐が得意げに笑うのを見て、彼の言葉を何度も思い返していたが、はっと我に返った。
「…分かりました」
どこか遠くで響いていた大佐の言葉がやっと現実味を帯びて、心臓の鼓動がわずかに速くなる。
大佐に褒められたことが単純に嬉しかった。
厚い雨雲のように心を覆っていたもどかしさが、一気に晴れていく。
「じゃあ、次は私の番だな。…ここでハボックと二人で何をしていた」
心を痛ませる悩みが急になくなった喜びに浸る間もなく、次は大佐が少々不機嫌そうに私に質問をする。
「…えと…飲みに行く約束をしていました」
嬉しさのあまりぼんやりとしていると、少尉と何を話していたのかをすでに忘れかけており、一瞬間を置いてから慌てて答える。
少尉に悩みを打ち明けていたのはつい先ほどなのに、遠い昔のようだ。
「よし、じゃあ久々に飲みに行くか!」
「…え…ハボック少尉と三人でですか?」
楽しそうに提案する大佐を見て、ふと先ほどまで少尉に対して苛立っていた彼を思い出し、首を傾げる。
「何を言っているんだ。なんであいつと…中尉と二人でだよ」
「え?私は、ハボック少尉と飲みに行くって約束を…」
「そんなの断れ。久しぶりだなー、中尉と二人で食事に行くなんて」
「…そんな勝手な…」
少尉におごると約束をしてしまったのに。
しかし、大佐が一度言い出したら絶対に意見を曲げないことは私が一番よく分かっている。
少尉とはまた今度飲みに行ってお詫びをしよう。
「それで、中尉…。本当にハボックに何もされていないんだな?」
「当たり前じゃないですか」
有り得ない話を疑り深く聞いてくる大佐に呆れてしまう。
「じゃあどうして君から、私の大嫌いなあいつの煙草の匂いがするんだ?」
それでも怪しむ大佐は、呆れる私にぐいと顔を近付けた。
私が嘘をついていないか、まだ疑っているらしい。
「ハボック少尉から煙草を一本もらったんです」
「君、煙草なんて吸えないだろう」
大佐は真実か見極めるかのように目を細めて、ますます私に顔を近付けた。
「吸いたい時もあるんです」
「…なんか怪しいな。もういい。私が確かめる」
「…え…」
大佐が突然、両手で私の頬を固定するように掴んだ。
どんどんと大佐の顔が近付いてきたかと思えば、急に唇に柔らかいものが触れる。
口付けされているのだとしばらくしてから気付いて、驚愕に目を見開いてすぐ近くにいる大佐を見るが、彼は至って平然としている。
少し開いていた唇の隙間から温かなものが歯をなぞり、驚いてうしろに倒れ込みそうになるのを咄嗟に大佐が支えた。
大佐に背中を支えられながら口付けは続き、彼の舌が私のそれに絡みついてきて小さな水音が立つ。
大佐は私の舌を味わうかのようにゆっくりと輪郭を舐めていった。
背中に甘い痺れが走り、熱い吐息がもれる。
大佐は私の舌を軽く噛みながら、彼に好きなようにされて震える私を目を細めて眺めているように見えた。
「…君の言う通り、ハボックに何もされていないようだな」
大佐は唾液で濡れた私の下唇をぺろりと舌で舐めると、ようやく私を解放してくれた。
私は大佐にされるがままに口付けをされ、体の芯からほてるその熱さに翻弄されていた。
風邪を引いた時のように頭がぼうっとする。
「これくらいで顔が赤くなっているようだからな。安心だ」
大佐にそう指摘され、緩慢な動きで頬に手を当てると確かにそこは熱を持っていた。
「…大佐も顔が赤いですよ?」
すぐ側にいる大佐の頬もわずかに赤い気がして、口付けの余韻から抜け出せないまま、ぽつりと呟く。
「夕日が眩しいな…」
「雲っていますし、まだお昼です」
太陽の光を遮るように目元に手をかざした大佐に、まだ昼だと指摘すると彼はぴたりと固まった。
「そう!昼、昼だ!中尉、まだ昼食を食べていないだろう?」
大佐は私から顔を思い切り逸らし、ついで話も強引に逸らした。
「まだ食べていません」
「じゃあ一緒に食べようじゃないか。食堂に行くと彼女がいるかもしれないから、こっそり外に出よう。ああ、久しぶりにゆっくりできそうだ」
大佐は嬉しそうにそう提案すると勢いよく立ち上がり、私の方へ手を伸ばした。
「…なあ」
大佐の手を取って立ち上がると、彼は私に呼び掛けた。
「はい?」
「私は、煙草の味のするキスはあんまり好きじゃないんだ。まあ君ならいいけど…でもなるべく煙草は吸わないように」
「…はい」
今後、また口付けをする機会があるのですかという質問は、考える余裕がなかった。
ただ、のぼせてしまったかのような口付けの熱っぽさがまだ残っていて、機械的に肯定してしまったのだ。
大佐が私の手を引いて部屋を出る。
前を歩く大佐のこの背中は、私が守るべき背中。
改めて気を引き締めたいところだが、大佐の手から伝わる体温が異常なほど熱くて、彼も私と同じなのだと知った私は、また顔を赤くしているのだろう。








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