「…もう、またこんなに飲んで…」 「…ヒューズのやつが酒をすすめてくるんだよ…」 「大佐、来るなら来るって言ってください。そしたら迎えに行ったのに…」 「いや…さすがにそれは男として駄目すぎるだろう。こんな夜中だし…」 「今も十分駄目です」 酔いが完全に回り、リザの自宅に歩いて辿り着くまでが精一杯という有様で、彼女に扉を開けてもらうなり玄関に倒れ込んでしまった。 玄関の床の上でだらしなく寝そべる私を、両腕を組んだリザが心底呆れたように見下ろしている。 リザはパジャマ姿で、どうやら私は眠っていた彼女をたたき起こしてしまったようだ。 「ヒューズ中佐は?」 「あいつは二人の天使に早く会わなくちゃいけないって言って、ついさっきの汽車で帰ったよ」 「…そうですか。…大佐も寄り道しないで真っ直ぐ家に帰ればいいのに…」 「寄り道じゃないよ。今日は君の家に泊まるから」 「…大佐はまたそうやって勝手に決めて…」 私のわがままにリザは大きなため息をつきつつも、玄関で寝ているどうしようもない私に手を差し延べてくれた。 リザは私の肩に腕を回して、足のおぼつかない私をその場に立ち上がらせた。 そして体が思うように動かない私をリザは何とか支え続け、ぐらぐらと危なかっしくふらつきながらも寝室まで運んでくれた。 「ヒューズに散々家族自慢をされて、君に会いたくなったんだよ」 ベッドが見えるなり、スーツが皺になるのも構わずに、まるで水面に向かって飛び込むように勢いよくベッドに倒れ込んだ。 私の子供のようなこの様子を見て、リザは「困った人」と小さく呟いた。 真っ白なシーツに顔を埋めると、リザの甘い香りがふわりと鼻を掠める。 緩慢な動きでシーツの上に仰向けになり、ベッドの端に腰掛けたリザを見上げる。 するとリザが小さく唇を開いた。 「…なんだか…」 「ん?」 「…浮気されたあとに優しくしてもらっている気分です…」 「…浮気…って…」 リザの突拍子もない言葉に酔いも吹っ飛ぶほど目を丸くして驚くが、彼女の表情は真剣そのものだ。 「大佐、今お水を持ってきますね」 「おい、ちょっと待ってくれ」 ベッドから腰を上げ、昔よりもずいぶんと伸びた髪を胸の辺りでふわりと揺らしてキッチンへ向かおうとしたリザの腕を慌てて掴む。 「大佐、何ですか?」 リザは私の呼び掛けに振り向くと、不思議そうに首を傾げながら再びベッドの縁に腰を降ろした。 「浮気って…君は何を言っているんだ?否定するのも馬鹿らしいぞ。気持ちの悪いことを言わないでくれ」 「…そんなこと、分かってますよ。…でも、私から見るとヒューズ中佐と大佐はとっても仲がいいんです…。…羨ましいくらい」 「私達だって仲がいいじゃないか。とってもな」 「とっても」を強調して、リザに諭すよう話す。 私とリザは恋人同士なのだから、出会ったばかりの男女が互いの気持ちを探り合っている初々しい時点などは、もうとっくに通り越しているはずだ。 「……でも…大佐は、ヒューズ中佐には何でも話すじゃないですか…」 俯いたリザは指先でシーツを弄びながら、ぽつりとそう呟いた。 「なあ、私は君にだって良いことや悪いことも何でも…」 「大佐」 「ん?」 私の話を遮ったリザは、シーツから私へと視線を移し、真剣な眼差しで私のことを捉えた。 「…わ、私のこと…好き、ですか…?」 リザは頬をわずかに赤らめながら、控え目な彼女にしてはらしくないことを聞いてくる。 言い慣れていない言葉をたどたどしく紡いだ唇が不安げに噛み締められ、そしてリザの目が泳いでいることから、彼女がとても緊張していることが分かる。 「ああ、好きだよ。愛している」 リザにしては大胆な問い掛けにやや驚きながらも、それを表に出さずに素直に答えた。 そして、緊張と恥ずかしさを堪えるためかシーツをきつく握っていたリザの指を優しく解していく。 「私も、好き…です…」 リザは遠慮がちに私の指に自らの指を絡めながら、誰に言うわけでもない独り言のように小さい声でそう口にした。 リザは、恋人に好きだと告げたというのに、まるで親においてきぼりにされた子供のように不安をいっぱいにした表情を浮かべている。 ふう、と、深いため息をひとつついた。 表面上ではお互いに好きだと言い合って通じ合っているのに、実は内心ではリザがまったく納得していないのがすぐに分かる。 「中尉、ヒューズと自分を比べる理由は何なんだ?…私は、君にだって何でも話すし、格好悪いところだって見せているし、隠し事もしていないぞ」 この世で一番愛おしく、そして気を許すことのできる安らぎの場であるリザには、良いところも悪いところもすべてをさらけ出してしまう。 リザの前ではいつも格好をつけていたいと思いながらも、つい汚い部分も見せてしまうのだ。 私はリザの前ではいつも隠し事をせずに自然体でいるため、彼女は私が「大佐」でいる時も個人でいる時も全部の姿を知っているはずなのに、彼女は何を気にしているのだろう。 「大佐のことを疑っているわけじゃなくて…。きっと欲張りなんです、私」 私がリザの真っ白な手の甲に唇を落とす様子を、彼女は悲しそうに眺めていた。 「…私、ヒューズ中佐に憧れていて…。あの人のように、大佐が心置きなく何でも話せる人になりたいんです」 「だから、何度も言うが、私は君に何でも話しているよ」 「……この前、大佐が電話でヒューズ中佐にこそこそと話していたことも全部知りたいって思ってしまうんです。その…男同士の友情にも首を突っ込みたくなってしまって…」 困りますよねと、リザは不器用に無理やり笑みを作って、そして私から顔を逸らした。 「…聞いていたのか、あれ」 「…ごめんなさい…」 「…いや、別にいいんだが…」 この前電話でヒューズに話していたのは、恋愛というものにとてつもなく疎いリザのことで困り果てて奴に相談をしていたのだ。 リザのことを話しているために彼女に隠れてこっそりと電話をしていたのだが、まさか彼女にそれを聞かれていたとは思わなかった。 「確かにヒューズと私には、君の言う男の友情とやらがあるが…。私達は恋人同士じゃないか」 「…そうですね」 「まだ不満?」 「…少し…」 「そうか」 申し訳なさそうに小さな声でそう告げたリザの腕をぐいっと引っ張り、パジャマに包まれた彼女の体をベッドの上に押し倒した。 白いシーツの上に美しい金髪が花が咲くようにふわりと広がる様子に目を細めた。 急にベッドの上に引きずり倒されたリザの上に、すぐさま覆いかぶさる。 「大佐?」 急に私に組み敷かれたリザは、私の影の下で驚きに目を丸くしている。 「じゃあ…まずは今日ヒューズに話していたことを教えてあげようか」 しゅるりと音を立ててネクタイを外しベッドに放り投げ、彼女にぐっと顔を近付ける。 「…え…」 「そしたらきっと不満なんてなくなる」 まだ状況を飲み込めないのかきょとんとしているリザのパジャマのボタンをひとつひとつ丁寧に外し白い肌を晒していきながら、彼女の唇をぺろりと舐める。 「…そんな…。…い、いいんですか?」 「まったく構わないさ。それより君こそいいのか?」 「え?」 「…君は頭が固いからなあ…。私はせっかちだから、言うことを聞かないと噛み付くかもしれないぞ」 「……構わないです」 綿菓子よりも甘く柔らかい肌に鼻を埋めると、リザはそれに応えるようにおずおずと控え目に私の背に腕を回してきて、自然と頬が緩む。 リザの可愛らしい仕草に胸が熱くなり愛おしさが込み上げるのは、「友情」では抱かない感情だ。 今日ヒューズに話した主な話題は、この前の電話で奴に相談したように、もっぱらリザのことだ。 最初は、私の愛情をすべて受け入れることのできないリザの鈍さを嘆いていたのだが、酒が進むにつれて、だんだん彼女がいかに愛おしいかを語っていた。 いい年をした男の大人二人が肩を並べ、酒を飲みながら、相手の話は一切聞かずに一方的に機嫌良く惚気話をしているなんて、傍から見れば実に奇妙な光景であっただろう。 何かと男同士の友情に憧れ、そして「私も男になりたい」だなんてとんでもない考えを抱いて落ち込むリザには少し困ってしまうが、同時に、友情に嫉妬をする彼女は愛おしく嬉しくもあった。 友情と愛情を同じ天秤に掛けることなどできないのに、私を好いてくれるが故に不器用にも友情と愛情を比べて悩むリザが愛おしくてたまらない。 またヒューズに話す惚気話がひとつ増えた。 ――今日ヒューズに存分に語った通り、リザが心配する暇がないほど、私の愛情を知り困ってしまうほど、今は彼女を思いきり愛そう。 「愛しているよ、リザ」 頑固なリザに、私の彼女に対する愛の深さと、彼女に友情と愛情の違いを教えるには、少し手荒な真似をしてしまうかもしれない。 しかしリザはそれを望んだのだ。 リザに抱き寄せられているのは温かくて心地がよく、気分を良くしながらリザの肌を隠す布をどんどんと剥ぎ取っていく。 素肌と素肌を合わせると互いの心音が皮膚に直に伝わり、リザがふと目尻を下げたのを見てまた愛おしさが募る。 知るからには覚悟しなさいと囁きながら、リザの雪のように真っ白な肌に痛いほど噛み付いて赤い痕を残し、恋人同士の「仲良し」を始めた。 屋敷の古びた長い廊下を歩きリビングへ向かうと、やはりそこにはリザがいた。 私がリビングに入ると、ちょうど二つのマグカップが乗ったトレイを両手で持ったリザがキッチンから出てくるところであった。 「…あ、マスタングさん」 リザはリビングの入口に立っている私に気が付くと、美しい人形のように端正だが同時に無表情な顔を私に向け、彼女はわずかに目尻を下げた。 「今これを父の部屋に持っていこうとしていたところなんです」 コーヒーの入った白い湯気の立つマグカップに視線を落とし、リザがそう説明しながら微笑んだ。 私がホークアイ師匠から錬金術を教わっている時、リザはいつも温かいコーヒーを師匠の部屋へ持って来てくれるのだ。 リザがいれてくれるコーヒーは美味しいだけではなく、雑談や笑い話などの無駄がまったくないただ淡々と錬金術の基礎を教え学ぶ静かな空間に、しばしの温かな休息も与えてくれるのだ。 ホークアイ師匠はいつもリザから黙ってマグカップを受け取るが、師匠が愛娘のコーヒーを味わっていることは、わずかだが穏やかに変化した表情から読み取れる。 今日もリザはいつものようにコーヒーを部屋に届けようとしたようだが、今回は少し遅かった。 「…あの…どうしてマスタングさんがここに?」 普通ならば今の時間は師匠の部屋でみっちりと錬金術を教わっているはずの私を見上げ、リザは不思議そうに首を傾げた。 「実はね、今日は早く終わったんだ。…というか、師匠が急にご自分の研究を始めてしまってね」 「…え…、そうなんですか…。マスタングさん、ごめんなさい…」 弟子に錬金術を教えるのではなく、弟子を放り出して自らの研究に没頭してしまったホークアイ師匠の様子を伝えると、リザが途端に眉をきゅっと歪めた。 「ごめんなさい…。もう、父ったらいつも自分のことになると…」 「いいや、いいんだよ」 申し訳なさそうな表情で何度も私に頭を下げて謝るリザに慌てて声を掛ける。 錬金術を追究することには終わりなどという概念はなく、錬金術師は常に己の研究を究めたい生き物なのだと、一応錬金術師の端くれの私は思う。 ホークアイ師匠は、弟子に錬金術を教えるよりも、寝食を忘れてでも自らの研究に没頭したい種類の人間なのだろう。 そんなホークアイ師匠に、しかも焔の錬金術師を生み出したあの高名な師匠の弟子になれただけでも奇跡に近いのだ。 なので、ホークアイ師匠の機嫌や体調によって私が錬金術を学ぶ機会が大きく左右されることは特にたいしたことではない。 「師匠は研究に夢中だから、コーヒーに気付かないと思うよ。だからこれは二人で飲まないかない?」 「…あ…」 リザの両手からマグカップの乗ったトレイを取り上げ、勝手にテーブルへと運ぶ。 「さあ、ここにどうぞ…って、ここはリザの家か」 テーブルの椅子を引き、リザにそこに座るように促す。 リザがぎこちない様子で椅子に座る姿を眺めながら、私は彼女の向かい側の椅子に腰を下ろした。 「いつもコーヒーをありがとう、リザ。じゃあ、さっそくいただくよ」 「あっ…、だ、駄目です!」 「ん?」 トレイからマグカップを手に取り手前に引き寄せると、リザがその動きを遮るかのように急に声を上げた。 「リザ…?」 いつも大人びていて静かなリザが大きな声を出したことに驚いて、珍しいものでも見るように思わず彼女をまじまじと見ると、彼女自身も自分が大声を出したことに驚いたのか口に両手を当てた。 「あ…いえ、ごめんなさい。何でもないんです。…え…と…、ミルクとお砂糖を持ってきますね」 「…ああ…うん」 しどろもどろといった様子で、リザはあたふたしながら素早くキッチンへと消えてしまった。 キッチンからミルクと砂糖を持ってきたリザも、いつも冷たいと感じるほどの冷静な態度はどこへいってしまったのか、どことなくそわそわとしていて落ち着きがない。 「…マスタングさん、お砂糖は…?」 「ああ、いらないよ」 「ミルクは…」 「平気だよ」 コーヒーに砂糖やミルクを入れるかどうかをリザに聞かれ、少しだけ誇らしげに不要だと答える。 コーヒーに何も入れずにそのまま飲んでいる私の姿を見て、リザが「マスタングさんは大人ですね」と口にした彼女に、羨望に似た眼差しを向けられたことが未だに忘れられないからだ。 別にコーヒーに砂糖やミルクを入れても構わないのだが、リザの前では「大人」でいたい。 「…そうですよね…」 リザは何故か難しい顔をして目の前にあるコーヒーに砂糖とミルクを入れ、スプーンで掻き混ぜている。 そういえば、リザは私がコーヒーをそのまま飲めることを知っているのに、どうして今回はわざわざ砂糖やミルクを勧めてきたのだろうか。 「…あ、あの!マスタングさん!」 リザの小さいもののらしくない行動が解せず、私も難しい顔をしてマグカップに口を付けようとすると、彼女が再び慌てた様子で私を呼んだ。 いつも静かな声で落ち着いて話すリザが声を荒らげるなど本当に珍しいことだ。 「何?」 「…えっと…あの…」 リザは私のことを呼んだものの、どうしたことか肝心の話すことがないようだ。 「…リザ、君、今日ちょっと変だぞ」 「…そう、ですか?」 リザを真っ正面からじっと見つめると、彼女は慌てて私から目を逸らした。 「…ふ、普通ですよ。普通です」 何でもないです、と言うリザの不自然に目が泳いでいる。 これは絶対に何かあるに決まっている。 「…リザ…」 「…は、はい?」 「君は嘘をつくのが下手だな」 「…嘘って…私は何も…」 「何かあったんだろう?ほら、私に話してみなさい」 なかなか感情を表に出さず、そして口数の少ないリザが他人に悩み事などを打ち明けてくれることは簡単なことではないだろうが、彼女が困っているならば全力で助けたい。 お節介でも良いから、リザを苛んでいる事柄から彼女を救ってやりたい。 これは耐久戦になりそうだなと思いながらマグカップの取っ手に手を伸ばすと、リザが焦った様子で目を見開いた。 「まだ熱いから駄目です!」 「え?」 「…あ…」 私がコーヒーに口をつけるのを阻止するかのように叫んだリザは、やってしまったというように顔をしかめた。 「…リザ…。コーヒー、飲んじゃいけないのか?」 思い返せば、リザは先ほどから私がコーヒーを飲もうとすると、その度に彼女らしくない変な態度を取っていた気がする。 「まさか…このコーヒーに何か入ってるとか?」 「…違います…」 「じゃあ何で駄目なの?」 「…それは…」 リザは隠し事を打ち明ける気になったのか、観念したように一度目を閉じて、次に大きくため息をはいた。 「…そのコーヒー、見れば分かると思うんですけど…いれたてなんです」 「ああ」 コーヒーはまだもくもくと白い湯気を立てており、マグカップの持ち手まで熱く温めている。 「…だから熱いんです…」 「うん」 「……あの…マスタングさんは…熱いのが苦手でしょう?」 「え」 リザの突然の発言に思わず間抜けな返事をしてしまう。 「父も私も熱いものが平気なので、ついマスタングさんも平気だと思っていて…。少し前までマスタングさんが猫舌なことに気付かなかったんです…ごめんなさい…」 「…いいや、それはいいんだが…」 「マスタングさんが猫舌なのを知ってからは、マスタングさんのコーヒーは冷ましてから、父のはいれたてのものを持って行っていたんです」 「…そ、そうなのか…」 確かに、いつもリザが運んでくるコーヒーは、熱いものが苦手な私の舌でも無理なく飲めるものであった。 「…私は…今までリザに気を遣わせていたのか…」 「いいえ、そんなことないです」 前に一度、このテーブルで師匠とリザと私の三人でコーヒーを飲んだことがあった。 いれたての熱いコーヒーを口に含んだ時は熱で舌が痛くなったが、リザの前で「大人」でいたいために何食わぬ顔でやり過ごしたのだ。 しかし、リザはあの時に私が猫舌だということをしっかりと見抜いていたのだろう。 そして、今回のリザの不思議な行動の数々の原因は、私のコーヒーを冷ますために時間稼ぎをしてくれていたのだ。 「…なんだか…すごく格好悪いな」 「え?」 「年下の女の子に気を遣わせるし、猫舌だし…」 「そんなことないですよ。あと…猫舌って可愛いと思います」 「可愛い」という発言を聞いて、思わず指からマグカップの取っ手が擦り抜けるところであった。 冗談かと思ったが、真面目なリザがそんなことを言うはずはないし、実際真剣な顔で私のことを見ている。 「…可愛いってね…男はそう言われても嬉しくないよ」 リザに必死に隠してきた猫舌がばれてしまい、彼女の前でもう「大人」を気取れないことに一人落ち込んでいると、彼女はその私の様子を心底不思議そうに眺めている。 「あ、そろそろ飲んでも大丈夫ですよ」 「…ああ、ありがとう…」 「あの…熱かったら、ふうって息を吹き掛ければ…」 「男がそんなことをしていたら気持ち悪くないか?」 「それも可愛らしいと思います」 いつも、そして今回のリザの不器用な気の遣い方でも実感したのだが、私とリザは物事の捉え方が若干ずれているらしい。 リザのおかげでほどよい温度になったコーヒーをようやく口に含むと、美味しいはずのそれがいつもよりも苦く感じた。 自分が愛した分だけ、その愛情が望んだ形で自身に返ってくるとは限らない。 寂れた空っぽの屋敷で、唯一の肉親である父親に突き付けられた事実は、早くに母親を亡くし愛情に飢えていた私にはあまりにも残酷だった。 不器用な父が父なりに、私が父を思い心配するように、私のことを気に掛けていることには気付いていたけれど、まだ幼い私には父のひっそりとした愛し方は物足りなかった。 父に愛されていると分かっていたけれど、愛情に貪欲な私の心はまだ愛を求めて満たされることはなく、夜にベッドに入っては「私は愛されていないんだ」と偏屈になってよく泣いた。 父が不器用ならば娘の私も不器用でひねくれていて、もっと愛してほしいと、決して振り向かないと分かっていても父の背中を必死に追い掛けた。 その時だった。 追い掛けなくても振り向いてくれる人、ささくれた心を潤すように愛した分だけ愛してくれる人――ロイ・マスタングが現れたのは。 「どうぞ」 「…ありがとうございます」 マスタングさん――中佐は、突然の真夜中の訪問者に嫌な顔ひとつせず出迎えてくれた。 私に寒くないかとしきりに優しく問い掛けながらソファーに座らせ、慣れない手つきで紅茶を入れてくれた。 可愛い妹ができたようで嬉しい。 出会ったばかりの頃、小さな私の手を引いて、屋敷の周りを散歩しながらマスタングさんはそう笑った。 その通り、マスタングさんは私を本当の妹のように思ってくれて、変な気遣はいなしに接し、愛してくれた。 ひとりよがりで誰からも愛されていないと思い込んでいた私は、家族の愛情を目一杯注いでくれるマスタングさんがすぐに「特別」な存在となった。 そして、また私も、いつも泣いているような気持ちでひたすら誰かの愛情を求めている私も、マスタングさんの「特別」となった。 カップに入った紅茶を全部飲むと、中佐の家に来るまでに冷えてしまった体が芯から温まった。 しかし私が望む温もりはこのようなものではない。 「リザ」 おいで、と、ベッドに入った中佐が隣の空間を軽く手で叩く。 私は中佐に飛び付くような勢いでベッドにもぐり込んだ。 中佐の恋人や妻でもないくせに、私は彼と一緒にブランケットに包まって、壊れ物でも扱うかのように優しく抱きしめてもらえる。 妹で、そしてひねくれ者の可哀相な私の特権だ。 優しい中佐は、昔出会った女の子が今も過去に捕われて躓いて転んでいるところを放っておけない。 非常識にも深夜にアパートのドアを叩くのも、ベッドを半分も占領してしまうのも、私が彼の「特別」だからできることだ。 母親が子供にするように髪の毛を指で撫でてもらうと、寂しさで荒れていた心がだんだんと静まっていく。 私はまだマスタングさんの「特別」だ―― 時折、中佐に迷惑な行動を笑って許してもらえないと、こうして自分が「特別」な存在だと確認できないと、どうしようもなく不安になる。 父に愛されていない、誰からも愛されていない。 小さな頃に満たされなかった心の隙間を今も引きずり、それは情けないことに大人になった現在も心の傷になっているのだ。 「リザ、世界はもっと広いんだよ」 殻に閉じこもっていないでもっと外を見てごらん。 中佐の腕の中で今にも泣き出しそうな私に、彼がいつもと同じことを言う。 しかし、殻を破って外に出てみても私なんかを愛してくれるような人は到底見つかりそうもなく、また傷付きそうで怖い。 私にはマスタングさんがいてくれるからいいの。 口には出さないで心の中で呟いて、臆病な私は目を閉じた。 「…中佐ぁ〜…」 レストランを出ると、店内ではヒールの高いパンプスを履いていてもしっかりと歩いていたリザが、急に私に寄り掛かってきた。 リザが地面に倒れ込まないように慌てて腰に手を回して体を支える。 「少尉…飲み過ぎたんじゃないか?」 「だって中佐がおごってくれるっていうから…」 「君ねえ…」 呆れてため息をつくと、ふと右腕に温もりを感じた。 リザが私の右腕を掴んでいる、というか抱き締めている。 「…中佐…私、酔っちゃいました…」 リザは頬も目尻も桃色に染め、潤んだ瞳で私をじっと見つめてきた。 「そんなの見れば分かる」という言葉を飲み込んで、私はわざとらしく咳ばらいをした。 「仕方ないな…。ここは私の家に近いだろう?休んでいきなさい。…泊まってもいいぞ」 酔っ払いにも分かるように、ひとつひとつ丁寧に、慎重に口にする。 ああ、これで夢にまで見た酔ったリザを介抱できる日がきたのか。 普段はじゃじゃ馬娘で意地っ張りのリザは酔ったために大人しくなり、そして素直になって私に甘い言葉をたくさん囁いて…。 「私、酔っちゃったので…」 「うんうん」 「…もっと飲みに行きましょうー!」 「うんうん…。うん?」 「どうせならもっと酔っ払いましょうよー!」 先ほどまでリザは私をひどく切なげな表情で見つめていたのに、見る人すべてを悩殺させてしまうような儚げな瞳をしていたのに、いま彼女は笑顔を浮かべて大声で笑っている。 そして私の右手を掴んでぶんぶんと上下に振り回している。 「中佐のおごりで!ね!」 「何が『ね!』だ!私のリザが素直になる作戦はどうしてくれるんだ!!」 「…お兄様、本当に申し訳ありませんでした」 「うむ」 「私は昨日、酔っ払ってお兄様の家に深夜に押しかけて、寝ていたお兄様を叩き起こしたあげく、ベッドを一人で占領して寝ました。もう今後このようなことは二度と致しません」 「…それから?」 「…それから…」 「君は誰と飲んだんだ?」 「昔からの友人と…あと偶然店にいた友人の男友達の数人で…」 「けしからんな」 「………なんで私がこんなことを」 「ん?何か言ったか?」 「どうして私がこんなこと言わなきゃいけないんですか!もう三回目ですよ!?」 「だって誠意が感じられないんだもん」 「確かに酔っ払って押しかけて、大佐をソファーで寝かせて私がベッドを占領したことは謝ります!でも『お兄様』って何ですか!?何で大佐はソファーに座っていて私は床に正座しているんですか!?」 「上下関係だ」 「それから、私が誰とお酒を飲もうと大佐には関係ないです!」 「何っ!?駄目だ駄目だ駄目だ駄目!!男と酒を飲むなんて許さん!」 「大佐は誰彼構わず一緒にお酒飲んだりキスしたりするくせに!」 「君が私以外の男と食事したり酒を飲んだりするなんて絶対に認めない!!」 |