「今の下着じゃきついだろう」 「そうですね」 「元から文句なしの素晴らしい大きさと質感だったけど、私がこうやって手塩にかけて育てたおかげで国宝級になったな。ほら、今日もふかふかだ。あ、新しい下着はあの袋の中だから」 「…触ると育つ…」 「うむ、愛の結晶だ」 「あの」 「うん?」 「…中佐のは育つんですか?」 「……ん?」 「その…だ、男性のシンボルです」 「え…?それは…いま熱い視線を注がれている下半身のもう一人の私の…という意味の…?」 「…はい」 「いやいやいや…リザちゃん。ちょ、ちょっと待て!えっ?どういう意味だ!?…育つ!?今の大きさじゃ満足できないってことか!?」 「ち、違います!大きくって…!今より大きくなったら困ります!駄目です!」 「じゃあ君は何が言いたいんだ!?」 「怖い顔しないでくださいよ…。ですから、育つって言うから…」 「あのね…これは毎日水あげて育つような可愛いげのあるものじゃないぞ」 「だって…」 「『だって』じゃない」 「…私の胸は中佐がねちねち触るから大きくなったじゃないですか…だから中佐のも…そうなのかなーって…」 「何から言えばいいのか…。あのなあ、胸とは違うの。…あー、コレについての大きさ云々の話はなんかなあ…」 「そんな呆れた顔して…。なんだか傷付きます…。私だって中佐のを愛情込めて触るから、大きくなるのかなあってちょっと疑問に思っただけなのに…」 「ううん?」 「中佐が教えてくれたじゃないですか。触るんじゃなくて扱くとか、ただ舐めるだけじゃ駄目だとか…あ、太ももや内股に擦りつけたこともありますよね。この前はストッキングをはいた脚で思いつく限りの言葉罵倒しながら足の指で…」 「わー!もういい!やめて!君らしくない!」 「そうですか?」 「君の口からいやらしい言葉を聞くのはある種興奮するけど今のは駄目!なんか違う!良心が痛む!」 「あっ」 「今度は何!?」 「あれですよ、私が触ると、だんだん大きくなりますよね?それが男性でいう成長…?」 「…違うと思う…」 「下着、きつくなりますか?」 「は…?」 「ですから、成長した時ですよ。中佐もさっき私に聞いたじゃないですか。圧迫感あるんですか?」 「……マスタングさんはもう疲れたよ…ごめん、寝るね…」 「えー」 聞き慣れた控え目なノックの音を聞き、机から顔を上げて返事をすると、執務室にリザが入ってきた。 ペンを動かす手を止めて普段と様子の違うリザの姿を遠慮なくじろじろと見る。 「どうしたの?」 「…暑い…でもここはまだマシ…」 仮眠室に行ったはずのリザが、暑さのせいか頬を微かに染め、よろよろと歩いて部屋に入ってきた。 いつもの真面目で優等生なホークアイ中尉はどこへ消えたのか、リザは机の側まで来ると、脇に抱えていた軍服の上着を丸めて足元に置くと、上着を枕代わりにして戸惑いなく床に寝そべってしまった。 「って、おい、中尉。子供か君は…」 「眠い…」 いい寝所を見つけるやいなや、床であろうが上官が仕事をしる執務室であろうが、本能のままに動く動物のように躊躇なく寝てしまうだらしなさに突っ込むが、うわごとのような呟きしか返ってこない。 「仮眠室、空いてなかったの?」 椅子から下りて、床で寝ようとするリザの側に腰を下ろして、リザの肩をさすりながら問い掛ける。 リザがのろのろと首を横に振った。 「仮眠室、すごく暑かったんです…窓は開いていたんですが、風は入ってこないし、人がいっぱいのせいで熱気が凄まじくて…。ここの方が断絶涼しいです…」 「確かに今夜はかなり暑いな。窓、開けようか」 「…お願いします…」 暑さにかなり参っているリザを見兼ねて、少しでも楽になるよう窓を開けるが、案の定生温い空気しか入ってこない。 しかし窓を開けないよりはマシだろう。 「どうせなら電気も消すか…」 「大佐…今日はデートの予定は…?」 「ない」 心配そうに尋ねてきたリザに対してはっきりとそう答え、部屋の電気を消して、同時に執務室に鍵を掛けた。 「仕事はもう終わったし、君が起きたら一緒に帰ろうと思ってたんだ」 「…そうですか。また私の都合も考えず、承諾を得ないで勝手な予定を立てますね…」 「少しここで寝ようか?」 「いいんですか?」 執務室で寝ていいのか、早く帰宅しなくていいのか、二重の意味を込めてリザが問い掛ける。 「いいよ。君は限界みたいだし、少し寝てから帰ろう」 体を丸くして寝ているリザの隣に腰を下ろすと、リザは上着を放り投げ、私の膝の上に頭を乗せた。 「あのな…中尉、ソファーで寝ようよ」 「ここの方が窓が近いです」 「ああ、そう…」 「大佐…暑い…」 リザが助けを求めるように、暑さのせいで熱でも出したように弱々しい瞳で上目遣いに私を見た。 「…あー…。…服、脱ぐ?」 私がしてやれることといえばそれくらいで、躊躇いながら尋ねると、リザがこくりと頷く。 リザを膝の間に座らせると、リザは私の胸に寄り掛かってきた。 私の胸に身を預け、満足げに目を閉じるリザは自分で服を脱ぐ気はないらしい。 性行為の時に私が服を脱がせるといつも怒るくせにと愚痴を言いながら、後ろからだと少し難しいが、まずはブーツと靴下を脱がせ、次にズボンのベルトに手を掛ける。 ズボンを脱がせると、暗闇の中に抜けるように白い脚がぼんやりと浮かび上がる。 「ハイネックまで脱がせると私の理性が危うくなるな…。少しは涼しくなった?」 リザの禁欲さを表すように露出のないハイネックの裾から、上半身とは正反対に、下着と大好きな太ももが無防備にあらわになっている光景が十分すぎるほど目の毒だ。 私に遠慮なくどっしりと寄り掛かり、膝を抱えているリザはすでにうとうととしていて、返事がない。 ぺちぺちと軽く頬を叩く。 「おーい、中尉、涼しいか?」 「…暑い…」 「私とくっついているからだと思うが…」 「…それは平気です…枕兼布団ですから…」 リザの腰に回した私の腕を解こうとする前に、リザがそっと私の腕に手を添えた。 このままの体勢でいろということか。 密着すると暑いままだと疑問に思いながらも、リザを後ろから抱いたまま、窓の下の壁に寄り掛かる。 暑い暑いと呟いていたリザは、いつの間にか穏やかな寝息を立てていて、リザはすでに眠りの世界へと落ちていた。 「中尉が人恋しい…なんてことはないか…。私はただの枕だよなあ…」 家に帰って寝ずに、何故執務室に来ることを選んだのか疑問だがあまり深く追求せずに、髪をまとめているバレッタを外し眠り姫の髪を撫でた。 ※ロイ君十歳とリザちゃん五歳のパラレルです 「じゃあ、リザちゃんを頼んだよ、ロイ坊。私は店にいるから、何かあったらすぐ来るんだよ」 「分かりました。それからロイ坊という呼び方はやめてください」 「リザちゃん、行ってくるからね」 僕の抗議の言葉を無視し、義母は部屋の扉を閉めてしまった。 父と母を早くに亡くした僕を引き取ってくれた義母は、今や母親も同然で、なかなか恥ずかしくて「お母さん」と呼べないことが、十歳にして錬金術の基礎の呪文を読み解くことができる天才なロイ・マスタングの密かな悩みだ。 義母はこの部屋の下にある飲み屋を経営しており、今は店を開ける準備に終われている。 開け放った窓から、暑苦しい昼間とは違う涼しい風が入り込み、ひらひらとカーテンが揺れる夕暮れは、読書の時間にぴったりだ。 最近義母が買ってくれた高価で貴重な錬金術書を読んでまた錬金術についての知識を深めたいところなのだが、面倒な存在がひとつあった。 「…マダム・クリスマス…行っちゃった…」 本棚とベッドと机のみで構成された簡素な僕の部屋には、義母が閉めた扉を突っ立ったまままだじっと見つめている金髪のショートヘアの少女が一人いた。 名前はリザ・ホークアイ。 義母の元で働く女性達がリザのためにおさがりを持ってきてくれて、いつも流行りからは掛け離れた綻びているワンピースを着ている彼女は、僕と歳が五つ離れていて、五歳だ。 僕は彼女の面倒を見るように義母から頼まれることがしばしばある。 実は彼女の父親のホークアイ氏は錬金術師の権威者であり、彼の本を読んだ時にひどく感銘を受けていつか彼に弟子入りしたいと考えていたのだが、驚くことに顔の広い義母は、彼と昔からの知り合いだったのだ。 ホークアイ氏の妻、つまりリザの母親は数年前に亡くなっており、ホークアイ氏が寝食を忘れて研究に打ち込む時は、自分のことはおろか子守すらも放棄する。 錬金術師としては偉大だけれど、父親の役目をとても果たせていないホークアイ氏の元に幼い子供を置いておくのは可哀相だからと、義母がたまにリザを家へ連れてくるのだ。 しかし、今は義母は開店の準備に追われ、それから年の近い子と遊んだ方がいいと言うので、面倒を見るのは僕である。 冗談じゃない。 僕におままごとや人形遊びなどというくだらないことをしろというのか。 僕は子供が苦手だ。 特にリザのようにすぐ泣く子供は相手などしたくない。 いつか弟子入りしたいと考えているホークアイ氏の一人娘だからいつも我慢しているが、僕には子供を構っている時間はなくて、一日でも早く立派な錬金術師にならなくてはいけない。 そして今は僕を養ってくれている義母に恩返しをしたい。 「義母はもう店へ行きました。扉を見ていても帰ってはきません」 寂しげな顔をするリザの足元に絵本の山をどさりと置いた。 「これは僕が小さい頃に読んでいた絵本です。これを読んで大人しくしていてください。飲み物とお菓子が欲しい時は僕に言ってください。机の上にあります。それ以外の用事では僕に話し掛けないでください。僕はあなたと違って忙しいんです。では」 一度に用を告げて、部屋の隅にある勉強机に座る。 そして胸を高鳴らせながら、あまり指紋をつけぬよう気を付けながら、憧れの錬金術書を開いた。 「ねえねえ、ロイくん」 錬金術の世界へ旅立とうとした時、下からくいくいとシャツの裾を引っ張られた。 「…何ですか。もう飲み物とお菓子が欲しいんですか?本当に子供ですね。夕飯が食べられなくなるので、お菓子は少ししか食べてはいけませんよ」 「ロイくんは何を読んでいるの?」 リザは僕の質問には答えず、逆に首を傾げながら問い掛けてきた。 「先程、飲み物とお菓子が欲しい時以外は話し掛けないでくださいと言いました。これだから子供は嫌いです。…僕が読んでいるのはあなたには到底理解できない崇高な書物です。間違っても触っては駄目ですからね」 「あ、これ、お父さんの部屋にもたくさんあるよ」 錬金術書は分厚い上に表紙が複雑な模様で描かれているため、幼いリザもこれが錬金術書だと気付いたらしい。 「そうでしょうね。ホークアイ氏の部屋には基礎の書物から絶版になった書物までたくさん揃っているに違いないです。きっと部屋は宝の山ですよ」 「ロイくん、リザにも見せてー」 「駄目です!」 背伸びをして本を覗き込もうとしたリザから本を遠ざけて怒鳴ると、リザがびくりと肩を揺らした。 ジュースが入った水筒にはしっかりと蓋がしてあるが、子供は何をするか分からないから万が一ということがあるし、義母に買ってもらったこの本は絶対に汚してはならない。 「これは義母が買ってくれた大切な本で、それから錬金術の心得がないあなたが読むようなものではありません!」 「…ごめんなさい…」 リザは俯いてワンピースの裾を小さな手の平できつく握った。 これはリザが悲しい時によくやる癖だ。 「それから『ロイ君』って気安く呼ぶのはやめてくれませんか?まるであなたと私が友達のようではないですか」 「……お友達じゃないの?」 まだワンピースの裾を指でいじりながらリザが呟く。 「あなたと僕が友達なわけないでしょう。僕は友達はいりませんし、それにあなたと僕ではとても釣り合いません。『マスタングさん』と呼んでください。僕もあなたを呼ぶ時は『ホークアイさん』に改めます」 花がしおれてしまうように、彼女はしゅんと大人しくなった。 姿勢まで悪くなっている。 唇をきつく噛み締め、紅茶色の瞳を潤ませた悲しさでいっぱいの今の彼女の顔はどうも苦手で、顔を逸らした。 あの顔を見ると、まるで自分が悪いような気がして、こちらまで胸が苦しくなる。 彼女は何か言いたげだったが、無言で机の側から去った。 それから絵本の山から一番上にあった本を一冊を取ると、ベッドに腰掛けて座った。 錬金術書を汚されたくなくて少し言い過ぎたかもしれないと反省したが、彼女と馴れ合うつもりはないから、一度はあれぐらい言っておいた方が良いのかもしれない。 「……ひつじさんと、おおかみさん」 気を取り直して本を読もうとすると、小さな声がまた邪魔をした。 絵本を音読している。 静かに過ごせと言ったのを完全に忘れている。 本当に人の話を聞かない娘だ。 また怒鳴るとリザのあの顔を見ることになりそうだし、女性にはなるべく優しくしたい主義だし、今はリザの声が耳に届かないほど本に集中して無視するしかない。 「ひつじさんは、うれしそうに、くさを、たべています。ひつじかい……ひつじかい……」 「……羊飼いも嬉しそうです。太陽の光が降り注ぎ、川の水面はきらきらと輝いています」 「わあ!ロイくん、すごい!」 さっきまで泣きそうになっていたくせに、彼女はころりと表情を変えて嬉しそうに笑った。 彼女は、雨を降らせたかと思えば急に晴れにしてしまうような、落ち着かない天気模様のようだ。 静かにしろという約束、「ロイ君」と呼ぶなという約束をすぐに破ったことを問い質したくなるが、ぐっと抑える。 「僕はその絵本達を読んで育ちました。いま思えば子供に相応しい幼稚な内容ですが、もちろん現在も一字一句覚えています。なんせ、僕は天才ですから」 「ロイくん、『うさぎさんとにんじん』の絵本読んで!リザの読めない文字がたくさんあるの!」 「断ります。さっきも言いましたが、僕は君と違って忙しいんです」 「じゃあリザ、公園に行きたいな。あのねー、お花がいっぱい咲いてるんだよ」 「あなたは本当に人の話を聞きませんね。まず、公園には行きません。子供二人きりで外に出掛けては絶対に駄目だと義母に言われています。もちろん僕は年齢は十歳ですが精神はすでに大人なので、子供という枠に入れないでほしいですが」 「ブランコとシーソーがあってねー」 「ですから、公園には行きません!それから絵本も読みません!静かにしていてくれませんか!?僕は君の相手をするほど暇ではないんです!」 話を聞かないリザに腹が立ち、つい怒鳴ってしまうと、彼女は再びきゅっと唇を噛んで下を向いた。 泣いてはいないようだが、追い撃ちを掛ければ彼女は絶対に泣くだろう。 僕は間違ったことを言っていないはずなのに、また罪悪感のようなものが胸に広がる。 「…静かにしていてください。いいですね」 彼女は無言のまま首を縦に振った。 「……ついに、おおかみが、やってきました」 静かにしていろと言ったのに例の如く彼女は約束を破る。 彼女の声が邪魔というより、彼女の性格に問題があり、本にまったく集中できず、僕は顔を引き攣らせた。 苛立たしい。 こんな子供とあと数時間二人きりで過ごさなければいけないだなんて最悪だ。 「ひつじさん、たちは、あわてて、にげます。しかし、おおかみ……えーと…」 「狼『も』、です!先ほど教えたばかりしょう!?あなたは本当にあの高名なホークアイ氏の娘ですか!?一度教えたことを覚えず、何より人の話を聞かないで勝手に話を進める!こんな手間の掛かる子供と一緒にいるのはもう嫌です!」 約束は破られるわ本に集中できないわ、何より彼女のたどたどしい音読が神経を刺激し、机を拳で叩いて怒鳴る。 もう我慢できずに怒鳴り付けると、彼女も我慢の限界なのか、瞳からはついに涙が溢れた。 「やだあーっ!リザ、もうロイくんと一緒にいるのやだあーっ!」 それはこちらの台詞だ。 彼女は絵本を床に放り投げると、顔を真っ赤にしてわんわんと泣き出した。 紅茶色の瞳から、まるで水道の蛇口を捻ったようにどっと涙が溢れ出す。 「もうここにいたくないーっ!おうちに帰りたいーっ!」 「ちょっと待ってください!勝手に帰られると困ります!僕は義母から君のお守りを頼まれているんですし、何よりあなた一人きりでは帰れません!」 ワンピースの裾をぎゅっと握り、上を向いて叫ぶように泣く彼女がベッドから下りて部屋の扉を開けようとしたため、慌てて腕を掴む。 僕に腕を掴まれたことが気に食わないのか、彼女の泣き声が一層大きくなった。 「ロイくんはリザのこと嫌いだし、ロイくん怖いからもうやだよーっ!お父さんのとこに行くーっ!」 「いい加減にしてください!僕は子供の泣き声が大嫌いなんです!泣きわめかないでください!それに、別に僕はあなたのことが嫌いでは…」 「おうち帰るーっ!」 「あのですね、少しは話を…」 「おやおや、どうしたんだい」 急に扉が開いたかと思えば、そこには驚いた顔をした義母が立っていた。 「上から泣き声が聞こえると思ったら…レディーを泣かせるなんて最低だよ、ロイ坊」 義母は泣きつかれて眠ってしまったリザを抱いてベッドに腰掛け、僕はその隣に座り、義母の小言を聞き居心地の悪い思いをしていた。 「あんたは子供扱いをすると怒るくせに、やっぱり子供だねえ。子供が子供の面倒を見るのは無理かい?いい遊び相手になると思ったんだけどね。…女性を満足させられないんじゃロクな男にならないよ」 「僕は子供じゃありません!見た目と戸籍上の年齢は十歳ですが、僕は大人です!ただ子供の面倒を見るのは苦手なんです…向いてないんです。僕がいくつになっても子供の面倒を見るのが苦手なのは変わらないと思います。第一、遊び相手にされては困ります。リザと僕では話が釣り合わないですし…」 「ガキが何を言っているんだか。リザちゃん、かわいそうにねえ。家じゃ料理も洗濯も文句を言わずこなす偉い子が、ここに来るとアタシもロイ坊もいるから、普通の五歳の女の子に戻れるっていうのに」 「…そ、それは…」 研究熱心なホークアイ氏は妻に家の事を任せきりだったため、妻が亡くなった今もほんの少ししか家事ができないらしい。 朝も夜も書斎に引きこもっているホークアイ氏の代わりに食事を作り掃除をするのはまだ五歳のリザだ。 たまにホークアイ氏もリザと一緒に料理を作り、それから洗濯や掃除もすることがあるらしいが、それは本当に稀なことらしい。 彼女は簡単なものしか作れないようだが、しかし台所に台を置いてその上に登り、小さな手で毎日包丁を握り、火を扱う。 それだけではなく洗濯や掃除までするのだ。 勉強はできても家事はさっぱりできない僕には目を見開く驚愕の事実である。 僕の家に来ると、わがままを言ううるさい彼女だが、家では遊びたいのを我慢して、親に甘えるのもきっと我慢して、主婦と同じように家事をしているのだ。 「リザちゃんはね、近くに同じ年頃の友達がいないし、何より友達がいたってなかなか遊ぶ時間がないだろうし、ロイ坊が唯一の友達で、お兄ちゃんなんだよ。子供が苦手でも、リザちゃんが甘えたい気持ちだけは分かってやってくれないかねえ」 「…はい…。僕はリザを友達だなんて思ったことはないですし、こんな妹は御免ですが…撤回します…」 両親に甘えられない辛さは、分かる。 僕は早くに両親を亡くし、すぐに義母が引き取ってくれたが、守ってくれる大人がいない時間はとても心細かった。 義母は世界で一番の母親だと誇れるほど素晴らしい人で、なに不自由なく僕をここまで育ててくれた。 それから、義母の経営する飲み屋で働く若い女性達も僕のことを構ってくれて、可愛がってくれた。 たまに女装をさせられたり、いらない知識まで教えてくれたりするが、悪戯っぽい姉のような存在で、義母と彼女達がいたから今の僕がある。 もし義母と彼女達と出会うことがなかったらと考えるととても怖く、逆さまで底無しの暗闇に落ちていく気分だ。 以前、リザはホークアイ氏が作ってくれたという木彫りのちょっとおぞましい人形を見せてくれたことがあるし、たまに夜も一緒に寝てくれるようだし、彼も一応父親らしい一面も見せるが、やはり彼は研究者で、錬金術のことになると周りが見えなくなるのが普通のようだ。 僕には甘えられる人がいるけれど、僕より幼いリザには、そんな大人がすぐ側にはいない。 「もちろんロイ坊が悪いわけじゃないよ。大人でさえ子供の面倒を見るのにトラブルは付き物だし、アタシがリザちゃんを連れて来たのにロイ坊に任せきりにしているのは本当にすまないと思っているよ。ロイ坊はロイ坊でやりたいことがあるもんねえ。ごめんよ。…他にリザちゃんのことを面倒見てくれるところを探して…」 「待ってください」 「え?」 「これは僕と彼女の問題です。一度彼女と二人きりで話をしてみます。彼女をほかに預けるという話は、そのあとで」 「……分かったよ」 義母は優しく微笑みながら、僕の頭を撫でた。 「起きましたか」 まだ眠そうな顔でベッドから起き上がったリザは、目を擦りながらきょろきょろと周りを見渡した。 「まだむ…?」 「義母ならもう店に戻りました。残念ながら、この部屋にはあなたと僕しかいません」 錬金術書を読みながらベッドの端に腰掛ける僕を見て、彼女はびくりと肩を揺らし、体に掛けてあったタオルケットを両手で掴んだ。 「そう怯えないでください。僕はあなたが失態を犯さない限り怒鳴りません。第一、好きで怒っているわけではありません」 僕の言葉は彼女には届かないのか、彼女は俯いて不安そうにタオルケットを指でいじっている。 「…先程は言い過ぎました。念願の本を読むことを優先するあまり気が立っていました。レディーに対する態度ではなかったです。…ごめんなさい」 せっかく人が頭を下げて謝っているというのに、それを見ようともせず俯き、義母がいないことを不満に思っている彼女を見て、また何か言いそうになるが我慢する。 「僕は子供が苦手ですし、人の話を聞かないし、すぐに泣くあなたにはほとほと呆れますが、でも、だからといってあなたのことが嫌いというわけではないんです。…聞いてますか?」 「…うん…」 居心地悪そうにタオルケットを掴んでもじもじとしているリザは相変わらず話を聞いていないようだが、返事を促す。 「僕のことを『ロイ君』と呼んで構いません。僕もまたあなたのことを『リザ』と呼ばせてもらいます」 遠回しに、リザは僕の友達だということを伝えたのだが、ガキのリザには分からないだろう。 「実は、あなたをここではなく、他の家で面倒を見る話があるようですが…」 「…ほかの家?」 「話は最後まで聞いてください。あなたさえよければ、別の家ではなく、これからもこの家に来てくれませんか。僕は気持ちを入れ替えてできる限りのことはします。あなたの意見を聞きたいのですが…どうですか?」 「リザは…」 「はい」 「リザ、マダムの家じゃないとやだ」 「そうですか。では、これからもこのままで」 リザは、僕を選んだというよりは、リザがとても懐いている義母に会えなくなるのが嫌だからまたこの家に来ることを選んだようだが、それでいい。 「このことは僕から義母に話しておきます。さて」 錬金術書を机に置いて、変わりに違う本を手にしてベッドに戻る。 「『うさぎさんとにんじん』を読んであげましょう。文字をいくつか覚えられるといいのですが」 「ほんとー!?」 リザは先程までびくびくと怯えていたくせに、絵本の表紙を見せると、指でいじっていたタオルケットを放り投げて僕の隣に急いで座った。 「ちょっと近いです…それから、足をぶらぶらさせるのはレディーとしてはしたないですよ」 「ロイくん、はやくはやく!」 相変わらず人の話を聞かず、リザは嬉しそうに笑って僕のシャツの裾を引っ張る。 絵本を読んでもらえるのがそんなに嬉しいのか、彼女の笑顔が眩しい。 「やはり女性は笑顔が一番です」 子供は子供らしく、人の顔色を伺って不安になるより、何も考えずに笑っていた方がいい。 「…えーと、それから、出来は悪いですが…」 リザには見えぬようにベッドの上に置いていたものを、ぶっきらぼうにリザに渡した。 手渡したものは、シロツメクサで作った花の冠だ。 何故か気恥ずかしくて、いつ渡せばいいのかタイミングをずっと伺っていたのだ。 「わあ!きれい!」 リザは僕から突然差し出された冠を受け取ると、興奮しているのか頬を紅潮させて喜んだ。 可愛い、などひとしきり感想を言ったあとは黙ってしまって、目をきらきらと輝かせて冠にすっかり魅入っている。 どうやらかなり気に入ってもらえたようだ。 「公園ではなく店の周りから花を摘んだので、小さいものになってしまいました。今度公園に行けば冠だけではなく首飾りも作れるはずです」 「すごいすごい!ロイくん、器用!」 「あなたにしては難しい言葉を知っているんですね」 花を編むのは初めてだったけれど、確かに我ながら上手にできたと思う。 大事そうに冠を持つリザから冠を借りて、リザの頭の上に乗せる。 「似合ってますよ」 「えへへー。ロイくん、やさしー」 「レディーを泣かせてしまったのですから当然の対応です」 僕が優しいはずがなく、リザが公園で花を見たがっていたというより、泣かせてしまった罪悪感から花の冠を作ったという理由が大きい。 しかし、純粋な優しさとは言えないけれど、リザが笑顔で喜んでくれて一件落着、リザを泣かせてしまったという胸のつかえが取れた。 女性は笑顔が一番なのだから、それから面倒はもう嫌だし、これからは怒鳴る前になるべく優しくしようと心に決めた。 リザが義母の連れて来た子だからとか、ホークアイ氏の娘だからとか、かわいそうな境遇にあるとか、そんな理由を抜きにしてリザ・ホークアイという存在に優しくしたいと思うようになるのは、途方もなく先の話だ。 眠りから覚めると同時にひどく甘い匂いが香ってきた。 この匂いに包まれて眠るのならば、このままずっと眠っていたいほどの心地好い匂いだ。 目を閉じたまま、昨晩は自宅ではなく複数いる恋人のうちの誰かの家に泊まったらしいと確信する。 自宅では有り得ないこのベッドの固さからすると、メアリーかルーシー辺りか。 昨日は酒を浴びるように飲んだせいか、実は、誰と行為に及んだかも、行為自体も、あまり覚えていない。 ああ、ホークアイ少尉か。 どうりでこんな男をたぶらかすようなとんでもない香りを放つわけだ。 目を開け、金髪の女の子がすやすやと眠っているのを見て少尉だと確認し、一人で納得する。 そうかそうか、少尉か。 うん、少尉だ。 ……少尉? 「しょ…っ!?しょしょ少尉ーーっ!!?」 ベッドから勢いよく起き上がって叫んでしまった。 しかし次の瞬間には慌てて片手で口を押さえる。 大きな声を出すと私に背を向けて眠る少尉が起きてしまう。 心臓がばくんばくんと有り得ない音を立てて鼓動をしている。 隣で眠る色白の娘は少尉ではないと思いたかったが、背中に刻まれた陣は間違いなく少尉のものだ。 なぜ朝起きたら裸の少尉が隣で眠っているなんていう夢みたいな出来事が起きているんだ。 いや、夢なのか? そうだ、夢だよな。 頬を思いきりつねると涙が出るほど痛くて、夢ではないと教えてくれた。 どうしてだ、どうしてだ、どうしてだ。 ただそればかりを考え、顔を真っ青にして頭を抱えた。 シーツの一点をじっと見つめながら、まず落ち着くように自分に言い聞かせるが落ち着けるはずがない。 私は何故か服を着ておらず、パンツ一丁だった。 そして、慎重にゆっくりとブランケットを持ち上げて中を覗いてみると、少尉も私と同じ姿だった。 目をぎょろぎょろと動かしてベッドの周りを見渡すと、くしゃくしゃになったスーツ、そして少尉のものらしいブラウスとスカートが落ちていた。 私は少尉の家に泊まったらしく、そして今、私も彼女も裸同然なのは分かった。 しかし、どうしてだ? 再び自分に問い掛ける。 この状況で導き出される答えはひとつだが、問題なのは私が何一つ覚えていないということだ。 脱ぎ散らかした服の向こうに見えるリビングには、ビールやワインのボトルが転がっていて、薄々と原因に気が付き掛けていた。 昨日はヒューズが東方に来るはずだったのだが、セントラルで事件が起こり来れなくなってしまって、代わりに少尉の家で、親友のために用意した酒を一人でがばがばと飲んだのだ。 そして、少尉の前では紳士でいようと心に決めていたはずが、酔ったはずみで鉄壁の理性は崩れ去り、少尉の女の部分を暴きたいという欲望のままに動いてしまった。 その上、泥酔してしまって、私は少尉の前で酒を飲んだこと以外は何も覚えていない。 「…嘘だろ…」 額を両手で押さえて思わず呟いていた。 少尉はまだ十九歳だ。 少尉が二十歳になるまで、性的なことをするのはずっと我慢をしていたのだ。 というか私と少尉は恋人同士ではない。 もっと言えば、少尉は恋愛自体に興味がなく、それから男という生き物を特別に意識して生きているわけでもなく、職場での私の愛の告白やセクハラはあっさりと流される。 少尉と初めて出会って、一緒に過ごすうちにいつも寂しそうな彼女の笑った顔が見たいと特別な思いを抱くようになったが、彼女が部下になり背中を預けて過ごすうちに、その特別な思いは一人の女性を愛する気持ちに変わった。 しかし、少尉は私のことを仕事をサボる手の掛かる上官くらいにしか思っていないだろうし、むしろ求愛を鬱陶しくあしらう様子から、好意の矢印は私を指していないと、残念だが自分で断言できる。 少尉が二十歳という大人と呼べる歳までには、恋や愛とは何か、そして私がいかに少尉を愛しているのかを心身共にじっくり教え込み、その後でおいしく頂くつもりだったのだ。 もちろん行為に及ぶのは合意の上で、無理矢理だなんて考えてない。 刺すように胸が痛んで、呼吸をするのすら辛い。 少尉は処女だ。 私が少尉に群がる悪い虫を潰してきたから絶対に処女なのだ。 初めての相手が好きでもない酔っ払った男で、しかも無理矢理だなんて、私はひどく少尉を傷付けてしまった。 彼女は思いきり抵抗しただろうか。 目を真っ赤にして泣いただろうか。 それすら覚えていない。 熱で赤くなった顔も、唇からもれる苦しげな声も、悩ましげな太ももが私の腰を挟む感触も、情けないことに何一つ覚えていない。 「…最低じゃないか…」 泣きたいのは少尉のはずなのに、私も泣きたい。 最愛の人を、酒の勢いという簡単なもので深く傷付けてしまった。 私はもうきっと誰ともセックスはできないだろうなとぼんやりと考えた。 だってもうコレは勃つ気がしない。 「…あー…ごめんなさい…リザ…師匠……」 一人でぶつぶつと謝罪の言葉を呟いていると、うるさかったのか、静かに眠っていた少尉が小さく唸って、ブランケットの中でもぞもぞと体を動かした。 いけない。 少尉が起きる。 思わずシーツの上で顔を引き攣らせながら正座をした。 私はどう謝れば良いのだろう。 許してもらえるとは思っていないけれど、酒の勢いで好きでもない女を抱いたわけではないことは伝えなければいけない。 いや、その前に殴られるか? 「…んー…」 私が冷や汗をだらだらとたらして悩んでいる間に、少尉はぱちりと目を覚まし、頭を起こすとベッドヘッドに置いてある時計を見て、まだ出勤まで時間に余裕があることを確認し、安心したのかまたシーツに顔を埋めた。 そして、ようやく背後にいる私の存在に気が付いたのか、少尉は首だけを動かして振り向いた。 「…おっ、はよう…ございます…」 何から話せばいいのかさっぱり分からず、とりあえず敬語で朝の挨拶をしてみたが、声が裏返ってしまった。 少尉はしばしの間じっと私を見つめたあと、無言でごろりとこちらへ寝返りを打った。 ブランケットがはだけて肩や胸が丸見えになり、目のやり場に困る。 「…中佐…いえ、ロイさん」 「はっ、はいっ」 「昨日は…あの…ロイさんがあんなに激しくて…私…」 この期に及んでも、これは悪い夢であって、少尉はいつも通り素っ気なく「おはようございます」と返すのを期待していたのだが、やはり最悪の出来事は本当に起きてしまったのだと思い知る。 「……なーんて言ったら、びっくり……」 「本当に申し訳ありませんでした俺は最低の男です実は昨日自分が犯した過ちは酒のせいでまったく覚えていないんですでも一夜の過ちではなくずっと前からリザのことが好きだったから起きたことであってつまり結婚を前提にお付き合いしてくださいっ!!!いや、まどろっこしいからもう結婚しよう!!」 予想ではなく現実だったのだと被害者である少尉に突き付けられ、私は土下座をして、息継ぎをせずに一気に謝った。 というか今の心境をただ叫んだ。 「……はあ?」 私にとっては永遠に感じられた少しの間のあと、少尉が素っ頓狂な声を出した。 私の謝罪など聞きたくないほどに怒っているのだろう。 「ゆ、許してくれとは言わないが、出来心ではないことは分かってくれ…っ!」 「…あのう…」 少尉がゆっくりと上半身をベッドから起こし、シーツの上で脚を崩す気配がした。 そして、シーツに額をべったりと押し付けて土下座をしている私の肩を少尉がとんとんと叩いた。 てっきり体が吹き飛ぶほど蹴り飛ばされると思っていた私は、予想外に優しく触られて、情けなくもびくりと肩を揺らしてしまった。 「…さっきの、冗談なんですけど…」 「…本当にごめんなさ………え?」 先程よりは少し冷静になった頭で少尉の言葉を聞いて、光の速さで顔を上げた。 「…え?中佐って私に何かしたんですか?」 「い、いいや!してない!してないっ!」 不審げに首を傾げる少尉に対し、手を横にぶんぶんと振って思いきり否定をする。 「じゃあ…君はまだ処女…!?」 「……処女で悪いですか」 少尉は頬を膨らませながら答えた。 「悪くない…むしろいい…」 「あのですね、私も何もされてませんよ。部屋はボトルで汚されましたけど。昨日、部屋に押し掛けた中佐は一人で楽しそうにお酒を飲んで、私にもちょっと分けてくださって、それから酔っ払ってパンツ一丁になって、ベッドを占領しただけです」 「……ええっ!!?」 「中佐、近所迷惑ですよ」 「つまり、私は君に何もしていないんだな?」 「もうー…、何回確認すれば気が済むんですか?何もしてませんし、されてません」 ベッドで向かい合って、尋問のように少尉に昨日の出来事を事細かく聞き、それから私は性的なことは一切していないと何度も確かめると、少尉は飽きてきたのかむくれた。 少尉の話によれば、私は少尉に指一本触れていないらしい。 安堵のあまりその場に崩れ落ちそうになる。 そのまま寝てしまって今日は仕事を休みたい。 そういえば、シーツがまったく汚れていないし、髪も乱れていないし、汗をかいた様子もない。 落ち着いてよくよく少尉の姿も眺めると、少尉の目元は泣いたあとには見えないし、だるそうでもないし、胸元に赤い痕もない。 ん? 胸元? 「む、むむ胸を隠しなさい!はしたない!」 「あら」 少尉は上に下着を身につけていないことに今さら気が付いたのか、腹が立つほどのんびりとした声を出した。 胸を無防備に晒している少尉に慌ててブランケットを押し付けると、少尉はそれを受け取って背中に羽織ると、ブランケットに包まった。 「ん?私が何もしていないのに、どうして君は下着を着ていないんだ?いつも裸で眠るのか?」 「ああ、それは…昨日、中佐から少しお酒を頂いて、私も酔っ払ってしまったようです。お酒のせいでほてっているのに、中佐と一緒にベッドに入るとさらに暑くて、寝ぼけながら勢いで脱いでしまったんじゃないでしょうか」 「『脱いでしまったんじゃないでしょうか』じゃない!馬鹿!襲われたらどうするんだ!」 「襲われなかったですよ」 「というか何故一緒に寝る!?」 「これは私のベッドですー」 少尉は私とのやり取りに疲れたのか、ため息をつきながら投げやりに答えた。 「最後にひとつ。…どうして悪趣味な嘘をついた」 「中佐が青ざめた顔で勝手に勘違いをしているみたいだから、からかってみたんですよ。そしたらもう中佐がペラペラと喋り出すから面白かったです。いつも女性に対してあんな風に言うんですね?なんだか新鮮です」 今までつまらなさそうに話を聞いていた少尉は、急にぱっと表情を輝かせて、興味津々に私に問い掛けた。 私は少尉のことが好きだが、少尉が楽しいと感じる場面が理解不能で、今だって何が面白いんだかさっぱり分からない。 「…私は一夜の過ちを犯したことはないから、あんなことを言ったことはない。というか、私は怒った女性を宥めるのが面倒だから、女性に泣かれようが嫌われようが殴られようがまったく気にしない。でも君だと困るんだ。君は特別なの。…だから、リザにしかああいうことは言わない」 「……へえー…」 私が話を続けるうちに、少尉の楽しげな表情はだんだんと強張り、最後は相槌を打ちながら目を泳がせた。 「…中佐ってば、聞けば聞くほどサイテーな人ですねー」 「棒読みだぞ、少尉」 「……だって…例えその場しのぎの嘘も…い、いきなり言われたら…」 少尉は私から顔を逸らし、居心地悪そうにブランケットの中でもぞもぞと体を動かしている。 「嘘じゃなく、本音だ」 少尉の横顔がみるみるうちに赤くなる。 恋愛や私に興味はないものの、さすがに「結婚しよう」と言われると、あの少尉も戸惑うらしい。 「……まったく、処女のくせに生意気な嘘をついて。小娘が付け上がるんじゃありません」 「…処女に対する差別ですか」 「世の中の処女をどうこう思うわけじゃないよ。でも、何度も言うが君は特別なんだ。…あーあ、朝から疲れた…。謝罪は言葉じゃなくて、太ももを五分間触り放題でいいよ」 「どうして中佐が上から物を言えるのか意味が分からないんですけど。それに酔っ払った中佐が悪いのに、私が謝罪なんておかしいです。嫌ですからね」 「じゃあ胸」 「いーやーでーすー!」 「このロイ・マスタングが好きな女性と一緒のベッドで一晩寝てどこも触らなかったなんて、誰かに聞かれたら恥ずかしいじゃないか!それから全裸に近い君がすぐ近くにいるのに何もしないなんて我慢できそうにない!いいだろう!?」 「『このロイ・マスタング』!?それから、誰かって誰ですか!?ちょ…っ、嫌ですってば!やだー!」 ブランケットごと少尉を抱き締めて、布の上から先程見た絹のようになめらかな肌を触ろうとすると、素早く腹に蹴りが飛んできたが、負けじと足首を掴んでブランケットの中から引きずり出す。 ぎゃあぎゃあと叫んでいただけのこの色気のない一件が、好意の矢印が動くきっかけになったと知るのは、ずっと後の話だ。 ベッドの端に腰掛けて事後の処理を終え、リザの方へ振り向こうとすると、その前に背後にいたリザの腕が腰に絡み付いた。 暗闇に浮かぶ白い腕が肌の上を這うだけでひどく艶めかしいと思うのは、好きな女の腕だからだろうか。 「何?どうしたの?」 「…満足でしたか」 「少尉…それは私の台詞じゃないか?」 リザの声があからさまに不機嫌で首を傾げた。 今夜は思いきりリザを満足させたはずで、実際に行為中のリザは終始甘い声でうっとりと喘いでいて、「もっと」とおねだりまでしてきたし、ご機嫌斜めになる理由が見つからない。 今晩はリザの要望通り、優しく穏やかな性行為を行った。 リザの要望の内容は「言葉責めをしない、いじめない、泣かせない、乱暴にしない、露出する場所に噛み付かない」などというもので、これらの約束をすべて守った行為は、ゆったりと落ち着いたものだった。 いつもの性行為は、リザを組み敷いていると私の理性が吹っ飛んでただのケダモノになってしまうために、つい荒々しいものになってしまう。 リザが声を出せばもっと喘がせたいと思ってしまうし、男特有の独占欲で見える部分だけではなく内側にも自分を刻もうと激しく貫いてしまうし、それから言葉にできないほどの熱情を体で伝えようと欲を放っては何度もリザの中に入り込む。 つまり、リザにとっては、つい最近までは処女だった体をねちねちと隅から隅まで長時間愛撫されて、そしてプライドを踏みにじりられ、おまけに事後はだるくて体の節々が痛むというそんな行為なのだ。 この前リザが涙で濡れた目を両手で押さえながら「もう中佐としません」と怒ったために、さすがに反省して、今晩はリザが好む優しいものになった。 燃え上がるような行為ではないが、互いの体温や体の形を確認しながら、ゆっくりと時間を掛けて溶けるように交わるのもまた良いものだと気付くことができた。 しかし、終わってみると肝心のリザの機嫌が悪い。 「まさか……気付かないうちに乱暴にしてた…?」 「いーえ。ただ、中佐は満足できたのか気になって」 「満足したよ。顔を真っ赤にして『気持ちいい』って何度も教えてくれて可愛かった」 「…嘘つき」 「ぐおっ!?」 腹の前で組まれていたリザの手が、いきなり胡座をかいていた私の足の中心に潜り込み、もぞもぞと何かを探るように動き出した。 そして、リザの手が雄の象徴を見つけると素早く指を絡み付かせ、躊躇なく上下に動かし始めた。 リザにこういうことをしてもらったことなど滅多にないし、第一、リザから積極的に触られたことなど初めてで思わず変な声が出てしまった。 「しょ、少尉!?」 「満足してないくせに」 「待て!こら、待つんだ!心の準備が…いや、準備ができればいいという問題じゃなく汚れのない君が流れでこういうことをするものじゃないぞ!してもらえるのは飛び跳ねたいほど嬉しいけど駄目だ!リザ、とにかく指を離せ」 「離していいんですか?…ほら、まだできそうですよ」 リザの指の中でだんだんと熱を持ち固くなって雄の様子を見て、リザは軽蔑するような口調で告げた。 「そりゃあ…可愛い恋人に触られたら反応するだろ。満足してないからじゃない。また君が刺激するからだ」 「そんなの信じられないです」 「いいから、まず手を離してくれ…。あのな…本当にやばいから…」 リザの手の動きはお世辞にも上手とは言えず、後ろから愛撫しているためになおさら拙いのだが、惚れた弱みなのかかなり気持ちがいい。 リザの指の中で欲を放ったばかりの雄が再び張り詰めていく。 「…あれ…べたべたする…?」 リザは指を雄から離すと濡れた手の平の匂いをくんくんと嗅いで、「なんだか汚い」と呟いてから手を私の背中になすりつけた。 しかし、汚いと罵ったくせに、再び腕は腹に回され、今度は指先で雄を突かれる。 「ひどいことを言うんじゃない!それから私ので遊ぶなっ!」 「え…っ、あの…さっきより…大きくなってますよ…」 戸惑いなくべたべたと触るわりには発言がかなり初々しく動揺している。 「だから君が触るからだよ。…もう…どうするんだ、これ…」 「私が触ったからじゃなくて…絶対に満足できてないんですよ。大体、いつも体が壊れそうなほどがっついてくる人がさっきので足りたとは思えません」 「だーかーらー、満足したって言っているだろう。さっきは天使を組み敷いているのかと錯覚したぞ。本当に良かったの!分かった?」 「…嘘」 「あのねえ…。もしかして満足してないのは君なんじゃないか?」 「……そうなんでしょうか」 「え?」 リザの一方的な考えによる問答に疲れて、特に考えないで発した言葉にリザが反応して驚く。 「気持ち良くて…ふわふわしてすごく幸せだったんですけど…終わったあとに、手抜きされているみたいで嫌だなって思って…」 「失礼だな。手抜きなんてしてない!私はあのロイ・マスタングだぞ!」 女性が大好きなフェミニストの私がベッドの上での男の勤めを怠るはずがないとリザの頭を小突く。 「…終わったあとに体が痛くないのが、なんだか変な感じがして…」 「…まさか…!…君、素質はあると思っていたが…マゾヒストなのか…!?」 「今、何て?」 「いだだだ!冗談!冗談だ!やめて!」 手加減というものを知らないリザの手がぎゅっと強く雄を握って、冷や汗を垂らしながら慌てて謝る。 「…そもそも…苦しくないと落ち着かなくさせたのは中佐じゃないですか…」 ぼそりと呟いて、リザは私の背中に額を押し当てた。 今、さらっと、控え目だがとんでもなく情熱的な告白をされた気がする。 「それはつまり私なしではもう生きてはいけない体になったってことか…!」 「違います!」 「しかし今の発言は誤解を生むぞ!」 「そ、そうじゃなくて!あの、さっきみたいに優しくされるのは…だ、大事にされてるなって分かって嬉しくて…」 背中に押し当てられたリザの顔は熱く、さりげなく顔を覗くと、らしくないことを言うリザは頬が真っ赤だ。 「でも、いつもみたいに乱暴なのも…えーと、そのくらい…その……」 「愛されてるって分かって嬉しい?」 「…そういうことです…」 リザの声は蚊が鳴くようにとても小さい。 「…じゃあ…もう一回する?」 珍しく素直になるものだから、リザのせいでこちらまで気恥ずかしくなり、リザの髪を撫でなることで気を紛らわせながら尋ねると、リザが小さく頷く。 「いつもと同じでいいの?」 リザが顔を伏せたまま、また頷く。 背中を撫でる髪がくすぐったい。 「優しくしてって言ったり、痛くしてって言ったり…どっちなんだ君は。意外と我が儘だね」 「中佐に言われたくないですし、別に痛くしてほしいとは言ってません。…あの…こういうのは面倒ですか?」 「いいや、最高に可愛い。気にすることはないよ。君がセックスについてここまで考えているとは思わなかったし…。とりあえず、今はいつも通りのをしようか」 にやけるのを抑えきれずにだらしなく顔を緩めたままリザの肩を掴む。 リザは私の笑みを見て顔を引き攣らせたがもう遅い。 意地っ張りなリザから可愛い告白を聞いたからにはお返しをしないと気が済まない。 今日からは「君はマゾヒストだ」と意地悪を言ってやろうと決めながらリザを押し倒した。 |