「君はね、もう少しここに残るといい。人生は一度きりなんだ。年頃なんだから、仕事ばかりではなく遊ぶことも少しは覚えなさい」 パーティーをおおいに楽しんで満喫したあと、「年が年だから遅くまでいられない」と名残惜しそうに会場の出口へ向かう少将のあとについて行くと、少将はくるりと振り向いて私の肩に手を乗せた。 何を言われたのか理解するまでに多少の時間がかかり、言葉に詰まると、少将は「相変わらず君は真面目だ」と言いながら固まってしまった私の様子を楽しそうに眺める。 「いいえ、私は…」 今回のパーティーのみ、少将自ら直々に私に護衛を頼んだのだから、自宅までしっかり守って送り届けるのが私の仕事のはずだ。 そう説明するより先に少将が口を開いた。 「今日、君に護衛を頼んだのは美人な女の子を連れて歩くのはとても気分がいいからだ。君のおかげで鼻が高かったよ。それからね、これをきっかけに君に少し羽目を外すことも教えたかった」 会場の出口から少将の本来の護衛官がやって来て、少将と私が会話を終えるのを、彼は姿勢は正しいが相変わらずの無愛想な顔で待っている。 彼が少将を自宅まで送るのだろうか。 しかし一度引き受けた仕事は最後まで全うしたい。 そうあるべきだ。 お願いだから私に自宅まで送らせてほしい。 豪華さを競うようなこんな華やかな場所に小娘一人を残さないでほしい。 「…しかし…」 「君に相応しい男はなかなかいないだろうが、若いんだから味見程度に親しくするのもいいだろう。いいかね、まずは君の家の近くまで送ってくれる紳士を選ぶんだよ。自分の家に連れ込むような野郎はぶん殴れ」 「味見」とは、どういう意味を指すのだろう。 そう忠告すると少将は本来の副官を労いながら会場の外へ出て行った。 慌てて後を追う。 少将はとても気さくな方で、「君は私の娘にそっくりだ」と言って実の娘に年齢が近い私を可愛がってくれて、それから私も図々しくも少将の父性に甘えてしまっている面があり、親しくさせてもらっているが、ただ少し問題があるとすれば、少将はややお節介なところがある。 「今日は楽しかったよ」と満足げに笑いながら手を振る少将を乗せた車を見送ったあと、途方に暮れた。 今回のパーティーは人脈の広い少将が招かれたものだから、もちろん司令部に入ったばかりの田舎娘の私に知り合いなど一人もいないし、男性に声を掛ける気もさらさらない。 肌寒いためにとりあえず外から会場に戻ったが、申し訳ないが少将の小粋な計らいは辞退して、早く帰宅しよう。 しかし、少将の目から見ても、私はよほど男性とは縁のない女らしさに欠けた人間に見えるのだろうかと、少し落ち込む。 一応、まったく私に興味を持たない男性に恋をしてしまった苦さは知っているつもりなのだが。 「おっと、危ない!」 額に手の平を当てて深いため息をついていると、後ろから突然声が聞こえて振り向いた。 それは聞き間違えるわけがない声で、まさかと思いながら振り返ると、案の定予想は当たっていた。 「いや〜、実に申し訳ない」 なんですか、中佐。 そう口にする前に、急に胸元辺りが冷たくなり、突拍子もない出来事に目を見開いた。 「急に君が飛び出すから、手が滑ってしまったよ」 あまりに馬鹿げた芝居を見ると、罵倒の言葉すら浮かばず、呆れて言葉を失うことが分かった。 私が振り向くとそこにはスーツ姿のマスタング中佐が立っていて、中佐は無垢な笑顔のまま右手に持っていたワイングラスを勢いよく傾けた。 「これは酒ではなくてただの水にしてあげたから安心しなさい。おまけに生温くしておいた。ほら、あまり冷たくないだろう?」 感謝しろと言わんばかりの口調にますます腹が立つ。 「……『危ない』?ここは混んでいない会場の入口近く、私と中佐しかいない上に私は突っ立たまま考え事をしていて、あなたは気配を消して背後から私にそっと近付いたくせに、何が危ないんです?『申し訳ない』とニヤニヤと笑いながら狙いを定めて水をぶっかける人がいます?それに飛び出すって何ですか?私は何もしていませんっ!」 ショートヘアの髪の毛が逆立つ思いがするほどふざけた茶番に対して怒鳴ると、中佐は近くのテーブルに空のグラスを置いた。 「私としたことが、レディに大変失礼なことをした。ああ!そういえば偶然にも上に部屋をとってあるんだ!そこならばシャワーを浴びるなり私を罵るなり好きにできるぞ。というわけで、さあ、行こう」 憎たらしいと思わずにはいられないほどの、わざとらしい身振り手振りの芝居を見せられた。 嫌だと拒否する前に、中佐に力付くで、本当に痛いほどの力でエレベーターの元まで強引に引っ張られた。 少将と共に会場に入った時から、どんな手を使ったのかは知らないがパーティー客に何食わぬ顔で紛れている中佐の存在に気付いており、それから痛いほどの視線も感じていて、後から多少の嫌味を言われる覚悟はあったが、まさかこんな展開になるとは思わなかった。 中佐は怒っている。 多分、あと数週間は機嫌を損ねたままでいるほど、怒っている。 理由はごくごく簡単で、私が少将の護衛を引き受けたからだ。 私が少将の自宅で奥方のクローゼットの中からドレスを選んで着たことも、背中の代わりに胸元が大きく開いているドレスを着ていることも、中佐以外の人間を守るためにハンドバッグの中に銃を忍ばせていることも、今の中佐には何もかもが腹立たしいのだろう。 私からすれば少将の護衛をしつつ、中佐の身に何か起きないかと常に見張っていたため、大変疲れた。 中佐は、自分のものであれば人間でも情報でも言葉でも空間でも何でも、とにかく他人が使うのを嫌う。 私は中佐の副官で、中佐の所有物だから、私が他人のあとをついて回ることが面白くないのだろう。 今回はよほど苛立ったらしく、一応女性である私に水を浴びせるという非道を働いた。 話は大きく変わるが、中佐は女性関係のこととなると人間性を疑ってしまうようなひどい人だ。 潔癖な私に言わせると鬼のような人である。 欲しいものに対して手段を選ばず、冷酷にも誰かを傷付けてまで目的のものを手に入れようとするのが中佐だ。 しかし、私に関しては、中佐はいつも私の顔色を伺いながら物事を進める。 中佐をひどい人だと思ったことは数え切れないが、私自身が犠牲になったことはなく、それから私が本気で嫌がればすぐに中佐は身を引く。 それはきっと、なりふり構わず手に入れたいものの中に、私が入っていないからだ。 中佐が私を女性として見ているかすらも疑問だが、司令部で、しかも副官兼護衛官と気まずくなるのは御免だろう。 だから中佐は私を傷付けることはしない。 ――私が中佐を上官以上の存在だと思っていることに、中佐は気付いているのに、ひどい。 欲しいものがあればこうしてドレスを汚して部屋に連れ込むくらい中佐は朝飯前だろうが、今回はただ自分のものが利用されて拗ねているだけで、そこに色っぽいものは何も含まれない。 これは、小さな子供の兄弟に例えると、兄がとっくに興味をなくした古びた人形で弟が遊んでいると、急に兄が弟から人形を奪って自分のものだと主張を始めるような、そんな幼い我が儘なのだ。 もっとひどいのは、暇つぶしなのか、たまに私の気持ちを確かめるかのように言葉巧みに私を追い詰めることだ。 中佐は表に何の感情を晒さず、私だけが裸でひどい尋問を受けている気分になり、いつもすぐに適当な理由で話題を変える。 「…私をからかって何が面白いんですか…」 濡れたドレスをハンカチで拭きつつ、エレベーターの中で怒りを込めて呟いたが、中佐の耳には届かなかった。 真っ当な理由で怒るのに加えて、中佐に八つ当たりまでしてしまいそうで、心の中に濁った負の感情ばかりが広まっていく。 「これは少将の奥方に頂いたドレスなんですよ!?分かってますか!?」 「頂いたものなら、もう君のものだろう。汚しても叱られない。クリーニングに出してあげるから大丈夫だ」 「そういう問題じゃないんですっ!」 部屋につくなり、少尉はタオルで体を拭かずに、背中のボタンを外していきなりドレスを脱ぎ出した。 当然、ドレスの下からは白い肌があらわになり、おまけに少尉はブラジャーまで戸惑いなく外したために上半身には何も身につけていない姿になった。 「しょ、少尉!?」 「何ですかっ!?」 いかん、少し見えた。 なるべく目を逸らしながら少尉の背後に立ち、自分が羽織っていたコートを少尉の肩に被せる。 「あのなあ…馬鹿か君は。裸になるつもりか?」 「だって濡れているんですよ?どうしろって言うんです?ああ、でもいいです。ドレスが少しきつくて丁度今すぐ脱ぎたかったんです。ハイヒールも痛いし、あんな上品な場所は仕事が恋人の私には似合わないし、疲れたし、ドレスが乾くまで部屋にいさせてもらいます!」 私が水を浴びせたせいだが少尉はかなり苛立っていて、怒りに任せて脱いだドレスを床に叩き付けるのかと思ったが、奥方から頂いたものだからか律儀にドレスをハンガーに掛けて壁に吊した。 しかし、荒々しく脱ぎ捨てたブラジャーとストッキングとハイヒールは床に放り投げたままだ。 少尉はコートを羽織ったまま、一つしかないベッドの上に勢いよく倒れ込んだ。 「コートの中に下着一枚って、君は痴女か」 「じゃあコートを脱ぎますか?」 「…私もあのエロ狸のせいで怒ってるけど…君もかなり怒ってるね」 少尉の足元辺りに腰掛け、殺気だった少尉を見下ろす。 あまりにも少尉が不機嫌で、サイズの合わないぶかぶかのコートに包まる少尉を見て愛でる暇もない。 「エロ狸なんて言わないでください。慣れない場所なので疲れましたが、少将の護衛はとても楽しかったですよ。…怒るのは当たり前です。謝りながら水を命中させる紳士がいるなんて初耳です。紳士は自称ですけど」 少尉はベッドの上で横向きに寝たまま、両膝を胸元に持ってきて抱え込んだ。 こうして両膝を抱える仕草は少尉が拗ねた時にいつもやるものだ。 その仕草は別に良いのだが、コートの裾を綺麗に割って見事に脚が露出している。 黒いコートから普段はなかなかお目に掛かれないしなやかな脚が覗いているのは絶景だが、あまりに無防備すぎる。 「…少尉はいつも隙がないのに、父親っぽい男の前だと急に緩むな。少将とか、私とか」 「勘違いも甚だしいですね。優しい少将の前だと確かにいい意味で気を緩めることができますが、中佐を父親のような存在だと思ったことは一度もありません」 「いや、あるね。なんだか今日はやけに尖っているな。ずいぶんとまあ長い思春期だ」 「うるさいです」 反抗期の少尉は認めないようだが、少尉が私の言動を見て「父みたい」と笑うという出来事はしょっちゅうあるのだ。 それはさておき、お互いに気が置けない仲故にプライベートでも一緒に過ごす時間も多い。 それはもちろん楽しい時間だし、少尉に悪い虫がついていないか確かめるいい機会になるのだが、しかし問題がある。 年頃の女性という自覚に欠け、さらに自分の性に頓着しない少尉のせいで、私の苦労は絶えない。 いつも軍服を乱れなく着こなす少尉が、私と二人きりだと「下着をパジャマにしていて文句あります?」だとか「このスカートの中にガンベルトを巻くのは不自然ではないか確かめて欲しいです」だとか、頭が痛くなるようなことばかり言って平気で肌を晒すから、私は理性との戦いの連続だ。 本人に直接聞いたわけではないから私の勘でしかないが、少尉は私を上官だけではなくそれ以外の何かとして見てる気がするし、私を嫌いではないのも感じるし、特別に甘やかされているのも知っている。 もちろん少尉の側は落ち着くし、少尉も私の隣で心地良さそうにしているように見えるが、少尉がたまに私の理性を試すかのような発言をしてくるので非常に困っているのだ。 好意を持つ相手の前で、恥じらいもなく、襲われても文句を言えない言動をする理由がいまいち分からないが、それでこそとんちんかんな少尉らしいとも言えるが。 「あれ、思っていたより大きい…。…いつもこんな風に女性を誘うんですか?」 少尉がコートに両腕を通しながら尋ねる。 誘うように露出した脚はどうにかして欲しいが、やはり惚れている女性に自分の服を着せるというのはいいものだ。 「いつも?いつもは…水を掛けることはないな。君はこうでもしないと私と一緒に来てくれないだろう。いつもは、口の軽そうな子を選んで、そして口説けば大体私について来てくれる」 「そして誰彼構わず抱くんですね」 「…身も蓋もない言い方だな。そうだ。お金を積んでも無理そうな時は、甘くそそのかすと口を割るからね。お金の代わりに体を求める子もいる」 「…ひどい…」 「相手も私が情報目的だって分かってるさ」 「…分かってない人は?本気になる人は、どうするんですか?」 「たまに人選を間違うと厄介だな。少尉が言ったような子が出てくる。その時はなるべく優しく別れを言うよ」 「たった一回きりで関係が終わる人は?」 「今日はずいぶんおしゃべりだな。…継続して情報をもらう子の方が多いが、緊急事態とかね、時と場合によっては一度きりもある」 「…一度きりの時は失敗できないから、手段を選ばず強引に、ひどい方法で奪うんでしょう?」 「君の勝手な想像の中だと私はかなりの外道らしいな。本来はもっとまともだぞ。…とりあえず、どんな時も、なるべく紳士的に終わらせる」 「…私がそんなことされたら、きっと男性不信になります…」 今日の少尉は本当におしゃべりだ。 少尉の方からこんなにも私の女性関係について尋ねてきたことなど初めてだ。 私が少尉に色恋の話を振ると、いつも少尉は話を逸らすが、今日は逃げる前に押さえ付けられるかもしれない。 「私ってそんなにひどいかな?」 「とっても」 「…君にはあまりひどくしていないつもりだけど…。私の話を少し聞くだけでも汚物を見るような扱いになるのか」 少尉が私を見る目付きがあまりに鋭くて、女性に受けのいい笑顔でやり過ごすが冷や汗が止まらない。 「確かに、中佐は私に対しては無理強いせずにいちいち顔色を伺いますもんね」 「…君に嫌われたくないし」 笑いながら軽い口調で、しかしさらりと本音を零す。 手に入れたいものは卑怯な手段を使ってでも必ず奪う性格だが、少尉に関してだけはどうしても強気になれない。 理性をなくした獣のように、欲だけで動いて襲い掛かることが出来ない唯一の相手が少尉だ。 少尉が私を憎からず思っていることを知っていてもなお、なかなか迫れずにいる。 理由は、私が情けないほどにリザ・ホークアイに参ってしまっているからだ。 ただ純粋に嫌われてしまうのが怖い。 少尉に嫌われたら、おそらく恋や愛なんていう甘い感情に拒絶反応が出て、誰かを本気で愛することが二度とできなくなる気がする。 だから、自分のペースで押し切ることはせず、女々しくもいちいち少尉の反応を見てから出方を変えるのだ。 百人の様々な女性を口説く百通りの方法は知っているのに、リザ・ホークアイというたった一人の女性を振り向かせる方法は未だに分からない。 「嫌われたくない?嘘ですね。職場で気まずくなるのが嫌だからでしょう」 氷の破片のように鋭い言葉が私の身を切る。 ――やはり少尉は、馬鹿がつくほどとんでもなく鈍いのか。 さすがは難攻不落のお嬢さんだ。 何度となく私が少尉に首っ丈だということを示してきたつもりだが、それらは少尉にまったく届いていないらしい。 意味もなく少尉に触りたがることも、それとなく意中の相手の存在を尋ねることも、少尉の中ではすべて「上官からのセクハラ」で処理されているのだろうか。 その事実にはひどく落ち込むが、しかし少尉が攻撃的になるほど色事について口にするのは初めてで、実に珍しい機会に出会えたことに感謝する。 少尉に何が起こったかは分からないが、突然予期せぬ好機がやって来てしまった。 今この時を逃すと、少尉に対して臆病になりがちな私のことだから、次のチャンスはもしかしたら数年後になるかもしれない。 もう少し先に予定していたあの作戦を実行するなら、今しかない。 「今までの私の行動を省みると信じてもらえないだろうが、本当に君に嫌われたくないから一撃で仕留めずに草むらから頃合を伺うんだよ」 「どうせ嘘でしょう」 「君に嫌われたら、私こそ女性を拒否して、世の中の幸せな男女達を呪うことになりそうだ」 「…誰にでもそんなことを言って…」 何の前触れもなく少尉の足首を掴むと、少尉が離せと言わんばかりに私を思いきり睨む。 「…何ですか?」 「でも本来の私は、やはり望むもののためなら手段を選ばないんだよ。最後には絶対に手に入れる」 「足首を撫でている理由は何ですか?」 「今さらだけど、水を浴びせてすまなかったね。脚まで濡れた?」 「濡れてませんけど……えっ!?やだっ、中佐!?」 足首を掴んだままふくらはぎを舐めると、唐突すぎる挙動に少尉は高い声を上げて驚いた。 「なっ、何してるんですか!?」 「私なりのお詫び」 「だからって舐めますか!?いいや普通は舐めませんよね!舐めないでください!汚い!汚れる!」 「汚れるってひどいな…。話の続きをしようか」 脚を舐められるのが相当嫌なようで、少尉は私のことを蹴飛ばそうとするが足首を強く掴んで阻止する。 思いもよらぬ出来事に頭の処理が追いつかないらしく、私の声が少尉の耳に届いていない。 「少尉の知っている通り、私は本来なら何かを得るならば善人も悪人もどちらも演じることができる。ひどいんだ」 「舐めるのと関係ありますか!?」 「ある。今、とてつもなく君に触りたい」 私の顔に足の裏をお見舞いしようとしていた少尉の体から、突然ふっと力が抜けた。 強い怒気は消えぬものの、少し戸惑った様子で少尉が口を開く。 「からかわれるのはもうこりごりです」 「君をからかえるほど私は恋愛の玄人ではないよ」 というか色事に関して少尉をからかったことは一度もない。 私はいつ何時でも少尉の薬指に指輪をはめる覚悟が出来ているほど本気で真面目である。 「おもちゃを取られた駄々っ子の気まぐれに巻き込まれるのも嫌です」 「私が君をおもちゃ程度にしか認識していないという誤りに気付くくらいには、君には大人になってもらいたいね」 「…私は…中佐が狙う女性と違って何も情報を持っていないですよ…」 「私が君から欲しいのは情報じゃなくて、私に対する関心だ」 私を責める少尉の口調が徐々に弱々しくなっていき、ついに最後には何も喋らなくなってしまった。 抵抗もまったくない。 少尉は私の言葉を聞いて納得してくれたのだろうか。 水を浴びせてしまった左側だけコートをはだけさせ、足の付け根に唇を寄せるが、少尉は少し体を強張らせただけで拒否する素振りはない。 あまりに少尉が大人しくて、もしかしたら油断させた後で攻撃するつもりなのかと不安になるほどだ。 しかし、改めて考えてみると、ホテルの部屋に男と二人きりだというのに、コートの下にはショーツしか身につけていない少尉はとんでもない馬鹿女だ。 一時の衝動で少尉を抱く気はないが、これでは手を出されても文句は言えない。 「…中佐…」 「何?」 黒いショーツから伸びる引き締まりつつも柔らかい太ももを堪能したあと、体をずらして少尉の上に覆いかぶさり、真っ白な脇腹を舐める。 腹を舐められることがくすぐったいのか、少尉が可愛らしい小さな悲鳴を上げる。 舌が肌の上を滑る動きを我慢しつつ、声を上擦らせながら少尉が私を呼ぶ。 「…水を浴びせた時、私が怒るって知っていましたよね?」 「そうだな。私がどんなにうまい言い訳をしても、君が怒らない訳がない」 「私が怒って帰ってしまう可能性は考えましたか?」 「いいや。気絶させてでもこの部屋に連れて来るつもりだった」 「…そうですか…」 罵倒される覚悟をしたが、少尉は再び黙ってしまって、口元に手を当てて何かを考えている。 少尉は未だ暴れる様子もなく、あまりにいい子すぎて動揺してしまう。 機嫌が悪いと思いきや急に静かになり、いつものことだが今日の少尉も相変わらず何を考えているのかさっぱり分からない。 「…っ!」 乳房の丸みを舐めると、少尉ははっと息を飲んで身を固くした。 声を出してしまうのが嫌なようで、口元に添えていた手で慌てて唇を押さえる。 上半身のすべて晒しているわけではないので、コートの隙間からしか肌が見えないが、胸の形が想像以上に美しい。 まろみがあって、ふっくらと柔らかくて、それが優美な線で描かれている。 我を忘れて綿菓子のように繊細な肌を愛でる。 痛い、と少尉が怯えた声を出した。 「…今の何ですか…?」 少尉が不安げな瞳で私を見上げる。 無意識なのか、少尉はコートの裾を掴んでいた私の右手の甲に縋り付いた。 少尉は肌に赤い痕をつけられたことに驚いたようだ。 そういえば少尉は処女だった。 キスマークの痛みすら知らない生娘なのだ。 「この出来事が夢じゃないという証だ。あとで鏡を見れば分かるよ」 安心させるよう頭を撫でながら笑いかけ、コートの裾を掴む代わりに、私の方から少尉の手をしっかりと握る。 少尉が男を知らないという事実を思い出した途端、急に興奮してしまって、当初の予定より熱を入れて胸に食らい付く。 肌を舌で舐められる感覚をこの子は今知ったばかりなのだ。 もしかしたら微塵も気持ち良いと思えていないかもしれない。 それでも、私の手に縋り付いて、固く目を閉じながら未知の感覚に耐える少尉が愛おしくて堪らない。 しばらくは舌が這う動きに快楽を見出だせなかったようだが、しかし桃色の突起を口に含むと、少尉の乱れた呼吸にやっと甘いものが混じる。 コートの上から右の乳房を鷲掴みにしてまさぐると、少尉はそれに反応するように私の手を強く握り返してきた。 再び、突起を舌でなぶりながら片方の胸を揉むと、少尉は我慢できずに快楽に震える声をもらした。 少尉の脚がシーツを滑る音が妙に艶めかしい。 「…ちゅ…さ…」 ただ少尉に呼ばれただけなのに、「もっと」と、少尉に誘われているように聞こえる。 やけに少尉が大人しいのと、それから大きさの合わないコートに埋もれているせいか少尉がやけに小さく見える。 信じられないほど可愛い。 いや、駄目だ。 目的はもう遂げたはずだが、私に身を委ね始めている少尉の姿を見ると、体が言うことを聞かずに愛撫を止めることができない。 そろそろ止めなければ歯止めが効かなくなるが、新しい場所に触れる度にぴくんと白い体が跳ねるのが初々しくて、ますます離れがたい。 これが快楽だとだんだん分かってきたのか、敏感な場所に吸い付くと少尉が手を握って応えてくれるようになった。 いけない。 今のうちに止めなければタイミングを失って破滅する。 意を決して身を起こすが、少尉のわずかに開いた唇からちらりと見える舌が目に入り、それがあまりに艶っぽくて、少尉の顎を掴み、惹かれるように魅入っていた。 「…中佐…?」 指のすぐ上で唇が動く。 どんな時も無表情を崩さない少尉が今は少しの警戒心も抱かずにあどけない顔をしており、おまけに熱に浮かされてうっとりとしているせいで、処女のくせにとても色っぽい。 「…リザ…」 汗で乱れた前髪を丁寧に整えてやる。 そのまま顔を近付け、無意識のうちに少尉に口付けをしようとしていた自分にふと気が付き、慌てて少尉から飛びのいた。 おそらくこれ以上この子の近くにいると理性が崩壊して最後まで突っ走ってしまうだろう。 今度こそ血を吐く思いでベッドから離れ、少尉から距離を置く。 「中佐?」 組み敷いていた少尉から慌てて離れ、そして何かに責め立てられるかのようにベッドから跳ね上がった挙動不審の私を、少尉は不思議そうに見上げていた。 「…どうしたんですか…?」 いつもよりしおらしい少尉の声に後ろ髪を引かれるが、それを振り切ってドレスが掛かっているハンガーを手にした。 「ドレス、乾いたな」 「…え?」 つい先程まで私に愛撫され、体に伝わる感覚を一生懸命受け止めていた少尉は、私が何を言いたいのか分からないらしい。 私だって内心は未練でいっぱいだ。 「ドレスが乾くまでこの部屋にいるという約束だったな。もう乾いたし、そろそろ帰ろうか」 ドレスだけではなく、床に散らばるブラジャーとストッキング、それからハイヒールもかき集めてベッドの上に置く。 「帰る…?…え!?」 焦点の定まらないぼんやりとした瞳が徐々に現実を映し始め、少尉はようやく状況が飲み込めたのか、驚いたようにベッドから上半身を起こした。 少尉は明らかに物足りないという表情を浮かべている。 中途半端な状態で放り出された少尉は今にも泣きそうな瞳で私を見上げ、激しい胸の痛みを感じつつも、気付かないふりをした。 「もしかして続けた方が良かった?」 「そっ、そんなわけないじゃないですか!馬鹿言わないでください!」 いつものように軽口を言うと、図星なのか少尉は顔を赤く染めて盛大に否定した。 「…で、でも…」 「でも?」 少尉は私に何かを言おうとしたが、墓穴を掘ることになると気付いたのだろうか、その先を口にするのをやめてしまった。 第一、恥ずかしがり屋の少尉が自分の欲求を素直に口にできるわけがない。 「…もうやだ…信じられない…!」 代わりに、少尉はベッドの上で膝を抱え、膝に額を乗せて独り言を口にした。 寸止めを食らった少尉はしばらく顔を伏せたままだったが、おもむろに手を伸ばすと自分の横にあるハイヒールを手にした。 私に向かって投げ付けようとしたらしいが、ため息をついた少尉は急に脱力してハイヒールを手放し、身構えた私は首を傾げた。 あまりに非情な展開に、少尉はどうやらついに怒る気力もなくしたらしい。 「…嘘つき。やっぱり私をからかったんですね」 「ドレスが乾くまで部屋にいると言ったのは少尉だよ」 「ええ、そうですよ。はいはい。中佐は約束を守っただけです全部私が悪いんです分かってます!」 そう叫ぶと少尉は男らしさを感じるほど豪快にコートを脱ぎ、力の限りコートをベッドに叩き付けると着替えを始めた。 少尉に一発殴られてもいい気がするが、こんな駄目な男を相手にしていても無駄だと思ったのか、少尉は何かが吹っ切れたかのように私に構わずに着替えを始める。 私は半裸を見ないように慌てて少尉に背を向けた。 私は、少尉で遊んだわけでもなく、もちろんからかったわけでもない。 これは私が確実に少尉を手に入れるため、内側からじわじわと侵略して攻める立派な作戦なのだ。 色事の話になるとすぐに逃げて、それから、私の意中の相手だと匂わせてきた今までの私の努力に一つも気付かない鈍い少尉に、熱を植え付けた。 お預けをされた少尉の体に灯った焔は、今夜限りで消えてしまうわけではなく、蝋が溶けて焔が小さくなっても、この先ずっと、確実に少尉の体を蝕む。 何かと消極的な少尉は私との関係に進展を望むどころか、何も考えていないように見えるが、これからは嫌でも意識してしまうだろう。 今夜のことをなかったことにして、私に対するわだかまりを誤魔化してやり過ごすほど、この熱は生温くはない。 憎しみや恨めしさ、そして物足りなさに振り回され、常に関心が私に向いてしまうに違いない。 毎日、ふとした瞬間に今夜の出来事を思い出す少尉を想像するととても愉快だ。 心だけではなく体も満たされていない可哀相な少尉は悶悶と日々を過ごし、そこに私が優しく手を差し延べるのも良いし、少尉から助けを求められるのも良い。 色事の話を切り出すのは決まって私だが、次回は少尉から仕掛けて来るかもしれない。 きっかけは何でも良いが、その時こそ私は少尉の顔色を伺うのをやめて、殴られようが泣かれようが、何が何でも手中に収める。 熱に参って弱りきった少尉ならばあまり抵抗もできないだろう。 少尉の体に宿った熱は、輪郭があやふやで曖昧な私達の関係に必ず変化をもたらすだろう。 手に入れたいものがある時はどんな汚い方法を使ってでも、性に訴え掛けてまでして、掴み取る。 自分もひどく苦しく、笑っていられるのもそろそろ限界だというリスクも厭わない。 これほど面倒な作戦を立てる相手は少尉が最初で最後だろう。 「待って頂いて申し訳ないです。着替え終わりました」 慇懃無礼に言うと、ドレスを再び身につけた少尉がベッドから立ち上がった。 しかし、先程までの行為のせいなのか、慣れないハイヒールのせいなのか、少尉の体がふらつき、床に倒れる前に私は慌てて抱き抱えた。 「少尉、大丈夫か?まさか腰が抜けた?」 「…最低…!」 いつものように冗談を言うと、笑えない内容だったせいもあるが、真に受けた少尉が拳で私の肩を叩く。 結構痛い。 「…味見するんじゃなくて、味見された…。ううん、味見なんて可愛いものじゃなくて食べられた…」 「え?何?呪いの呪文?」 少尉が何かをぶつぶつと呟いたがよく聞こえない。 「…本当にひどい人…」 少尉は、今度は軽く私の肩を叩いた。 少尉が少し俯いているため、はっきりと表情が見えるわけではないが、怒りを通して呆れているように見えた。 快楽が見えてきた途中で中断されたせいで頬は紅潮し、どうしようもない男に支えられながらやりきれない思いを抱える表情はすっかり女の顔だった。 その顔があまりに美しく、体に電力が駆け抜けたかのような衝撃を受ける。 腕の中にある体がどれほど綺麗で甘美なのか私はもう嫌というほど知っている。 ああ、今すぐ、ちょうど隣にあるベッドに君を押し倒してしまいたい。 「…ありがとうございます。危うく転ぶところでした。行きましょう」 私に遊ばれたと思っている少尉は、つい先程の出来事を抹消して私に普段通りに接しようと決めたのか、そん辺はよく分からないが、いつもの冷静な態度に戻った。 何か不満を言えば「続きをしてほしい」と捉えられ、身を滅ぼすことになるという理由もあるだろう。 その冷静さをいつまで保てるかが見物だが、ものの数分で普段の自分を取り戻せる少尉の精神の強さに驚く。 「あ…ああ。行こうか。駐車場に車がある。もちろんアルコールは飲んでないから大丈夫だ。家まで送ろう」 なけなしの理性が、少尉を押し倒すのではなく、少尉の肩に再びコートを羽織らせるように動いてくれた。 少尉をエスコートしながら無事にホテルを出て、車の後部座席に少尉を乗せて、車を走らせる。 少尉は普段ならば運転をする側の人間あり、仮に座ることがあっても背中に定規でも入れているかのように姿勢を正しているが、今回はぐったりと座席に横になって寝ている。 「起きてるか?」 「…はい…」 ミラー越しに少尉に話し掛けるが、風邪でも引いたかのようにまったく覇気がない。 「……帰ったら一人でするの?」 「…え?何ですか?」 不思議そうに聞き返してきた少尉の声を聞いて我に返る。 「何でもない。独り言だ」 フラストレーションが溜まっているのは私も同じで、つい下品なことを聞いてしまった。 キスマークにも驚く純情な少尉は、どうやら自慰をするという発想すらないらしい。 おそらく方法も知らないだろう。 この作戦が上手くいき、進展があればすぐにでも少尉に一人でもできる遊び方を教えてあげよう。 「少尉、着いたよ。部屋まで送ろう」 少尉のアパートの前に車を止め、後部座席の扉を開けると、少尉は緩慢な動きで起き上がって車から降りる。 「すみません、寝てしまって…。本来なら私が送るべきなのに、今日はわざわざ家まで送っていただいてありがとうございます。でも、部屋までは一人で帰れますから大丈夫です」 「…転びそうですごく心配なんだが…」 「平気です。あ、コートもありがとうございます。気をつけて帰ってくださいね。…では、おやすみなさい」 「ああ、おやすみ」 丁寧に礼を言って少尉は羽織っていたコートを私に返し、そして覚束ない足取りでアパートに入って行った。 車体に寄り掛かって、少尉の部屋に明かりが点るのを待つが、あの頼りない歩き方だとまだ一階の階段で苦戦をしている頃だろう。 正直なところ、少尉が部屋まで送るのを断ってくれて良かった。 何かの弾みで自制が効かなくなったら、少尉の部屋で思う存分暴れてしまいそうだ。 少尉の部屋はまだ暗いままだ。 少尉がぼろを出すのはいつだろう。 今日の強がる少尉の様子を見ると長期戦になりそうだが、明日の朝一番に抱き付いてきてくれないだろうか。 夜風が吹いてきて肌寒くなり、ちょうどコートを手にしているのに気付いて何気なく羽織るが、この後、とんでもない後悔に襲われる。 コートを羽織った私は、素っ頓狂な声を上げそうになるのを抑え、慌ててコートを脱いで封印でもするかのように車の中に投げ付けて勢いよく扉を閉めた。 コートから悩ましいまでの甘い香りが漂ってきたのだ。 当然だ。 このコートは私が自ら少尉に着せて、あのベッドでの行為の最中も、その前後も、ずっと少尉が身につけていたのだ。 甘ったるい香りのせいで、少尉の啜り泣くような息遣いや、経験したことのない愛撫に身をよじるしかない姿を鮮明に思い出す。 クリーニングに出すのはドレスと、あとはこのコートもだ。 そんなことを考えていると、やっと少尉の部屋に明かりが点る。 ――やっぱりあの時に抱いてしまえば良かった。 いや、今からでも部屋に駆け付けて、もう一度あの肌に食らい付いてしまいたい。 私の人生の中で、今日ほど「抱くか否か」と何度も猛烈に葛藤する日は、もう二度とないだろう。 熱を植え付けられたのは、実は私の方かもしれない。 作戦を成功させるためにはこのまますぐに帰るべきだが、私はいつまでも車に寄り掛かったまま、もしもこのまま少尉の部屋に駆け付けた場合、なんと言い訳するかを考えていた。 |