彼の本命


ロイに手を引かれて会場に入ってきた人物は顎のラインで綺麗に切り揃えられた黒髪が印象的で、華やかではないけれど何故か目を引いた。
少し控えめだけど気品のある美人だと素直に思えた。
ロイが連れて歩く女といえば綺麗だけど頭と口の軽い女が定番だから、清楚な女性が彼の隣に立っているだなんて異様にすら感じる。
「恥ずかしがり屋でね、こういう場は初めてなんだ」
ロイばかりが話していて彼女は言葉ひとつ口にしない。
挨拶をされても彼女は曖昧に微笑み返すのみで失礼極まりないのだが、それが許されるほどには彼女は美しかった。
こんなに綺麗なひとを今までどこに隠していたのだろう。
不躾だと分かりつつも値踏みをするように上から下まで彼女を眺める。
特注で作ったに違いない彼女のドレスにはきっとロイの気遣いと趣味が詰まっているはずだ。
周りの女性がこぞって背中や胸を見せている中、彼女はホルターネックのドレスを身に纏っていて露出は一切していない。
ロイはいつも過度に露出した女性を連れて歩いて見せびらかしているくせに、指までもがレースの手袋に包まれた彼女の肌は徹底して誰にも見せたくないらしい。
ロイの言う通り彼女は本当にパーティに慣れていないようで、高いヒールを履いた足元が危なかっしい。
人混みの波の中を歩くことが苦手なようで、人にぶつかるのを避けようと気を回しているうちにふらつき、ロイが慌てて転びそうになった彼女の体を支えた。
「大丈夫かい?すまないね、急ぎすぎたかな。もっとゆっくり歩くように気をつけるよ。それとも少し休もうか?」
ロイは心底心配そうな顔で彼女の背中を労わるように何度も撫でる。
ロイは元から気を遣える男性だけど、それにしたって彼女には特別に甘いと思う。
ゆっくりと歩き出したロイのスーツの袖を彼女は慌てて引っ張り、振り返った彼の耳元に唇を寄せ、短く何かを囁いた。
おそらく体を支えてくれたお礼を言ったのだと思うけれど、彼女が急に近付いてきたせいかロイは見ているこちらが呆れるほど動揺していた。
わずかに赤くなった頬を隠すためなのかロイは口に手を当て、「当然のことじゃないか」とボソボソと呟いた。
女遊びの派手さからゴシップ誌に特集を組まれるほどの色男が見せる情けない姿に笑いさえ溢れる。
憎らしいほど余裕と自信に溢れた男も、本命を前にすると初恋に夢中な少年に成り下がるようだ。
いつもの調子が狂うほどに本気ということらしい。
ロイは副官を可愛がっているようだから、てっきり彼の本命はあの金髪の女だと思っていた。
厳しい副官の悪口を零すロイは言葉とは裏腹に嬉しそうで、あんなに優しい目をして一人の女性を語るなんて愛の告白を聞いているようで私はいつも耐え難かった。
まさか今夜、副官のさらに上を行く存在に出会えるとは思いもしなかった。
副官は同じ女と言えど軍人のため、始末するどころか接触すら難しいと頭を悩ませていた時に、のこのこと私の目の前に現れてくれて良かった。
軍人と違って一般人ならば手を下すのはずっと簡単だ。
今すぐにでも消すことが出来る。
ハンドバッグからナイフを取り出すと、それに気付いた誰かがけたたましい悲鳴を上げ、会場の人々の視線が一斉に私に集まる。
私の獲物である彼女は逃げるどころか無謀にもロイの前に立ちはだかり、恋人が傷付けられる寸前だというのに彼は涼しい顔でそれを眺めるだけだった。



面倒な処理は駆け付けた下々の者達に押し付け、会場近くのホテルの部屋に入る。
背中からベッドに勢いよく倒れ込むと、子供じゃないんですからと呆れた声で叱られた。
「明日はマスタング大佐を救った謎の黒髪の美女の話題で持ちきりだな」
「マスタング大佐の前についに刃物を持った女が復讐に現れたということの方がよっぽど話題になると思いますよ」
リザは黒髪のかつらを取って鏡台の前に置くと、壁に凭れて腕を組み、深くため息をついた。
「勿体無いな。似合っているのにもう取ってしまうのか」
「落ち着かないので。そんなことより、大佐が身の危険を感じるって言うからこんな変装までして護衛をしたのに、彼女の狙いは明らかに私でしたよね」
「そう?君の勘違いじゃない?」
ベッドの端に腰掛けたリザは顔だけこちらに向けてじろりと私を睨む。
騙されたと気付いたリザはご機嫌ななめだ。
対して今夜の私は、リザが変装していたものの華やかな場所を二人で堂々と歩き、そして皆に彼女を見せびらかすことができたので非常に機嫌が良い。
「誤魔化さないでください」
「まあ、君ならあの女くらいなんてことないだろう?何度かデートしたくらいであんなに好かれるとは迷惑極まりないが、あの女はなかなか見る目があると思うよ」
知らない人間にリザのことを好き勝手に言われるのが嫌で、司令部の外で彼女の話は控えていたつもりだが、あの女が勘づくほどには私は無意識のうちに優秀な副官を自慢してしまったようだ。
それに気付けたことだけは感謝したい。
「どういうことですか?」
「奴の最初の狙いは君、リザ・ホークアイ中尉だったんだよ。でも今夜標的は変装した君に変わった。どういうことか分かる?」
「…彼女に私の変装がばれていたということですか?」
予想通りの答えが返ってきて思わず笑ってしまう。
「変装に気付くほどは聡くないよ。ほかの女性は無視し続けたのに中尉と今夜の君にだけ反応したのは、私が君に本気だということをあの女は見事に二度も見抜いたから君を狙ったんだよ」
「大佐、私は真面目に話がしたいんです。冗談はやめてください」
「私は大真面目だよ」
「嘘ばっかり」
振り返ったリザがベッドに乗り上がるとドレスのスカートが捲れ、裾から見えた白い膝小僧に期待を隠せないでいると、突然思いきり鼻を摘まれて変な声が出た。
「中尉…鼻が取れそうだ…」
「あのまま刺されてしまえば良かったんですよー」
可愛らしく語尾を伸ばしながら恐ろしいことを言う。
「私が傷付くのを君が黙って見ていられるわけがないね」
「さあ、どうでしょう。今夜みたいに好きでもない女にあれほど優しくできるなんて、さすがの私も見限りたくなりました」
「…君って意外と馬鹿だよなあ」
私は皆が思うほど器用ではないから、すべての女性に平等に優しくするなんて出来るわけがないし、好いている女性は特別に甘やかすに決まっている。
薄々気付いてはいたが、あの女が飛び抜けて勘が良いわけではなく、ただ単純にリザがあまりにも鈍いだけだ。
「もー、馬鹿って何ですか」
「だってそうじゃないか」
今夜も「お似合いですね」と言われる度に浮かれ、リザの挙動にいちいち見惚れ、周りから見ればきっと私は分かりやすい人間のはずだ。
しかし、一番気付いてほしいひとにまったく理解されず、おまけに今夜の騒動も遠回しな告白だというのに少しも伝わっておらず、リザの頬を伸ばす攻撃を受けながらあまりの鈍感さに天を仰いだ。






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